オランダ人船長・漂流(1)
父が言ったことは本当だった。
MORGENROOD -曙光
「いつでもお前と共にある」
白い雲間、海の果て、風にそよぐ野の花にも、父の教えは生きている。
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愚かな従兄と父の教え
ヴァルターが初めてエクス=アン=プロヴァンスの屋敷を訪れたのは、七月二十五日のことだ。
なぜその日付を鮮明に覚えているかといえば、ヤンの誕生日で、毎年、この時期にバイロイト音楽祭が始まるからである。
開幕から一ヶ月。運河沿いの小さな家は父専用のシアターになる。夜ごとリビングから劇場中継の音楽が鳴り響き、時折、父が『朝は薔薇色に輝きて』や『ジークフリートの鍛冶の歌』を口ずさむのが聞こえてくる。
彼も何度か付き合うが、面白いと感じたのは『ヴァルキューレ』と『ジークフリート』だけだ。『トリスタンとイゾルデ』はさっぱり訳が分からないし、『さまよえるオランダ人』は前奏曲を耳にしただけで不吉な気分になる。自分の名前の由来であるヴァルター・フォン・シュトルツィングが活躍する『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、どう見てもハンス・ザックスの方がいい男だし、『パルジファル』に至っては冗長で退屈きわまりない。『ローエングリン』と『タンホイザー』はいい曲だとは思うが、主人公に共感する部分がまるでなく、ワーグナーの英雄は揃い揃ってへたれというのがヴァルターの結論であった。
もちろん、そんなことは決して口にしない。
眠くても、退屈でも、父とワーグナーの世界を共有したい。
それくらいヴァルターは父を愛し、同化することに憧れていた。
*
初めてエクス=アン=プロヴァンスの屋敷を訪れた時、一瞬、ワーグナーの世界に迷い込んだのかと思った。
ヴァルハラ城のように壮大な棟続きの建物。どこまでが低塩で、どこからが森か、見当もつかない、だだっ広い敷地。邸内には高級な調度や美術品が溢れかえり、本物のルノワールやセザンヌの額絵が日めくりカレンダーのように壁に掛けてある。
おまけに、孫が訪ねても、会いもしない祖父母。
無遠慮な視線を寄越す親族らしき人々。
横柄な使用人に、朝から晩まで頭のネジが緩んだように吠え立てる犬たち。
これが自分のもう一つのルーツ。砂糖菓子のように優美で、聡明な母方の血筋。「フランスの片田舎に住む高貴な人々」という父の話はでたらめだったのか?
幼少時から、母の親戚について尋ねると、父は決まってこう答えた。
「真面目に勉学に励んで、行儀よくしておれば、いつか会える」
グリム童話じゃあるまいし、どこか違和感を覚えたが、この父が言うならば、と信じるように努めてきた。
だが、どう考えても、父が取り繕っていたのは明白だ。本当に父の言う通りなら、邸内には愛が溢れ、森の
賢者である祖父母も初めて訪ねてきた孫に感激するはずではないか。
訳も分からぬまま邸内をうろついていると、突然、黒ずくめの男二人に腕を取られ、中庭の外れにある尖塔に連れて行かれた。母のことを尋ねても、彼らは口をつぐんだまま、少年の不安などまるで構わぬように、どんどん建物の奥に突き進んでいく。
彼には一階の居室があてがわれ、パンと豆のスープも出された。居室の隅にぽつんと置かれた丸テーブルで、迷子の仔犬みたいにスープをすすっている間、ヴァルプルギスの夜に子供の骨でもしゃぶってそうな老婆が曲がった腰をさすりながら天蓋付きのベッドを整えてくれた。
「母さんは?」
「マダムは東の棟におられます。でも、あなたが入ってはなりません」
「じゃあ、どうやって母さんに会うの?」
「先に私にお申し付け下さい」
老婆はぶっきらぼうに答えると、タオルと水差しを置いて、そそくさと部屋を出て行った。
彼は一人でスープをすすりながら、改めて居室を見回す。
古びた石造りではあるが、一脚何万ユーロもしそうなアンティークの家具が所狭しと置かれ、図書館みたいに高い窓には大人の背丈の二倍はある深緑のビロードのカーテンが掛かっている。同色のカーテン留めのフリンジ・タッセルには、最高級の金糸がふんだんに使われ、アクセントに縫い込まれた母指頭大の飾り石は本物の孔雀石(マラカイト)だ。
カーテンだけではない、衣装箪笥も、ナイトテーブルも、一見オンボロだが、蝶番や取っ手は精巧な金細工で、飾りの花模様も一つ一つが職人の手描きだ。オークションに出品すれば、破格の値が付くだろう。
それにしても大きい。クレーンもトラックもない時代、これだけの切石を積み上げるのに、いったい何百人の工夫が駆り出され、莫大な血税が注ぎ込まれたことか。ブルボン王朝の国王と王妃が革命広場で見せしめに処刑されたのも頷ける。自分もその時代に生きていたら、バスティーユに百発ぐらいバズーカ砲を打ち込んだろう。
その後、天蓋付きのベッドで一眠りし、体調も落ち着くと、ヴァルターは建物の外に出て、広大な庭を散策した。
立派な居城を見るにつけ、いったい母は何者なのか、どうして父は偽ったりしたのか、嘘をついたのか、疑念が黒雲のように湧いてくる。
いやいや、彼に本当のことを教えなかったのは、お菓子を大量買いさせない為かもしれない。だって、これほどの金持ちなら、毎日高級菓子店『ニュルンベルク』から山のようにバームクーヘンを取り寄せることができるし、ステーキもストロープワッフルも食べ放題ではないか。
城の尖塔に刻まれた紋章が自分の称号でもあると知ったら、たいていの少年は舞い上がり、学ぶことも、働くことも忘れて、享楽に耽るだろう。あるいは自分が英雄か神の子と勘違いし、尊大な大人に育つかもしれない。
ああ、父母が本当のことを話したがらなかったわけだ。
もし、知っていたら、勉強もスポーツも、あんなに必死にやらなかっただろう。言葉の訓練も怠けて、掃除も、洗濯も、他人任せで終わっていたに違いない。
だが、これから一生、この城で生きていくとしたら、面白いことになる。
毎日美味しいものをお腹いっぱい食べ、他人をこき使い、朝から晩までコンピュータゲームに耽る。世界最強のサッカークラブをキャッシュで買い取り、ワールドカップはVIP席で観戦して、最優秀選手を舎弟みたいに自宅に呼びつける。全知全能のヴォーダンみたいに紋章をちらつかせ、俺を鼻くそと馬鹿にしたニーベルング族の小人どもを蹴散らし、右往左往する様を高笑いしてやるのだ……。
だが、彼はすぐに現実に引き戻された。
中庭の向こうで五匹の犬が「ワンワン!」と吠え立て、狂ったようにこちらに走ってきたのだ。あっという間に獰猛な犬に取り囲まれ、彼は反射的にその場にしゃがみ込んだ。
アンヌ=マリーが可愛がっていた四匹のジャーマンシェパードはすでに病死し、今は甥っ子、つまりヴァルターにとっての従兄が新しいのを五匹も飼っている。野放図に育てられたせいか、同じジャーマンシェパードでも非常に行儀が悪く、あちこちに糞を垂れ流しては見境なく人に吠えかかった。
彼が為す術なく、仔犬みたいにうずくまっていると、向こうで見ていた従兄が電子笛を吹き、声を立てて笑った。
「お前がドイツ犬の息子だな。ぼさぼさのキャベツみたいな頭をしてやがる。おい、立てよ、どうした、びびったのか!Un salop!(クソ野郎)」
ドイツ犬。それは俺の父親のことか?
彼は凝然と従兄の顔を見た。
顔はそこそこに整っているが、小学生みたいに呆けた口をして、とても真っ当な社会人には見えない。おまけにMerdeよりもっと下品な言葉を平気で口にする。同じ粗野でも、ヤンの父親の方がまだ人間味があった。素面に戻ると素直に謝り、機嫌のよい時は彼にも山のようなビターバレン小さな丸いコロッケやフリットフライドポテトをご馳走してくれた。だが、この従兄は本気で犬をけしかけ、人が怯える様を嘲笑している。
父がよく言っていた。
「この世には道理が通じない相手もいる。どう説明しても、心から語りかけても、耳を貸さない人たちだ。それどころか、君を馬鹿にし、痛めつけ、君が泣いたり苦しんだりする様を嘲笑うかもしれない。そういう相手に出会ったら黙然とやり過ごすことだ。むきになっても、何もいいことはない」
父の教えは一言一句、聖典のように心に刻まれている。『グンター・フォーゲルもかく語りき』だ。きっと、この犬飼いも道理の通じない人間なのだろう。相手にしてはいけない。
ヴァルターはくるりと踵を返すと、その場を離れた。
「おい、ドイツ犬!ぼさぼさのキャベツ野郎!かかってこいよ、この腰抜け!お前も父親みたいに犬に喰われたいか」
かーっと頭に血が上り、あの阿呆面に一発お見舞いしたい衝動に駆られたが、グンター・フォーゲルの息子は愚か者を相手に全力で戦うことはしないのだ。
背後で馬鹿犬どもが狂ったように吠え、阿呆面の従兄も犬と一緒になって罵倒しているが、気にするな。こんなことは小学校でも数え切れないほどあった。そんな時はむきになって言い返すのではなく、心の中でこう唱えろと父は教えてくれた。
『父(神)よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分かってないのです *37』
まったくその通りだ。無自覚な阿呆ほどたちの悪いものはない。赦すも、赦さぬも、痴れ者の相手をするほど神も暇ではなかろう。
父の教えを胸に繰り返すうち、ヴァルターは自分の手も足も、髪の毛一筋さえも、父の精神で出来ていることを理解した。どんな理由で母が出自をごまかし、父が偽りの愛の物語を語って聞かせたのかは知れないが、阿呆面の従兄を見ればその理由も窺い知れる。あんなのが自分の親族と知って、誇りに思う馬鹿はない。孫が訪ねても、顔も見せない尊大な祖父母もだ。
彼は空疎とした庭園を歩きながら、一つの真理を悟った。
父の教えが絶対的に正しいか否かの問題ではない。自分が何を選び、どう信じるかだ。そして、その答えは天の青さより明白である。ああ、何を不安に思うことがあるだろう。父が言ったことは本当だった。「いつでもお前と共にある」。白い雲間、海の果て、風にそよぐ野の花にも、父の教えは生きている。
《父こそ我が指針》
そう信じられることが、自身の最大の財産に思えた。
母の病いと再婚
そうして広い中庭を横切り、東の棟にたどり着くと、玄関先で煙草をふかしている使用人が母の居所を教えてくれた。母は二階の自室に休んでおり、今もメディカルスタッフが付いて治療中だという。
そんなに重症なのかと慌てて部屋を訪れると、なんてことはない。念のためビタミン剤とブドウ糖溶液の点滴をしているだけだ。ほっとしてベッドサイドに腰を下ろすと、母は彼の手を握りしめ、「ごめんなさいね。私がしっかりしてないばかりに、あなたに苦労をかけてしまって……」と涙をこぼした。
「母さんは何も悪くない。俺が無力なだけだ」
彼はほんの少し前まで子供らしい万能感に溢れていたことを思い返した。勉強はともかく、サッカーは地区で一番だったし、語学も理科も人に負けたことがない。女の子にもモテモテで、「鼻くそ」と思い込んでいた自分の容姿が意外と秀でているのに気付き始めたところだった。
だが、現実はどうだ。
父をなくし、母も病気で動けなくなると、一人では何も出来ない無力な子供だった。家賃を払うことも、食費を稼ぐこともできず、学校だって満足に通えない。父はその思い上がりを戒めたかったのだろう。今更ながら、口答えしたことが悔やまれる。
悔しさに横を向き、じっと黙っていると、母は涙を拭い、
「今が夏休みで本当によかった……。でも九月になったら、ちゃんと学校に行くのよ。今、どこにするか、考えているところなの」
といつもの口調で言った。
「それよりカールスルーエに行こうよ。俺、こんな所は嫌だよ」
「そうしたいけど、あちらもお祖母さまがご病気で大変なのよ。あのお祖父さまが何所にも出掛けず、付きっきりで看病なさっていると聞けば、事の重大さが分かるでしょう。私もドイツ語はまったくできないし、あなたと押しかけたところで、ご家族の負担になるだけよ」
「それならフォンヴィエイユに戻ろうよ」
「そうね。だけど、あそこは仕事が無いの。働くなら、もう少し大きな都市でないと。もう一度、モンテカルロの友人に相談してみるわ」
「俺も働くよ。十六歳と言えば、港で仕事をさせてくれるって」
「恐ろしいことを言わないで!あなたはしっかり勉強して、立派な大人になるの。それがお父さまの一番の願いよ。体調が整ったら方策を考えるわ。それまで、どうか辛抱してちょうだい」
その言葉にヴァルターも納得し、母を信じて待つことにした。
そして、それは意外に早くやって来た。
母の再婚という形で。
※37)ルカ福音書・二三章三二ー四九節より。十字架に架けられたイエスを嘲り、侮辱する人たちに対し、イエスが口にした言葉。引用は『新約聖書 共同訳全注 (講談社学術文庫)』
参考になる記事
父よ、彼らを赦したまえ。彼らは自分が何をしているのか分からないのです 映画『ベン・ハー』 聖書とキリスト教の物語
『父(神)よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分が何をしているのか分かってないのです』はイエス・キリストの有名な言葉です。
作中では、映画『ベン・ハー』の日本語吹き替えの台詞を応用しています。