海洋小説 MORGENROOD -曙光 海とレアメタルの本格SF小説

【51】重役会議とプレゼンテーション

重役会議とプレゼンテーション

突然の電話

ヴァルターがアル・マクダエルから電話を受け取ったのは、翌朝九時のことだ。

ベッドの中でまどろんでいると、突然呼び出し音が鳴り、びっくりして飛び起きた。

早起きの爺さんは、きびきびした声で、明日の午後からエンタープライズ社でミーティングを行うからプレゼンテーションの準備をしろと言う。

「でも、明日はプラットフォームに戻る予定だ」

「その事ならマードックに了解済みだ。一日延期しろ」

「それはいいけど、何のプレゼンテーションだよ?」

「先週の木曜日に電話でいろいろ話しただろう。海洋情報ネットワークとか、何とか。それを企画書にまとめて、出席者に説明しろ。とりあえず概念が伝われば、それでいい」

「だが、あれは単なる思いつきだ。人に話すほどの価値があるとは思えない」

「価値があるかどうかは、わしが決めることだ。お前が判断することじゃない。お前の任務は、自分のアイデアをいかに分かりやすく伝えるかだ。いいから言われた通りにしろ。明日の正午にはエンタープライズ社に顔を出せ。褒美はサフィールのディナーだ」

またも一方的に電話が切れた。

(タヌキめ)

彼は携帯電話をナイトテーブルに投げ出すと、猛然とベッドから出た。

『価値があるかどうかは、わしが決める』だと? いったい、何様のつもりだ。

いつもながら横柄な物言いに怒りが込み上げるが、確かにその通りではある。何に投資し、何を事業化するか、最終的に決定するのはアル・マクダエルだからだ。

だから今は「自分で良し悪しを判断するな」――アイデアをいかに分かりやすく伝えるかに集中しろということか。

彼は気を取り直してバスルームに行くと、軽く身繕いして目玉焼きトーストの朝食を作った。

それからエンタープライズ社の汎用ネットワークにアクセスし、企画書のテンプレートをダウンロードすると、先日、アル・マクダエルに話した「海洋情報ネットワーク」「洋上風力発電ファームと太陽光発電パネル」「プラットフォームの節電と人員配置の見直し」「モニタリングの一元化」といったアイデアを一つずつ書き出していった。

あっという間に正午になり、冷凍ピザをかじりながら、さらに作業を続ける。

明日はご馳走なら、今日は冷凍ピザで十分だ。

アルのだまし討ち

翌日、エンタープライズ社の社長室に顔を出すと、アル・マクダエルは彼を一瞥するなり「着替えてこい」と言った。

彼は今日も通販で買ったカジュアルチェックのシャツにジーンズという軽装で、これ以上に見栄えのいい服はない。

「これしか持ってない」

彼が憮然と返すと、

「だったら、ポートスクエアの『MEGA MART』で買ってこい。二万エルクも出せば、それなりのビジネススーツが買える。ついでに髪も切るんだ。その頭で重役会議に出たら承知せんぞ」

「重役会議?」

「そうだ。重役会議だ。今日、MIGの最高幹部を集めた定例会が開かれる。何人かは既に現地入りして、社内で待機中だ」

「あんた、重役会議なんて一言も言わなかったじゃないか」

「言えば、そのように準備してくるだろう。だが、ただのミーティングと思えば、お前も多少は手抜きするはずだ。その手抜きの状態で、自分のアイデアをどれだけ簡潔に伝えられるか、いい実験場になる」

「……きたねぇ」

「何が汚いんだ。チャンスはいつ訪れるか分からん。明日にも有力なビジネスパートナーと廊下ですれ違うかもしれないんだ。その時に相手の興味を引く話の一つもできなくて、どうしてチャンスを掴めるね」

「俺は喋りは苦手だ」

「その割りには、再建コンペのプレゼンテーションはたいした熱弁だったじゃないか」

「なんでそんなことまで知ってるんだ?」

「わしは何でも知ってるんだよ。お前が夕べ、娘を泣かせたこともな」

「ちょっと待ってくれ、あれは……」

「そうだよ、娘はお前の言葉に感動して泣いて帰ってきたんだ。それだけ口が上手ければ、プレゼンテーションの一つや二つ、どうってことないだろう。話が分かれば、髪を切って、スーツに着替えてこい。スーツ代は次の給料から差し引いておく」

「スーツは妥協する。でも、髪を切るのはいやだ」

「3センチでいい。切ってこい」

「長すぎる。2センチで十分だ」

「2.5センチだ。それ以下は許さん」

彼は憤然としながら社長室を出た。

あのタヌキ、どこまで人を嬲り者にしたら気が済むんだ?

母からの手紙 ~一度は私の所へ帰って

屈辱

重役会議は最悪だった。大勢の前で恥をかかされ、同意すら得られなかった。それならそうと事前に言ってくれたらいいのに、あの人は出会った時からそうなんだ。人を試すような真似ばかりして、正面からストレートに物を要求したことがない。そうかと思えば無理難題をふっかけて、相手がたじろぐ様を見て嗤ってる。運命の神か知らないが、人を愚弄するにもほどがある。

かっかしながら三階のロッカールームに飛び込むと、荒っぽくスーツを脱ぎ、『MEGA MART』の紙袋に押し込んだ。それから美容院で塗りたくられた整髪料を洗面台で洗い流し、いつものぼさぼさ頭に戻すと、コンピュータバッグと『MEGA MART』の紙袋を肩に提げて廊下に飛び出した。

その時、アル・マクダエルと重役らに出くわし、彼はその場に固まった。

「晩餐会に来ないのかね」

アルは優しい口調で言ったが、彼は小さく頭を振ると、足早にその場を立ち去った。

宿舎に帰り着いてもまだ怒りが収まらず、憤然としながらコンピュータバッグからLeopardを取り出すと、白い封筒がぱさりと落ちた。昼間、女性職員から受け取ったものだ。向かい合う二匹の魚がエンボス加工された高級封筒に黄色い付箋が貼り付けてある。

《エリザベスが一緒に食事するのを楽しみに待っている》

彼は付箋を剥がして二つ折りにすると、ジーンズのポケットに押し込み、海岸に出た。

便箋は二枚。

「mon chou(モン・シユ)(私のキャベツちゃん)」の書き出しで始まる手紙には、先日、MIGから「死亡時意思確認書」を含む幾つかの書類を受け取り、その中にはアル・マクダエル社長の丁寧な手紙も添えられていたこと、その上で母も同意のサインをし、書類をエンタープライズ社に返信した経緯が綴られていた。

《あなたがアステリアに居ると聞き、今も驚きと悲しみを禁じ得ません。なぜ、あの時、無理にでもあなたを引き留めなかったのか、後悔ばかりしています。

だけども、アル・マクダエル社長の直属で、再び海の仕事をしていると知り、心の半分では安心しています。トリヴィアのニュースや刊行物で拝見しましたが、立派な方でいらっしゃるのね。二年の限られた間でも、しっかり学んで、お役に立ってあげなさい。

今も、あなたを責める気持ちはありません。あなたを家に帰れなくしてしたのは私です。いつの日か、あなたの心が癒やされ、一度は私の所に帰ってくれるのを待っています。

どうか身体に気を付けて。どんな時も、お父さまがあなたを守り導いて下さいますように――》

手紙の末尾には、継父のジャン・ラクロワが今も彼の相続権を破棄せず、将来、彼が受け取る権利も財産もちゃんと文書に保存していることが追記されていた。

彼は手紙を折りたたむと、最後に母とカフェで話した時のことを思い返した。

鈍感な母と苛立つ息子

学生時代から母とは距離を置き、プルザネに移ってからは話す機会もめっきり減った。

マルセイユに帰るのは年に一度か二度。オランダ人船長みたいにふらりと旧港に立ち寄り、カフェ『Pour(プール) toujours(トゥルージユ)』で母と落ち合う。何を聞かれても、「Oui(ウィ)(ああ)」か「Non(ノン)(いいや)」の生返事で、悩みはもちろん、近況すらまともに話したことはない。

だが、その日は再建コンペのプレゼンテーションが功を奏したこともあり、上機嫌で旧港に向かった。そんな風になっても、上手くやったことを一番に知らせたいのは母なのだ。

しかし、旧港の近くまで来た時、グランドホテルの近くでジャン・ラクロワの車を見かけて、びくりと足を止めた。

マルセイユ市内では目立たぬようにグレーの大衆車に乗っているが、窓には特殊ガラスがはめ込まれ、外から中の様子を窺い知ることはできない。ナンバープレートのリュージョンコードも『PROVENCE-ALPES-COTE-D’AZUR』ではなく『Ile-de-France』、数字も「2」のぞろ目なのですぐに分かる。通りを挟んだ建物の陰で様子を窺っていると、グランドホテルの正面玄関が開き、年配のベルボーイが恭しく一組のカップルを送り出した。

母とジャン・ラクロワだ。

ラクロワ氏は恰幅のいい体躯に上等なダークスーツを身に付け、母は上品なオフホワイトのペプラムスーツ姿で、小さな花のようにその腕に寄り添っている。その姿はどこから見ても長年連れ添った富貴な夫婦だ。かつて母が運河沿いの小さな家に暮らし、土木技師の夫とパンケーキを焼いたり、チューリップの球根を植えたりしていた日々を想起させるものは何一つない。

彼らが正面玄関の階段を下りると、すみやかに車のドアが開き、ベテランの運転手が恭しく夫婦を出迎えた。

だが、妻は首を振り、夫と軽く諍う。

やがて夫は根負けしたように妻の両肩を抱くと、軽く顔を背ける妻の頬に優しくキスをした。そして、夫だけが速やかに後部座席に収まると、妻は車を見送り、足早に通りを渡って旧港に向かった。

だが、歩調は彼の方が断然早い。母より先に『Pour(プール) toujours(トゥルージユ)』に入店すると、壁際の二人がけの席に座り、母の来着を待った。

程なくドアが開き、母がヒールの音を潜めるようにして中に入ってきた。もうすぐ五十四歳だが、彼と同じダークブラウンの髪をシニヨンに結い、プレタポルテのペプラムスーツを優雅に着こなして、とても五十半ばに見えない。母が理事長を務める「言語に障害をもつ子供の為の支援センター」も順調で、今では市の公聴会に呼ばれたり、有識者と対談したり、以前からは想像もつかないほどの活躍ぶりだ。

母は窓際に座る彼の姿に気が付くと、嬉しそうに向かいの席に腰を下ろし、

「遅くなってごめんなさいね。車が混んでいたものだから」

と嘘をついた。

それだけで彼は不快感をもよおし、悪態をつきそうになる。

「今日来るとは思わなかったの。最終審査のプレゼンテーションの後だから、デ・フルネの仲間と忙しくしてるんじゃないかと……」

「まるで今日訪ねてきたら悪いような口ぶりだ」

「そうじゃないのよ。まったく予想だにしなかったものだから……」

母は口ごもり、息子の苛立ちをひりひり感じている。

「だけど、本当に素晴らしいプレゼンテーションだったわ。勝っても負けても、あなたが一所懸命にやったことに変わりはないし、結果がどうあれ、お父さまがどれほど喜ばれることか……」

「きれい事を言うな。負ければフェールダムに臨海都市が建設される。父さんが守り続けた堤防も、植樹した森も、みんな消えて無くなるんだぞ」

「……」

「何が『勝っても、負けても』だ。あいつに勝たない限り、俺にも住民にも未来なんてない。母さんにとっては遠い昔だから、そんな暢気なことが言えるんだ」

「お願い、ヴァルター。悪い方に取らないで。フェールダムを思う気持ちは私も同じよ」

「懐かしむのと、そこに生き続けるのは違う。俺はまだあの地に生きてる。父さんもだ。でも、母さんにとっては過ぎ去った日々だ。俺や元住民の気持ちなど分かるわけがない」

わざと意地悪く言うと、母も押し黙った。

やがて注文したティーセットが運ばれてくると、彼はティースプーンで荒っぽくスティックシュガーを掻き回し、母は項垂れたまま、「ごめんなさいね。お父さまみたいに何の力にもなれなくて……」と声を潤ませた。

「あなたは、だんだんあの人に似てくる。まるで、あの人が生きて目の前に居るみたい。でも、あなたはいつ見ても淋しそうで、あの人も側で一緒に悲しんでるみたい。だけど、そうさせているのは私ね。私がもっとしっかりしておれば……」

「もういい。そんな話ばかり聞きたくない」

彼は黙々と苺ケーキを頬張り、いつもの負のループに陥る。こんな風に話すつもりはなかったのに、苛立ちを抑えることができない。

「食べ終わったから、行くよ」

彼がぶっきらぼうに言うと、 

「コンペが終わったら、元の生活に戻るのね」

母が念を押した。

「どういう意味だよ」

「心配してるのよ。コンペに懸ける気持ちも分かるけど、本当に職場に戻れるの? ちゃんと確約書は取っているの?」

「話なら、ちゃんとついてる」

「そうじゃないの。話だけでは駄目なのよ。こういうことは、ちゃんと文書にして残さないと。皆、それで理不尽な目に遭ってるのよ。ジャンに頼んで、労務の専門家をつけるわ。今からでも遅くはないから、ちゃんと保証を取りなさい。コンペの結果によっては、あなたも身の振り方が大きく変わるかもしれない。それも含めて、きちんと話し合わないと」

「要らない」

「でも……」

「要らないったら! 何でもかんでも、医者だ、弁護士だと大騒ぎして、一度でも奴らが親身に手を差し伸べてくれたことがあったのか!」

「そうじゃないの、ちゃんと私の話を聞いて……」

「どいつもこいつも、人の弱みに付け込んで、自分が儲ける算段ばかり! 父さんがあまりに哀れだよ。こんな目に遭うために堤防を守りに戻ったんじゃない!」

「ヴァルター……」

彼は構わず席を立つと、二人分の飲食代を荒っぽくテーブルに置いて、店を出た。そして、その足でサン=シャルル駅に直行すると、その日のうちにマルセイユを発ったのだった。

あの世にも、この世にも、帰りたい場所はなく

本当は誰の為に怒っているのか、自分でも分からない。

些細なことで傷つき、苛立ち、だんだん手の付けられない聞かん坊のようになっていく。

《一度は私の所へ帰って》

だが、何処へ帰れと言うのか。

あの夜を境に何もかも変わってしまった。

大好きな家も、この世でただ一人の理解者も、みんな水の底だ。

あの世にも、この世にも、帰りたい場所はなく、自分の居場所と呼べる所もない。まるで呪われた船長みたいに、海から海を彷徨うだけだ。

彼は岩場から身を乗り出すと、母の手紙を波間に浮かべた。

優しい文字はみるみる水に溶け、海の向こうに運ばれてゆく。

やがて手紙が消えて無くなると、彼は宿舎に戻りかけたが、ふとポケットに入れた付箋を思い出した。

《エリザベスが一緒に食事するのを楽しみに待っている》

彼は付箋を握りしめ、同じように海に流しかけたが、彼女の淋しそうな顔が瞼に浮かぶと、その手を止めた。

母とこの人は無関係だ。いくら虫の居所が悪くても、この人にまで八つ当たりすることはないだろう。

彼はしばらくその場に立ち尽くしていたが、ダイバーズウォッチを見やると、踵を返した。

父の時計が「早く、早く」と背中を押すようだった。

重役たちのパーティー

ヴァルターの才能 ~理路整然と説明する

その頃、『サフィール』の小宴会場では招待客が楕円形のテーブルに着き、フランス風の創作料理に舌鼓を打っている。

アルは上座に座り、右隣にはトリヴィアから来訪したMIG執行委員長、左隣にはインダストリアル社のロイス副社長、その他の席には関連会社の社長や常務など、採鉱事業に関わる面々が顔を揃えている。

堅苦しい席にもかかわらず、先ほどから何度も笑い声が上がっているのは、楕円テーブルの真ん中でリズが懸命にホステス役を務めているからだろう。

今日は春風のように優しいピンクベージュのワンピースを身に付け、こぼれるような花珠真珠のネックレスとお揃いのイヤリングでアクセントを添えている。髪も華やかなポンパドゥール風に編み上げ、いつになく優美な印象だ。

誰かが来ないので、もっと暗い顔をするかと思っていたら、「どうせまた無理難題を押しつけたのでしょう」と口を尖らせ、ぷいと背を向けて席に着いた。それから先日の思い出に支えられるように微笑み、受け答え、懸命に場を盛り上げている。

アルは食事もそこそこに、デザートのガトー・ショコラを持ってこさせると、周りの役員らと軽く言葉を交わしながら、重役会議を思い返した。

不意打ちであの男を引っ張り出し、頭の中にあるアイデアを説明させたが、プラットフォームに来てから一ヶ月も経たないのに、よくここまで現場の実情や採鉱事業の本質、アステリアの抱える根本的な問題を看破したものだ。

しかも、発表の場にスライドもビデオも、何も無い。一夜漬けで仕上げた企画書だけを手掛かりに、人員配置の見直しや節電対策、システムの一元管理、情報資産としての海洋調査データの活用など、あの晩電話で話したことを、現場を知らない重役らに理路整然と説明してみせた。再建コンペのプレゼンテーションも決してまぐれではなく、やはり能力として身に備わっているのだろう。

だが、初期投資はどうするか、管理体制は、財務計画は、他部署との連携は、等々、実務面で切り込まれるとたちまち論調が弱くなる。当然だ。彼にはマネジメントの経験など皆無なのだから。百戦錬磨の重役らに、「アイデアだけずらずら並べても、具体性がなければ実効性はないし、『こういう風になるでしょう』という見込みだけで計画は立たないんだよ」「理想としては分かるが、それだけの設備を揃えるのに幾らかかるか、試算はしてないのかね」「それでは融資の材料にもならないよ」と絞られ、彼のプライドもずたずただ。最後は一言も発せず、木偶の坊みたいに立ち尽くしていた。

その時、会議室に居合わせた重役の一人が「もう十分じゃないか」と助け船を出した。

マルティン・オイラー。

MIGエンジニアリング社の副社長で、採鉱プラットフォームを技術面から支える統轄部長だ。ぽこっと突き出たビール腹に陽気な丸顔で、若い社員にも人気がある。

オイラーは、こういう時だけ新人いびりに精を出す重役らをうんざりしたように見回すと、

「今日はあくまでアイデアを紹介するのが目的だろう。準備期間もなしに、それ以上の具体性を求めるのは酷というものだよ。プラットフォームに来て、まだ一週間ほどしか経たないのに、これだけ問題点を指摘して、なおかつ対策を提示できるだけでも大したものだ。何をそんなに皆でけなす必要があるのかね。ところで、Sprechen Sie Deutsch? (君はドイツ語が話せるの?)」

「……Ja(はい)」

「じゃあ、後でゆっくり話そう。わたしも英語でぺらぺらお喋りするのは苦手でね」

オイラーは片目をつぶって見せると、接続ミッションの段取りについて話題を変えた。

ヴァルターは席に着き、自分で作成した企画書をじっと見つめていたが、その顔は怒りと恥辱で今にも火が噴き出しそうだった。

だが、アルは気にしない。

これだけインパクトが強ければ、物覚えの悪い重役も、顔だけは脳裏に焼き付く。顔を覚えてもらえば、次にまた何かを仕掛ける時、アプローチしやすくなる。それが格段に進歩すれば、「勉強熱心な若者」と今度は好意を持って受け入れられるだろう。

(さて、どうしたものか)

何とかあの男の心を開き、「これこそアステリアの未来図」と『リング』を自分の所に持って来させたいが、そう簡単ではなさそうだ。あの強情な面構えと、意外と臆病な一面を見る限り、『リング』は彼の心の一番深い所にある。よほど強い動機と目的意識が無ければ、誰にも話そうとはしないだろう。

アルはちらと娘を見やり、こちらも筋書き通りにはいかんものだと溜め息をついた。

リズは口元に淡い笑みを浮かべ、ホステス役をそつなくこなしているが、時折、放心したように宙の一点を見つめ、長い睫毛を淋しげに伏せる。あんな男のどこがいいのかと詰め寄りたくもなるが、まあ、気持ちは分からないでもない。手の早い優男だが、確かに頭は切れるし、勤勉でもある。

だが、今夜、あの男が拗ねて来ないのは大正解だ。このまま放っておけば、「ハンサムな海賊さんのお嫁さんになるの」などと本気で言い出しかねない。たとえ運命がそれを望もうと、それだけは絶対に許さない。そして、もう二度と逢わせてはならぬと自分に言い聞かせ、インダストリアル社のロイス副社長と個人的な話をする為、いったん宴会場の外に出た。

ビール腹のオイラーさん ~王子様はどこに?

一方、リズは、最後のデザートが終わり、両隣の招待客が気分転換に席を立つと、ふーっと大きく息をついた。

自分も父や伯母のように仕事や社会情勢の話もしたいが、役員らの関心事はリズのファッションだったり、異性の好みだったり、とても一人前に見られているように思えない。もっとも相手が『アル・マクダエルの娘』となれば、突っ込んだ話をするわけにもいかず、お洒落やグルメのように無難な話題でやり過ごすしかないのだろうが。

だとしても、綺麗に着飾って、にっこり微笑んでおればいいというのも虚しい。それとも、私は何の見識も持たない「お人形さん」と思われているのだろうか――。

その時、「ご一緒してもよろしいですか」と声をかける人があった。

マルティン・オイラー氏だ。

今まで個人的に話したことはないが、MIG執行委員の催しで何度か顔を合わせたことがある。「german goiter(ビール腹)のオイラーさん」と誰からも慕われ、内外の信頼も厚い。MIGの広報誌でも、トリヴィアの経済的展望や海台クラストの採鉱について読み応えのあるコラムを寄稿し、父とはひと味違う見識を持っている。

リズが慌てて顔を繕い、「もちろんですわ」と微笑んで見せると、オイラーは隣席に腰を下ろし、「周りはおじさんばかりで、君も退屈でしょう」といたわった。

「いいえ。そんなことありませんわ。いろいろ為になるお話が聞けて、とても勉強になります」

「いいの、いいの、無理しなくても。うちにも君と同じ年頃の娘が二人もいるからね。可愛いお嬢さんの気持ちは少なからず分かるつもりだよ」

オイラーが優しい父親の口調で答えると、リズも頬を緩め、

「よかったら、カクテルでもいかがです。私も少し甘いお酒を頂こうかと思って」

「もちろんです。でも、わたしはビールを頂きますよ。ギネスビールを、ちょっとばかり」

オイラーは給仕を呼ぶと、リズにはミント味のグラスホッパー、自身にはギネスビールを注文した。

程なく飲み物が運ばれてくると、二人は軽くグラスの縁を合わせ、

「いつもMIGや父の為に尽力下さり、本当にありがとうございます」

「いえいえ、礼を言うのはこちらの方です。工学部では課題をこなすのに四苦八苦、MIGもどうにか就職試験に合格して、さほど自身に期待していなかったのですが、これほどやり甲斐のある仕事を任せて頂けるとは夢にも思いませんでした。プラットフォーム建造中の数年は本当に大変でしたが、他人の倍ほど濃厚な人生を生きさせてもらっているように感じます」

「そう言って頂くと、父も私も幸せです」

「だけど、こんな所でお嬢さんにお目にかかるとは思いませんでしたよ。お父上は決してアステリアに来ることをお許しにならないだろうと思っていました」

「どうしてですの?」

「海を見たら、きっと帰りたくなくなる」

リズは目を伏せ、まったくその通りだと痛感した。朝目覚めた時も、夜眠りに就く時も、いつも瞼に海の面影がある。

オイラーはそんな彼女の胸中を汲むように、「そういえば、重役会議であなたにぴったりの王子さまを見ましたよ」と切り出した。

「あなたより少し年上だけど、背が高くて、ハンサムで、一本芯の通った青年です。ここに来ていたら、あなたのいい話し相手になったでしょうに」

リズが水色の瞳を見開くと、オイラーはにこにこしながら、

「もしかして、既に面識があるのかな。名前は確かヴァルター・フォーゲルといった」

「ええ、あの……何度かお目にかかりましたわ」

リズの頬に赤みが差すと、オイラーも父親のような笑顔を浮かべ、

「颯爽とした、頭のいい青年ですね。度胸もあって、居並ぶ重役を相手に堂々とプレゼンテーションをした。アステリアに来て、まだ一週間ほどなのに、現場の問題も把握して、その対策を理路整然と説明できる人も珍しい。エンジニアリング社のベテランでも、ああはいかないでしょう」

「そんなにお上手でしたの?」

「ええ、お嬢さんに見せてあげたいほどでしたよ」

「そうですか……」

リズは何気に答えたが、胸の高鳴りを抑えることはできない。

その時、コンシェルジュが恭しく彼女に近づき、銀のトレイに載ったメモを差し出した。

たちまちリズの指先が震え、息も止まりそうになる。

リズは残りのグラスホッパーを飲み干すと、胸の動揺を抑えながら、

「あの……申し訳ありませんが、少し中座させて頂きます」

と席を立った。

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宇宙文明の根幹を成すレアメタルと海洋社会の覇権を懸けて水深3000メートルの深海に挑む。
リストラされた潜水艇パイロットが恋と仕事を通して再び生き道を得る人間ドラマです。
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