不屈の闘志か、愛の力か ~青い貴石とインクルージョン

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 ウェストフィリア・深海調査 ~ブルーディアナイト(1)
STORY
北方の火山島ウェストフィリアの探鉱に向けて着々と準備を進める開発公社。その裏には豊かな鉱物資源を手に入れて、アステリアでの影響力を強めようとするファルコン・マイニング社の思惑があった。 深海調査を前に視察に訪れたロバート・ファーラー社長はある女性から強奪した青い貴石『ブルーディアナイト』に秘められたインクルージョン=元素鉱物ニムロディウムの発掘に野心を燃やす。

三月十二日、水曜日。

ローランド島東部のペネロペ湾に向かうエグゼクティブジェットのコンパートメントでは、ファルコン・マイニング社のロバート・ファーラー社長が高級布張りの快適なスリーパーシートで身体を休めながら、壁に取り付けられた大型スクリーンでアステリアの公共広告を眺めている。区政センターが産業振興の為に作成したプロモーションビデオで、観光、工業、海洋化学、新規産業の創設など、海洋都市の魅力と可能性を感じさせる内容に仕上がっている。

だが、ロバート・ファーラーがそそられるのは、こんな田舎くさいコマーシャルではない。『ブルーディアナイト』と呼ばれる美しい貴石だ。

ファーラーはいつも後生大事に持ち歩いているイタリアンレザーのアタッシュケースを開くと、紺のベルベットをあしらった細長いジュエリーケースを取り出した。そこにはプラチナの台座に収められた青いペンダントが今も恋人に思いを馳せるように輝いている。

女の小指のように円くカボションカット*1されたこの石は、海のように深みのあるロイヤルブルーで、光を当てると、まるで宇宙の深淵から光が差すように六条の星彩効果(アステリズム)が現れる。しかも光源によってロイヤルブルーからピンクパープルに色調が変わり、これまで国宝級の宝石を目にしてきたファーラーでさえ目を見張るほどの逸品だ。

しかも、この石は鉱業的にも計り知れないポテンシャルを秘めている。石の中に含まれる針状結晶(インクルージヨン)が純度九九・九九パーセントのニムロディウムで構成されているからだ。

通常、ニムロディウムは酸素と強固に結合した「酸化ニムロディウム」という形で存在し、単体のニムロディウムは地上には存在しないことで知られている。

だが、ウェストフィリアで採取されたこの石は、元素鉱物ともいえる高純度のニムロディウムを含み、生成の過程も、性質も、大きな謎に包まれている。研究が進めば、従来の定説を覆す画期的な発見になるだろう。

にもかかわらず、存在を公にできないのは、この貴石が暴力によってもたらされたものだからだ。

それはかつて美しい娘の胸元を飾っていた。

鉱物学者の恋人からの贈り物だ。

仕事を依頼された男は、ただ奪い取るだけでよかったのに、娘の美しさに獣欲を刺激され、四人がかりで暴行した挙げ句、一緒に居た恋人まで殺害した。

しかも生き証人である娘は冥界から蘇ったように強力な統率力を身につけ、タヌキの弟と一緒にファルコン・マイニング社に反旗を翻している。

今、ロバート・ファーラーの手の中にあることが知れたら、あの姉弟は悪魔の手を借りても事件に関わった者を裁きの場に引きずり出し、暴行の事実はもちろん、鉱業局員の買収、学界ぐるみの虚偽、脅迫、捏造の数々を白日の下に晒すだろう。たとえ刑事事件としては時効でも、一連の出来事が明るみに出れば、世間にどれほど糾弾されるかしれない。

(まったく、しぶとい)

ロバート・ファーラーは舌打ちすると、年々、評価が下がるニムロデ鉱山と、それに引き摺られるように失速するファルコン・マイニング社の現状を苦々しく思い浮かべた。

ノア・マクダエルが『真空直接電解法』に成功した事はまだいい。低品位のニムロイド鉱石に活路が開けたところで、ニムロデ鉱山やファルコン・マイニング社の地位は揺るがない。採鉱量、品質ともに、ニムロデ鉱山に勝るものはないからだ。

しかし、ニムロディウムがそれ以外の場所からもっと効率よく採掘できるとなれば、話は別だ。それが隕石であれ、海洋であれ、ファルコン・マイニング社には命取りになる。

ところが、あのタヌキは海台クラストの存在を突き止めたばかりでなく、ステラマリスでは商業的に失敗した採鉱プラットフォームを完成して、不可能を可能にした。その生産量は、ニムロデ鉱山に比べたら微々たるものだが、採掘の手法でも、精錬でも、鉱業的には計り知れないポテンシャルを秘めている。ファーラー一族に遠慮して誰も表立って言わないが、企業として負けたのは誰の目にも明白だ。

それでなくても、この十数年、技術特許の数、信用格付け、伸び率、あらゆる面で差を付けられ、昨年末はとうとう一流ビジネス誌が主催する毎年恒例の「会社ランキング」でMIGインダストリアル社とMIGエンジニアリング社が二位と六位にランクアップし、ファルコン・マイニング社とファルコン・スチール社は揃って圏外に弾き飛ばされた。おまけに顔だけが取り柄の青臭い社会評論家に「ファルコン・スチール社は買収を繰り返して図体だけ大きくなった会社。技術でここまで上り詰めたMIGインダストリアル社とは比ぶべくもない」と揶揄され、一から十まで癪に障ることばかりだ。

年明けには子飼いのエコノミストやジャーナリストに小遣いをやって、プラットフォームに不利な記事も書かせたが、話題になったのは、ほんの数日だけ。世間の関心はあっという間に大物政治家の愛人スキャンダルに移ってしまった。

おかげで社長としての力量まで疑われ、債権者や株主の中には「ファーラー一族の引責」を声高々に叫ぶ者まで出現している。だが、それは決してロバート・ファーラーの落ち度ではない。父ドミニクの代に海台クラストの採鉱計画を甘く見て、なんら手を打たなかったのが原因ではないか。

今では鉱業局も採鉱プラットフォームに期待を寄せ、トリヴィアの新規産業として積極的にPRしている。それだけでも十分、ファルコン・マイニング社の弱体化を世間に知らしめるようなものだ。

おまけに助っ人としてやって来た潜水艇のパイロットは、接続ミッションに成功しただけでなく、「海洋情報ネットワーク」だの「オーシャン・ポータル」だの、犬コロのようにちょこまか動き回り、今度はウェストフィリアの深海調査の実況を画策していると聞く。鼻づまりのオランダ人のくせに、野良犬みたいに骨一本で手なずけられ、今ではタヌキの娘と相思相愛だ。もっと派手に遊び回ってくれれば、大衆が喜びそうなスキャンダルを提供できるのに、酔いもせず、贅沢もせず、デートしても午後十時には中学生のカップルみたいにお別れのキスをして、それぞれの住まいに帰っていく。あのジャンヌ・ダルク気取りの小娘と、哲人ぶったタヌキの化けの皮を剥がそうと、情報屋にもずいぶんチップをはずんで身辺を探らせたが、めぼしいものは何一つ見つからず、彼らの名声は日に日に高まるばかりである。

と、その時。

コンパートメントのドアがスライドし、先月採用されたばかりの若い女性乗務員が銀のワゴンを押して中に入ってきた。二十七歳にしては老け顔で、胸も貧相たが、前任の四十過ぎの子持ち女よりはるかに新鮮で、若い女性らしい謙虚さもある。

乗務員はぎこちない手つきでエスプレッソに生クリームとキャラメルソースを添えた飲み物と、薄く焼き上げたアーモンドクッキーを差し出すと、他に御用はないですかと鈴のような声で尋ねた。ファーラーが艶美な笑いを浮かべると、彼女もまんざらでもなさそうに一重の目を潤ませた。

ハイティーンの生娘だろうが、七十代の老婦人だろうが、女の反応はみな同じだ。

五十二歳とは思えぬ引き締まった体躯に、金髪碧眼の貴族的な顔立ち。名誉会長ドミニク・ファーラーの次男というだけで無条件に敬意を払われ、生まれてこの方、遠慮も卑下も経験したことがない。金も権力も、世の男が望むほとんど全てを手にし、その気になれば、人ひとりの人生を握り潰すこともできる。

だが、ファーラーにもたった一つ、逆立ちしても手に入らぬものがあった。

人間としての名誉だ。

いかにロバート・ファーラーが覚えめでたいボンボン社長でも、周囲が彼個人ではなく、背後のハヤブサ・マークに頭を下げていることぐらい彼にも理解できる。

そうではなく、ロバート・ファーラーという一個人に対する敬愛が欲しい。

鉱業問題の公聴会や株主総会で被告人の如く弁明するのではなく、講演会を開けば名だたる経営者や文化人がやって来て、有り難がって話を聞くことである。

子飼いの新聞記者にファルコン・マイニング社に有利な記事を書かせ、不利な情報を揉み消すことではなく、一流出版社から経営哲学やバイオグラフィーを本にさせて欲しいとオファーを受けることである。

ネンブロットの支社を訪れる時も、強化ガラスに護られたリムジンの後部座席で亀のように首をすくめて乗り付けるのではなく、工場やオフィスに顔を出せば、作業中でも誰もが手を止めて一礼してくれることである。

だからといって、自分も繋ぎの作業着とヘルメットを身につけ、機械油にまみれた現場に足を運ぶ気などさらさらなく、従業員が暮らしを立てるために働くのは当然だと思っている。鉱害病について講釈されても、どうせ酒とドラッグで寿命を縮めるような連中ばかり、人並みに給料をもらえるだけ有り難いと思え、ぐらいにしか感じない。

それだけに、ペラペラと綺麗事を並べ立て、賢人だの、稀代の事業家だの、もてはやされるタヌキがいっそう癪に障る。

このままでは『トリアド・ユニオンの円卓』に就き、クレディ・ジェネラルの名誉会員に迎えられるも夢のまた夢だ。

ファルコン・マイニング社といえど、世界最大のメガバンク、クレディ・ジェネラルの財布の一つに過ぎず、数百年にわたり国際金融や政治を支配してきたトリアド・ユニオンの円卓会議のメンバーから見れば、ファーラー一族など地中から這い出した新興成金に過ぎない。ニムロデ鉱山を手に入れ、クレディ・ジェネラルに多大な利益をもたらしたにもかかわらず、彼らは「みなみのうお座」の経済発展に貢献した見返りに、多額の配分を与えても、円卓に就くことは決して許さなかった。

円卓に迎えられない限り、ファーラー一族も真に支配階級の仲間入りを果たしたとはいえず、それは即ち、「金はあっても統治者としての資格はない」と宣告されたようなものである。

その為にもウェストフィリア探鉱を推進し、ニムロディウムの巣を突き止めねばならない。何がニムロディウムの元素鉱物、即ちブルーディアナイトの針状結晶(インクルージヨン)を作り出し、ただの火成岩を青い貴石に変えたのか。たとえマグナマテル火山の奥深くであっても、ファルコン・マイニング社の卓越した技術は鋼のような岩盤も掘り抜き、全てを手中にするだろう。

『ネンブロットの蛇』と呼ばれたドミニク・ファーラーと異なり、次男のロバートは常識を弁えた紳士だ。形だけでも幾多の鉱業問題と向き合い、従業員の地位向上や労働環境の改善にも努めている。これらの功績をいつまでも無視し続けるほど、円卓会議のメンバーも傲岸ではないはずだ。

やがて眼下にペネロペ湾が広がると、ロバート・ファーラーも身を乗り出し、美しい半円形の海岸線に目を見張った。

湾岸開発は道半ばで、湾岸に点在する建設現場が歯抜けのように目立つが、工事が完了すれば、どこからでも海が一望できるモダンな商業地が誕生するだろう。

この島の商業性にいち早く目を付け、地価が現在の十分の一にも満たない頃に次々と用地を購入し、ステラマリスの建設業者や土地開発業者と手を組んで、ポートプレミエルのリゾート開発に乗り出したアル・マクダエルの行動力もさることながら、景観の美しい東側のペネロペ湾ではなく、ローレンシア島と向かい合った西側のポートプレミエルに照準を合わせたのも英断だ。航路の利便を活かして瞬く間に基礎工事を完了し、新たなコミュニティを作り出した。しかも開発事業が軌道に乗ると、その大部分を気前よく関連企業に売却し、再び採鉱プラットフォームに集中するという潔さである。

だが、このペネロペ湾も南方を大規模に埋め立て、大型タンカーも係留可能な高機能シーバース機能を拡張する上、一キロ先にはトリヴィアからの宇宙貨物船も離着陸可能な臨海空港を建設して、両側三車線の高速道路で繋ぎ、陸空海の複合一貫輸送が可能なシステムを作り出す予定だ。将来的には「空飛ぶクジラ」と呼ばれる大型宇宙貨物船『ギガント』も利用可能な海上施設を拡充し、ウェストフィリアの航路や空路を一つに束ねて、ローレンシア島の既存施設をはるかに上回る産業基地に発展させる計画だ。そうなれば、現在持ち上がっているパラディオン構想も具体化し、ウェストフィリア開発にも弾みが付くだろう。

眼下を見渡すと、新時代の幕開けを象徴するように、高さ一二七メートル、地上三十二階の『スカイタワー』がペネロペ湾の中央に水晶クラスターのようにそびえ立つ。規模においてはトリヴィアの超高層ビルと比ぶべくもないが、海の青を映し出すような全面ガラス張りの光沢は目を見張るものがある。

すでに名だたる企業や官庁がオフィス開きし、いよいよ進出の足掛かりが整った感がある。この上にウェストフィリア開発、そしてパラディオンが続けば、我々の側に大きく流れが変わるだろう。

ファーラーは青い貴石を光にかざすと、今も焦がれるように探し回っている女のことを脳裏に浮かべた。『百年に一度の美貌』と称えられ、今も女教皇のようにMIGを統率する女だが、その身はずたずたに汚され、再び世に出てきたのが不思議なくらいだ。

不屈の闘志か。

愛の力か。

だが、そんなものがこの世の何の役に立つ。

再び絶望に身を沈め、所詮、金と力が全ての現実を骨の髄まで思い知るがいい。鼻づまりのオランダ人と爪楊枝みたいなおぼこ娘もだ。

ロバート・ファーラーはほくそ笑むと、カップの底に残ったエスプレッソをぐうっと飲み干した。

ロバート・ファーラーを乗せたリムジンがスカイタワーの正面入り口に到着すると、五名の役員が丁重に出迎えた。

回転ドアから中に入り、三階吹き抜けのエントランスホールに姿を見せると、スカイタワーのオーナー社長をはじめ、湾岸開発の関係者や区政の上級役人、アステリアの産業界を代表する経営者らが顔を揃え、ここでも社長の威令が隅々まで行き届いていることに深い満足を覚える。

わざと厳めしい顔をしてエントランスホールを横切り、ファルコン・マイニング社の専用エレベーターの近くまで来ると、シャフトの前に黒いボディコンシャスのワンピースを身に着けたオリアナ・マクダエルが待ち構えているのに気付いた。

ファーラーと目が合うと、オリアナは恭しく頭を下げたが、シャフトの前から動く気配はない。

相変わらず物欲しそうな女だと思った。

一見、才色兼備のキャリアウーマンだが、華美な装いの下には底なしの欲望が渦巻いている。

タヌキの娘と同学年だが、爪楊枝みたいな生娘と違い、胸も尻も娼婦のように発達して、男の愉しませ方も知っている。行儀がいいだけの上流階級の子女や、妙に世間慣れした年増女に比べたら、適度に上品で、適度に利口、他の女にないユーモアや世知も持ち合わせ、寝ても喋っても飽きないお気に入りの一人だ。しかも、他は決して知り得ないマクダエル一家の事情にも通じている。

ファーラーがエレベーターシャフトの近くまで来ると、追従の役員らは距離を置いたが、オリアナは自らの存在を誇示するように一歩前に進み出ると、馴れた口ぶりで言った。

「長旅でお疲れでしょう。最上階のスカイラウンジにお食事の用意が調っています。VIP専用のウェルネスセンターではスパとマッサージも」

オリアナが上級秘書のような物腰で迎えると、ファーラーも要人らしく構え、

「それはお気遣いありがとう。君の言う通り、先に二時間ほど身体を休めるとしよう。予約してくれたホテルは気に入ったよ。全室オーシャンビューに、白いグランドピアノ付きのスイートルームとは洒落てるね。演奏する人も寄越してくれるのかい」

「最新式の自動演奏システムで手軽に音楽を流せますのよ。ジャズでもクラシックでも、お好みのままに」

「それは楽しみだね。わたしも今夜は予定があるからゆっくり過ごせないが、明日の午後九時以降は空いている。君も興味があれば豪華なオーシャンビューを見に来るといい」

「ありがとうございます」

オリアナが艶然と微笑むと、ファーラーも二人にだけ通じるものを口元に滲ませ、部下を引き連れてエレベーターに乗り込んだ。

目次
閉じる