この会社で働いていると胸を張って言えるのか ~経営者の倫理と法令遵守

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 ウェストフィリア・深海調査 ~二回目の潜航 (3)
STORY
海洋調査が進む中、ファルコン・マイニング社のファーラー社長が視察にやって来る。自社の従業員もモノとしか思わぬ態度に、あんたの会社に『わたしはマイニング社で働いています』と胸を張って答えられる従業員がどれだけいるんだとヴァルターは詰責するが、ファーラーは決して考えを変えようとしない。

その後、オーシャン・ポータルに記事を追加する為、格納庫のワークステーションで二時間ほどLeopardに向かっていた時、ブースの向こうからフーリエが声をかけた。

「ハヤブサの親玉が来たぞ」

Leopardの天板を閉じ、フーリエと一緒に右舷通路に出てみると、カーネリアンⅡ号から一〇〇メートルほど離れた沖合にローランド島のペネロペ湾で目にした海底資源調査船『ラムダ・ノヴァ』が漂泊しているのが目に入った。船首部のヘリポートに数人乗りのコンパクトな垂直離着陸機が停まっているところを見ると、どこかの洋上で合流したのだろう。

それにしても、船尾から二十本以上のストリーマーケーブルを同時に曳航できるハーモニカのような開口部を間近で見ると、なかなか迫力がある。航続距離が伸びれば、アステリアの海洋資源探査も弾みがつくに違いない。

「だが、なぜこんな所に漂泊してるんだ」

「オーシャン・リサーチの代表と話し合いをするらしい」

「話し合いなら、オンライン会議で出来るじゃないか」

「直に指示して、威圧感を与えたいんだろ」

「威圧感を与えたところで、火口から石油が噴き出すわけじゃなし。むしろスタッフを意気消沈させて、調査にも差し支えることがどうして分からんのかね」

「それが分かるくらいなら、企業としてここまで悪評も立たんさ」

フーリエが小鼻を膨らませると、背後から甲高い足音が聞こえ、オリアナが権高に言った。

「ファーラー社長があなたと話をしたいそうよ」

オリアナは(ざまみろ)と言わんばかりに口角を吊り上げたが、

「それは光栄だね」

彼は淡々と答えた。

「で、何が聞きたいんだ? プロテウスの性能? それとも海底火山の成り立ち?」

「突っ張らなくていいのよ。内心、びびりまくってることぐらい、私にも分かるから」

「そうだね。だが、俺も本気で怒ったら、相手が女だろうが、社長だろうが、喉笛に食らいつくぐらいのことはするよ」

オリアナは、一瞬、射すくめられたように顔を強張らせたが、

「行きましょう。連絡用のテンダーボートが待っているわ」

彼を伴い右舷のタラップに急いだ。

*

その頃、ファーラーは役員室のプレジデントデスクで、秘書が寄越したレポートに目を通しながらヘーゼルナッツ風味のカフェオレを飲んでいる。たっぷり砂糖を入れた、濃厚な飲み物がファーラーのお気に入りだ。

こちらの指示通りに調査を進めているオーシャン・リサーチ社やカーネリアンⅡ号の運航スタッフはさておき。気に入らないのは、開発公社の広報部がほとんど独断でオーシャン・ポータルへの投稿を許可したことだ。今頃、あの鼻づまりのオランダ人が爪楊枝みたいな小娘と手を取り合い、自らの正義を称え合っているのかと思うと癪に障って仕方ない。父ドミニクの代ならば、とうの昔に鼻を削ぎ、娘も二度と人前に出られぬような恥辱を味わっていただろうに。

加えて腹立たしいのは、開発公社の内部にも、企業責任だの、説明義務だのに同調している者がいることだ。先日も開発公社の理事や幹部の数名が区政の代表者を交えてあの小娘と意見交換し、「アステリアで産業活動するなら区民の理解と協力を得ることは不可欠」と公言したとも聞く。色爺いどもが、ジャンヌ・ダルク気取りの小娘に鼻の下を伸ばす様が目に浮かぶようだ。

今からでも広報部に圧力をかけて止めさせたいが、開発公社においてはロバート・ファーラーも理事の一人に過ぎない。理事会にはGPオイルやスタットガスなど、エネルギー業界の重鎮が名を連ねているだけに、ファーラー一人が睨みを利かすわけにもゆかず、たかが個人のウェブサイトに目くじらを立てていることが知れたら、かえって沽券にかかわる。

だからといって、彼らの好きにさせておけば、労働組合や環境保護団体を増長することにもなりかねず、その対策費もバカにならない。奴らときたら、ろくに鉱業も知らないくせに、ちょいと労働者の居住区から有害な成分が検出されただけで、鬼の首でも取ったように騒ぎ立て、学者が論理的に事情を説明しようとしても、陰謀論で一蹴してしまう。そのくせ最新式の通信機器や家電製品が売りに出されたら、いの一番に買いに走り、自らが鉱業問題の一端を担っているなど考えもしない。この上に、ウェストフィリアでも悪徳代官のように糾弾されたら、父の代とは違って、温厚路線で名誉を取り戻そうとしているファーラーの企図も水泡に帰す。

ロバート・ファーラーは苦々しく息を吐くと、いつものように高級ビロード仕立ての紺のジュエリーケースを取り出した。青い貴石(ブルーディアナイト)を取り上げ、船窓から差し込む日の光にかざしてみると、陰気なウェストフィリアの空の下でも煌めくような六条の星彩効果(アステリズム)を浮かび上がらせる。それが人工照明の下では愛らしいピンクパープルに色合いを変えるのだから、まったく自然の妙としか言い様がない。

だが、何と言っても魅力的なのは、純度九九・九九パーセントのニムロディウムから構成される針状結晶だ。酸化もせず、硫化物でもなく、まるで宇宙の精霊のように青い石の中に閉じ込められている。神秘的な輝きを見る度、このところずっと伸び悩んでいる人工宝石の事業が否応でも頭に浮かんだ。

ファルコン・マイニング社がファッションブランド《マニュエル&マクローリン》と資本・技術提携したのは一五五年のことだ。マニュエル&マクローリンは若い女性をターゲットとしたイメージ戦略で売り上げを伸ばし、ファッションジュエリーの代名詞として絶大な人気を誇ってきた。

しかし、裏で流通している加工宝石を正規品に紛れ込ませるのが年々難しくなり、闇業者も彼らの弱みを知って、ここぞとばかり高額のコミッションを要求してくる。それもこれも、あの女狐、ダナ・マクダエルが宝石協会のスポンサーになり、女性客の啓蒙のみならず、悪徳業者の取り締まりにも乗り出したからだ。

「ジュエリーは宝石協会の正規加盟店で購入しましょう」

「本物のジュエリーを見る目を養いましょう」

「合成宝石や加工宝石の偽保証書や不正価格に気をつけて」

近頃は、マニュエル&マクローリンに対し、「これは模造品ではないか」というクレームを入れる客も後を絶たず、イメージ回復の宣伝費やカスタマーサービスの対策費も馬鹿にならない。なんでもかんでも模造と騒ぎ立てる消費者に、天然石に色彩の改善を目的とした加熱や放射線照射、ワックス処理などを施すのは合法であり、採掘の人件費やカッティング等の費用を含めばこの値段は適正だと何度説明しても、「詐欺だ」とヒステリックにわめき散らし、すぐに消費者団体に駆け込んで問題を大きくする。

ここ数年はマニュエル&マクローリンのクリスマスセールに女性が殺到することもなく、「小さくても、天然石」を持つことがお洒落になりつつある。一部では、自分で原石を購入し、名指しの研磨士にカッティングさせる『オリジナル・ジュエリー』がステータスになっているとか。この世に一〇〇パーセント天然の宝石など、それこそ希有であり、装飾品にふさわしい色艶を醸し出すには「良心的な加工」は必須なのに、加工は悪と決めつけ、「天然」というただ一点に拘る正義派気取りの馬鹿女どもだ。

それもこれも、あの女狐が啓蒙キャンペーンなど仕掛けるからだ。宝石協会からはずいぶん受けがいいが、あんなものは正義を気取った営業妨害に他ならない。啓蒙キャンペーンも、かえって無知な消費者を増やしただけで、昔からまっとうな加工技術で美しい宝石を市場に送り出してきたメーカーが変に誤解される要因にもなっている。

それにしても、あの噂は本当なのか。『ネンブロットの蛇』が二十も年の離れた少女に懸想し、破廉恥に及ぼうとした時、タヌキの弟に「恥を知れ!」と叱責されたというのは。

ファーラーも側近から聞かされた時、(まさか)と思ったが、今もあの女がTVに映る度、食い入るように見ている蛇の姿を見ていると、あながち噂でもないように勘ぐってしまう。

蛇のいやらしさはファーラーの母親に対しても同様で、薬物中毒で病院に収容されるまで性の玩具にされていた。時々、手首や首筋に痣が付いていたのはそれが理由と気付いた時、自分が蛇の胎(はら)から生まれたようなおぞましさを覚えたものだ。世界中を魅了した美しい女優だったが、最期は土気色の骸骨に成り果て、息子の顔も分からぬまま死んでいった。蛇の情けで私生児だった息子を引き取り、自分の後継者として育てたが、それですっかり罪が贖われるわけでもない。もっとも、蛇に食い物にされた女性は母一人ではなく、お腹の子もろとも闇に葬り去られた者もいることを思えば上等だが。

悪行の限りを尽くした蛇の負の遺産は計り知れず、これから一つずつファーラーの手で是正せねばならない。

これ幸いに辞職する役員も後を絶たず、崖っぷちの内情が世間に知れるのも時間の問題だ。

その為にも、純度九九・九九パーセントの針状結晶を作りだす『何か』を突き止め、商業規模の鉱床が存在するなら、いち早く手中に収めねばならない。それが海の底であれ、北の極地であれ、ファルコン・マイニング社の卓越した技術は必ずそれを掘り出すだろう。

ファーラーは再びブルーディアナイトを天日にかざすと、海のような輝きに見入った。小指の頭ほどの貴石だが、その内部には、この宇宙を支配するほどのエネルギーが秘められている。女が泣き叫ぼうが、人の血が流れようが、ファルコン・マイニング社の威光の前には塵ほどの価値もないように感じた。

不意にデスクのインターホンが鳴り、女性事務員が来客を告げた。

アル・マクダエルの飼い犬か――。

ファーラーは回転椅子ごと向きを変えると、彼を迎え入れた。

木訥とした表情で入ってきたのは、思ったよりハンサムで体格のいい男だった。ぶっきらぼうに前髪を伸ばしているが、碧い瞳は冴え冴えと輝き、一目で知能の高さが伺い知れる。そのくせ口元には甘やかな優しさがあり、タヌキの娘が夢中になるのも頷ける話だ。

まじまじと彼の顔を眺めていると、

「あんた、けっこう、綺麗な顔をしてるね」

と先方から口を開いた。

「もっと、あくどい面構えを想像してた」

「それは光栄だ。わたしもイメージで語られることが多くて、困惑している」

ファーラーは回転椅子から立ち上がると、「ロバート・ファーラーだ」とデスク越しに手を差し出した。

彼も握手で返し、「ヴァルター・フォーゲル」と名乗ると、

「堂々と本名を名乗ればいいじゃないか」

ファーラーは薄笑いを浮かべた。

「君にもその資格はあるんだ。何を勿体ぶることがある」

「勿体ぶるも何も、俺はグンター・フォーゲルの息子で、それ以上のものでも、それ以下のものでもない。他から何を受け継ごうと、俺は父の名を大事にしてるだけの話だ」

「父親思いだね」

「あんたの父親は?」

「いるよ。世界中の誰もが知ってる。ファルコン・マイニング社の名誉会長だ」

「だったら、長寿だね。羨ましいよ」

「そうかね」

「羨ましいよ。生きて何かを成す以上に価値のあることはない。志半ばで命を絶たれた俺の父はさぞかし無念だったろう。それに引き替え、あんたの父さんは他人の倍ほど長生きして、世の中をひっくり返すほどの権力も財力も持っている。俺の父にそれほどの運と力があれば、洪水も指先一本で堰き止められただろうに」

「君の父君はさぞかし立派なんだろうね。息子が心酔するほどに」

「その通りさ。立派すぎて、天にも深く愛された。もっと自分本位に生きれば、天国の門も叩けず、百歳まで長生きできただろうに」

「つまり、わたしの父は、天にも上がれないほど欲深いということかね」

「地べたを這ってる人間はみな似たり寄ったりさ。俺も非を挙げればキリがない。だが、まだこの世に生きているということは、何かを成すチャンスが与えられているということだ。開発公社も良い方に力を使えば、万人の役に立つ。それもこれも、あんた達、トップの人間の腹ひとつだ」

「いきなり説教かね」

「説教じゃない。進言だよ」

「今、君と道徳について語り合っている暇はない。私も多忙な身でね。単刀直入に話そう。思うに、君は少々独善的で、誤った価値観に取り付かれている。その事をもう少し自覚してもらえないかね」

「誤った価値観?」

「企業には企業の方針があり、何を為すべきかは企業のトップが考える。経営権も地位もない人間にあれこれ口を挟む筋合いはない。まして君は行政の責任者ではないし、アステリアの区民でもない。いったい、どんな権限があってウェストフィリア開発に首を突っ込むのかね」

「それは、あんた達が本来やるべき事をやろうとしないからだよ。俺もここに来るまでは一方的に物を見てた。だが、先入観を抜きにすれば、ウェストフィリア開発にも意義があると思い始めている。万人の役に立つと分かれば、人々も協力するだろう。同じ取り組むなら、正しい方向を目指して欲しい」

「だから、それが独善的だと言ってるのだ。正しいか、正しくないかは、我々が判断することだ。君が決めることじゃない。まして我々の代わりに広報してくれなどと、誰も頼んでない」

「俺一人が声を上げてるわけじゃない。社会の在り方に疑問を感じ、情報共有や企業説明の必要性を訴えている人は他にも大勢いる」

「だったら、なおさら事前に話し合いを持つべきだと思わないかね」

「問い合わせなら何度もしたさ。開発公社だけでなく、区政の窓口や海洋調査の関係者にも。それから、もう一人のミス・マクダエルにも、開発公社の担当者と話をさせて欲しいと何度もお願いした。話し合いに応じなかったのはそっちだろう。俺もオーシャン・ポータルを使って、あんた達の悪口を書き立てようなど微塵も考えてない。単なる絵日記だよ。調査の模様やウェストフィリアの風景を写真とテキストで綴る。ウェストフィリアがどんな所で、海洋調査には何が必要か、何をどんな風に調べるのか、一般にも親しみやすい形で紹介するだけだ」

「そして、無知な大衆を扇動するのが君の得意技だ。お得意の詩的な言い回しで、権威に噛み付き、有名人をこき下ろすことに快感を得ている。だが、そんなものはただの怨念だ。正義でもなんでもない。天下のファルコン・マイニング社に頭を下げさせれば、自分も大物になった気がするだけだろう」

「俺はそこまでさもしい人間じゃない」

「じゃあ、正義の人か」

「俺はただ、父が生きていたら『きっとこうしただろう』と思うことを実践しているだけだ」

「その父親が間違いだったら?」

「父が間違いかどうかは関係ない。俺がどう解釈するかの問題だ」

「もはや信仰だな。だが、そういう事は自分の中だけに留めておけばどうだ? 我々には我々のルールがあり、仕組みがある。君などに到底、理解できる話ではない」

「俺はあんたたちの社会やルールを根こそぎ変えようというわけじゃない。あんたの商売を妨害する気もなければ、横取りする気もない。俺はただ、一般人にも海洋調査や情報共有の重要性を理解してもらい、可能性に満ちた社会を作って欲しいと願ってるだけだ」

「結果的に我々の商売の邪魔になるなら同じことじゃないかね」

「なぜ一方的に邪魔と決めつける? もしかしたら、開発公社の活動にもプラスになるかもしれないのに」

「我々にどんな得があると言うんだね」

「理解が深まれば、人と技術が育つ」

「理想論だ。海洋調査や情報共有の重要性を理解したところで、明日にも何かが変わるわけではない」

「どうして? 会社の基本だろ? まさか、あんた一人で探鉱から製錬までやるわけじゃなし、人を使うなら、人を育てるのは当然じゃないか」

「世の中、真面目で勤勉な人間ばかりではない。人並みに給料をやっても、あわよくば、楽してさぼろうという働き手が大半だ。そんな連中に立派な理念を説いて聞かせても、明日の朝にはきれいさっぱり忘れてる。期待する方が無駄というものだ。正直、会社というものは、一握りの秀才がいれば事足りる。あとは決められた事を決められた通りにやる兵隊がおればいい。この世の八割の人間は切り捨てるぐらいの気持ちでないと、とてもじゃないが経営など成り立たない」

「それが、あんたの会社で働いている従業員に対する気持ち?」

「彼らには人並みに暮らせるだけの給料をやっている。その人件費も、突き詰めれば、捻出しているのは、このわたしだ。一生感謝されてもいいぐらいだ」

「給料が全てじゃない」

「全てさ。それ以上に、会社に何を望む? 社長に頭を撫でられたら満足するとでも? 賞状か金一封か、どちらか選べと言われたら、九十九パーセントは後者を選ぶだろう。そして、わたしは九十九パーセントが満足するだけの給金を与えている。本当にファルコン・マイニング社が悪徳企業というなら、なぜ彼らは辞めない? よそへ行っても、それ以上のものは得られないからだろう。つまり、そういうことだ。悪の手先と言われようと、従業員の大半は名誉より給料を選ぶ。わたしはその現実を理解し、合理的にやっているだけの話だよ。人材だの、技術だのは、報酬に付いてくるものだ。理念じゃない」

「だったら、あんたの会社が悪徳企業と呼ばれ、それが売り上げにも響いているのはどういう訳だい。『金が全て』の人間ばかりだから、MIGにも技術で出し抜かれたんだろう。仮に採鉱量が減って、給与にも響けば、今までおべんちゃらを口にしていた重役も、蜘蛛の子を散らしたように逃げ出すさ。我が身を捧げても会社再建に尽くそうなど、夢にも思わない。いったい、あんたの会社に『わたしはファルコン・マイニング社で働いています』と胸を張って答えられる従業員がどれだけいるんだ? 自分まで環境破壊の片棒を担いでいるように見られて、肩身の狭い思いをしている人も多いんじゃないか。あんた、社員にそんな思いをさせて、恥ずかしくないのか? 採鉱プラットフォームでは、司厨部の下働きでもどこか誇りを持っていた。自分はアル・マクダエル理事長の下で働いている、世界があっと驚くようなプロジェクトの一端を担っているという自負だ。だが、ファルコン・マイニング社ではどれほど真面目に勤めても、世間に冷たい目で見られるだけ、社長にはゴミか部品のように扱われ、人間の尊厳の欠片も無い。それでも会社にしがみつくのは、既に家のローンを組んで、身動きがとれないからさ。そんな哀れな従業員があんたや会社に一生感謝するとでも?」

「自分の仕事に対する誇りは個人の責任だ。わたしが与えるものではない」

「だとしても、従業員に対する社会の評価は社長の責任だろ」

「どういう意味だね」

「俺が初めて採鉱プラットフォームを訪れた時、理事長が通りかかると、誰もが作業の手を止めて会釈した。中には、わざわざヘルメットを脱いで挨拶する人もあった。何も聞かなくても、皆この職場が好きで、それぞれの任務に誇りをもっている様子がひしひしと感じられた。あんた、鉱区に顔を出しても、誰一人、会釈なんかしないだろう。いつもボディガードに護られて、防弾ガラス付の後部座席で亀みたいに首をすくめて視察してるんじゃないか? そんなので社長をやって楽しいか? 陰で憎まれ、蔑まれ、力で不満を押さえつけるのがあんたの人生か? やろうと思えば、今からでも方向転換はできる。少しでも改める勇気を持てば、世間は拍手喝采であんたを称えるだろう」

「君の理屈で会社が回るなら、みなビジネススクールではなく、教会に行くだろうな」

「だが、現実的な話、あんたの会社は技術でも信用でも、完全にMIGに負けてるじゃないか」

さすがにファーラーの口元が引き攣ると、彼も態度を改め、「お願いします、社長」と頭を下げた。

「どうか社会の要望をご理解下さい」

「君の進言は考慮しよう。わたしも宇宙文明の礎を担う人間だ。父のように利益第一にするつもりはない。ともかく、今後、勝手な真似は謹んでもらえないかね。広報が必要なら、それは君でなく、開発公社の担当が考えることだ。君の出る幕ではない」

「その担当が動かないから、動いてもらえるように俺が働きかけているんだよ。やるべき事をやってくれたら、俺も口出しはしない」

「君も頑固だな。そうまできかん気だと、何所へ行っても、爪弾きにされるだろう。君を見ていると、坑道の岩盤を思い出す。奥まで順調に掘り進めても、たった一つの岩に行く手を阻まれるんだ。そういう岩はどうするか知ってるかね? 昔は爆薬で破砕していたが、今は高性能のレーザーで効率よく除去することができる。利益を求める者の執念は、岩の自我よりよりはるかに強い。君もそういう現実から学ぶべきだ」

「それは脅し?」

「脅しなどと、人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。いつ、わたしが君を脅迫したかね」

「こうやって地位のある人間が、抗う術もない下っ端を個人的に呼び付けて、岩盤の破砕に喩えるなど、立派な脅迫じゃないか。大体、広報の在り方について論ずるのに、身上調査は必要ないだろう」

「見ず知らずの人間を個室に呼び出すんだ。ある程度、その人となりを調べるのは当然だよ。時に、マクダエル社長のお嬢さんは元気かね」

「それとこれと、どんな関係が?」

「美人で聡明な娘さんだ。鉱害病の高度医療センターを設立する時も、熱心に募金活動に取り組んでおられた。マクダエル社長が久しく公式の場に見えられないので、もしや、ご難でもあったのではないかと気懸かりでね。父親思いの娘さんだ。何かあれば心労もひとしおだろう」

「だったら、ミス・マクダエルに気遣いの手紙でも出せばいい。心のこもった見舞いなら、彼女だって喜ぶ」

「あんな可憐なお嬢さんが、父親ほど年の離れた男に手紙をもらって嬉しいものかね」

「だが、もう一人のミス・マクダエルとは気兼ねなく付き合えるだろう?」

だが、ファーラーはそれには答えず、

「お嬢さんもアステリアに来て、伸び伸び過ごしておられることだろう。君も知っての通り、エルバラードも治安が悪化して、セキュリティの行き届いた高級住宅街でも女性の一人歩きは危険なほどだ。だが、アステリアにはまだそのような不安はないのか、時々一人で車を運転しては、区政センターやアライアンスセンターに精力的にお出かけと聞いた。確か、赤いOPERAだ」

「……」

「初めて顔色が変わったな」

ファーラーは薄笑いを浮かべた。

「気をつけた方がいい。近頃は道を尋ねる振りをして、サイドウィンドを下ろした途端、銃を突きつけるたちの悪いのもいるからね。護衛も付けずに娘を一人で外出させるとは、マクダエル社長もずいぶん甘くなられたものだ」

「即ち、俺があんたの言うことを聞かなければ、ミス・マクダエルに危害を加えるという脅しかい?」

「忠告してるんだよ。君はトリヴィアやネンブロットに巣くう犯罪組織の恐ろしさを知らないだろう。先日も二十歳の美しい娘さんが、目隠しをされたまま高速道路に置き去りにされる事件があった。パニックを起こした娘さんは車道に飛び出し、後続車に次々に跳ねられて、無残な姿で病院に運び込まれた。父親は警察庁の高官だったが、気の毒なことだ。いずれアステリアにもそういう連中が入ってきて、美しいお嬢さんを付け狙う。もしかしたら、既にそこら中に居るかもしれない。彼らはやり過ぎるので有名だ。時には命を取る必要のないものまで手にかける事がある」

「ダニエル・リースみたいに?」

「どういう意味だね」

「マグナマテル火山の洞窟で硫化ニムロディウムを見つけた鉱物学者の息子だ。暴漢に襲われて、命を落としたと聞いている」

「何のことか分からんね」

ロバート・ファーラーは眉一つ動かさない。

彼もまたそんなファーラーの顔をじっと見つめていたが、

「これ以上、あんたと話しても建設的な方に向かいそうにないから、俺もそろそろ引き上げるよ。船に戻って、やりたい仕事があるんでね」

「それは残念だな。せっかく開発公社の関係者に君を紹介しようと思っていたのだが。簡素だがブッフェも用意させている。軽食でも取りながら、今後のことを話し合おうじゃないか」

「ご厚意には感謝するよ。だが、どうせ話すなら、公式の場で話したい。後で『そんな約束をした覚えはない』と手のひら返したような扱いは受けたくないんでね」

「ずいぶん疑り深いな」

「俺も多少は利口になったということだ」

「それは結構なことだ」

「ついでといってはなんだが、今の会話、全部録音させてもらったよ」

彼はカジュアルチェックのシャツの胸ポケットから、長さ一センチほどの録音用マイクを取り出して見せた。

ファーラーの顔がみるみる気色ばみ、歪んだ本性が露わになった。

「海洋調査のレポートを書くのに購入したものだが、思わぬところで役に立った。時に過去の失敗はいろんな知恵を授けてくれる」

「貴様、いい加減にしろ」

「ジークフリートの背中を刺すか? だが、その時にはギービヒ家もライン川の氾濫に呑まれて、一巻の終わりだ。あんたもワーグナーぐらい知ってるだろう。『神々の黄昏(Twilight of the Gods)』というやつさ。あんたも誰かの大事な黄金を隠し持っているなら、潔くライン川の乙女に返した方がいい。ライン川の乙女には宝でも、不当に手にした者には呪いでしかない。それでも、あんたが本気でアステリアの発展に寄与してくれるなら、俺はいつだってあんたの友人になるよ」

彼は廊下に出ると、録音データを再生し、予想以上にクリアな音質で録音されているのを確認した。あの時も、ウデル・ローゼンブルフとの会話が保存されていたら、もっと違った展開があったかもしれない。

そうして階段の手前まで来た時、下層階から上がってきたオリアナに出くわした。

彼と目が合うと、オリアナは横目で睥睨し、「それで、ロバート・ファーラーに言いたいことは言えたの?」と嬲るように言った。

「言うべきことは言ったと思う。案外、いい人じゃないか。俺はもっと禍々しい人物を想像してた」

「それはお目出度うと言うべきかしら」

「君もロバート・ファーラーの使い走りなどせず、その明晰な頭脳をもっと他のことに活かせばどうだ」

「余計なお世話よ。それに私は使い走りなどではないわ」

「自分でそう思いたいだけだろう。誰が見たって、君は使い走りだ。天より高いプライドをくすぐられて、都合よく利用されている。自分に何も無くても、主(あるじ)を選ぶことはできる。いつか風向きが変わった時、一番に泣きを見るのは君自身だぞ」

その時、通路の向こうでドアの開く音がして、ロバート・ファーラーが姿を現した。

彼とオリアナは反射的に壁際に移動し、ファーラーは二人の目の前を澄ました顔で通り過ぎた。その時、オリアナが粘つくような視線でファーラーの後ろ姿を追うのを彼は見逃さなかった。

やがてファーラーがオリアナに一瞥もくれずに通路の向こうに姿を消すと、彼はオリアナに向き直り、「君からも広報に協力するよう、頼んでくれないか」と優しい口調で言った。

「誰にでも名誉を回復するチャンスはある。君にも、ファーラー社長にも」

「そんなこと、何の意味があるの」

「本物の誇りを取り戻せる」

「……」

「俺は他のスタッフと一足先に調査 船に戻る。君も一緒に来い」

「なんですって」

「こんな所に長居しても、いい事など何一つない。傀儡みたいに利用されて、自分が惨めになるだけだ。今引き返せば、傷も浅くて済む」

「それこそ余計なお世話よ」

オリアナは踵を返すと、足早に通路の向こうに消えた。

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