宇宙開発と生命の選別 ~どの生物を残し、どの生物を見殺しにするか

この投稿は、海洋科学、鉱業、建築・土木をテーマにしたフィクションです。詳しくは作品詳細をご参照下さい。


第四章 ウェストフィリア・深海調査 ~潜航開始(2)
STORY
ついにウェストフィリアの深海調査が始まった。不安いっぱいの新米パイロットの補佐として、ヴァルターも潜水艇プロテウスに搭乗する。 同行するのは海洋学者のノックスだ。初めてウェストフィリアの海に潜るノックスは通称『宇宙人コード』について尋ねる。宇宙植民地で土着生物が発見された場合、何を保護し、何を見殺しにするか、人間の究極のエゴともいうべき法律だ。 一方、新米パイロットのユーリはヴァルターの指導のもと、マニピュレーターによるサンプリングに挑戦する。

程なくプロテウスの船体が揺れ、甲板後部から海上に大きく振り出されるのを感じた。

ノックスはまるで鉄の篭に閉じ込められたように身を固くし、操縦席のユーリも不安げに正面の覗き窓に顔を近づける。

「おい、外に気を取られずに、ソナーや水中データ伝送システムの動作を確認しろよ」

ヴァルターが声をかけると、ユーリははっと操作盤に向き直り、手元のメモを見ながら、計器類の確認を始めた。

やがて、プロテウスの上部に乗り移ったスイマーが突起金物から主索を外し、潜水艇が完全に切り離されると、「潜航」の指令を受けて、プロテウスはベント弁を全開し、あっという間に水中に没した。空が消え、水中に差し込む僅かな日の光さえも届かなくなると、たちまち宇宙の果てのような静寂と暗闇が彼らを押し包む。ユーリは操縦席で既に固まった肩と首筋をほぐし、ノックスは膝の上でモバイルPCを広げ、調査ポイントの確認を始めた。

*

今から36年前、165年5月24日から六月四日にかけて、『ローガン・フィールズ社』はトリヴィア政府のマッピング・プログラムに基づいて、ウェストフィリア東部沖の広域調査を行った。

その過程で、海洋調査船コンチネンタル号は、マーテル海岸沖の約1000平方キロメートルに渡って音響測深による調査を行い、平均水深3000メートルの海底に点在する奇妙な海山群に注目した。

その中の一つがメテオラ海丘だ。

マーテル海岸沖は、南北に延びるウェストフィリア海底山脈、それに連なるマーテル山脈と、東西に走る北冠状造山帯がト型に接するパワフルなポイントだ。その交点には標高4300メートルのマグナマテル火山がそびえ立ち、この地のエネルギーが凝集したような活発な火山活動を続けている。

メテオラ海丘は北冠状造山帯の最西端、マグナマテル火山から333キロメートル離れた沖合に位置し、粘土を左右に引き延ばしたような歪な形状をしている。頂上には巨大なU字型のカルデラを有し、海丘全体の大きさは東西26キロメートル×南北8キロメートルに及ぶ。

そして、六月一日、コンチネンタル号は熱水活動の兆候が見られる北側カルデラ壁や中央火口丘の周辺に有索無人探査機「ROV-ONE」を降下し、ビデオ撮影や堆積物のサンプリングを行った。

その過程で発見されたのが『ドーム』だ。

ドームは北側カルデラ壁の直下、カルデラ底から一〇メートルほど上がったところに形成され、直径一メートルほどの開口部と、その両側、そして下部にも小さな孔を有している。

だが、時間的な理由から精査は行われず コンチネンタル号はいったんローレンシア島の停泊地に引き返した。一ヶ月後、同じポイントにROV-ONEを降下した時には、ドームも開口部も跡形もなくなっていた。

それが今頃になって再調査の対象にされたのは、「付近の沈殿物や海水から高濃度のニムロディウムが検出されたから」。36年間もデータが非公開にされた理由は、「国家的資源戦略にかかわる情報だから」。

胡散臭いと思いながらも、カルデラ壁の斜面に形成されたドーム状の盛り上がりと、孔の奥深くから勢いよく湧き出す冷水、その内側に繁殖したバクテリアマットらしきものには興味がある。

海水のニムロディウムが何所からどのように供給され、どんな過程を経て海台クラストを形成するのか。そもそも、ニムロディウムがなぜステラマリスに存在せず、みなみのうお座星域でしか発見されないのか。ネンブロットのニムロデ鉱山にだけ集中的に高品位の鉱石が賦存するのか。確かな事は何一つ解明されていない。海台クラストの採鉱を受けて、ようやく政府や学術団体や資源エネルギー産業が重い腰を上げ、解明に取り組み始めたところだ。精査が進めば、いずれ世界があっと驚くような惑星の姿に出会えるだろう。

その最前線で海洋調査に立ち会えるのは、やはりパイロットとして気持ちが高揚する。

プロテウスは順調に潜航を続け、水深は既に1500メートルを超えている。目標の水深は約2500メートルだから、午前十時前にはカルデラ底に到着し、五時間は深海調査に充てることができるだろう。

しかしながら、メテオラ海丘のカルデラ底の大きさは3キロメートル×キロメートル。単純計算すれば、四万人が収容可能なサッカースタジアム500個分に相当する。また、「北側カルデラ壁の直下」といっても北側壁の長さは一辺7キロにも及び、高さも300メートル近い。真っ暗闇の中、僅かな光源とデータを頼りに直径一メートルほどのドームの痕跡を探し当てるなど至難の業だ。火口に置き忘れたジャケットを、真夜中に懐中電灯一本で探しに行くようなものである。これが海洋学者なら、ステラマリスと異なる海底地質のサンプルを持ち帰るだけで手を叩いて喜んでくれるだろうが、開発公社はそんな感じではない。まったく砂漠の砂でも噛んでろ、だ。

彼が苦々しい思いで自身のタブレット端末で四枚の写真を改めて眺めていると、

「君はあのドームをどう思う? 地底から水が湧き出して、バクテリアの巣になっているようだが」

とノックスが聞いた。

「あれと似たような熱水噴出孔や冷水湧出帯はステラマリスでもよく目にしました。でも、あれほど毛足の長いものは初めてです」

「確かにな。まるでイソギンチャクかミミズの巣みたいだ。アステリアは今まで一度も宇宙開発法に触れなかったのかい? 俗に言う『宇宙人コード』だ」

ノックスは宇宙開発法で厳しく定められている『土着生物保護法』のことを口にした。

今ではステラマリス以外の惑星や衛星でナノスケールの原始生物が見つかることは珍しくない。だからといって、ナノスケールの生命を発見する度に工事をストップしていたら、数兆とも数十兆とも言われる開発費が宙に浮く。ゆえに曖昧な線引きで「保護すべき生物」とそうでない生物種に区分けしている。「保護すべき生物」に指定されたものはラボラトリで厳重に保管され、場合によっては、開発予定区一帯が立ち入り禁止になることもある。

一方、無視された種はブルドーザーの下敷きだ。それが数十億年かけて独自の進化を遂げる可能性があったとしても、産業活動が優先される。ある意味、「人類の究極のエゴイズム」と言ってもいい。何をもって生命とし、何をもって保護の対象とするか、いまだに万人が納得するような論拠はない。その時々の権威者が科学的判断を下し、その解釈も開発業者の意向で大きく変わる。そして、一方的に線引きされた生命は宇宙の片隅で淘汰され、二度と再び本来の姿に戻ることはない。

「もし、アステリアの熱水噴出孔にも生物圏が見つかったらどうする?」

ノックスがシニカルに笑った。

「宇宙人コードで全ての産業活動に待ったがかかるな。開発者にとって恐怖の瞬間だ」

科学の発達に伴い、それまで生命の存続は絶対不可能と考えられてきた、超高温、超高圧、高酸性などの過酷な環境でも生育する細菌や単細胞生物――いわゆる「極限環境微生物」は数多く発見されてきた。深海でも、水深一万メートルの超高圧の海底や、摂氏数百度の熱水噴出孔といった、想像を絶するような環境で、チューブワームや目のないエビなどユニークな生物が独自の進化を遂げている。そして、アステリアの本格的な海洋調査はまだ始まったばかりだ。全海域をくまなく探せば、微生物とは異なる、大型の土着生物に出会うこともあるだろう。その時、開発公社や政府はどのような態度に出るのか。「自然と科学を愛する人にはウェストフィリアも真の姿を見せてくれる」というダナ・マクダエルの言葉が思い出される。

やがて深度計が水深1000メートルを超えると、ヘッドセットを通して後部指揮室のフーリエから呼びかけがあった。

「中の様子はどうだ?」

「みな大丈夫だ。落ち着いてるよ。もう十数分で海底面に到達する。現在位置を確認してくれ」

「北緯55。88、東経164。30、距離にして、東に50メートル、南に30メートルほどターゲットから離れているが、十分、アプローチできるだろう。外の様子はどうだ? ビデオの映像では割と均等に底面が広がっているみたいだが」

彼は目一杯、耐圧殻の壁に身体を寄せると、小さな覗き窓の向こうに目を懲らした。

「予想してたより、ずっと平坦な印象だ。一面に直径数センチから十数センチの小さな礫岩が転がり、その上に細かな堆積物がまんべんなく積もって、全体に白っぽく見える。今のところ、亀裂や窪み、マウンドのような地形の変化は見られない。水温も摂氏2.1度で一定している」

「こっちのモニターでも見てるよ。もう少し船首を左に向けた方がいい。うっかりすると目標の横を通り過ぎるぞ」

操縦席のユーリは現在位置を示す小さなパネルを覗きながら、あたふたとコンソールを動かし、「もう少し、って、どれぐらいですか? 5度ですか、10度ですか?」と神経質に繰り返す。

「そこまで厳密に調整しなくても、二十メートル内の誤差でアプローチできれば上出来だ。どのみちターゲット周辺の観察は必須だし、何かが見つかれば、そちらを優先することになる。そういう臨機応変さが有人調査の醍醐味だ。実際その場に潜れば、海底の様相が必ずしも理屈通りではないことも分かってくる。ターゲットに直進するだけが目的じゃない」

「その通りだね」

ノックスが相槌を打った。

「僕も実際に潜るのは初めてだが、船上のオペレーションルームでモニター越しに見るのと全く違う。何が一番異なるかといえば、質感だ。こうして窓の外を見ているだけでも、底面に転がっている岩の重みや堆積物の厚さが目に迫ってくる。三次元シアターで海中散歩を疑似体験するのと、自分で実際に珊瑚礁にダイビングするのと、全く異なるようにね」

ノックスは上体をひねり、さらに顔を覗き窓に寄せた。

「それにしても、えらく白いな。深海だから、そう見えるだけなのか?」

「その通り、白いです。ローレンシア海域もそうですが、白色の堆積物が非常に多い印象を受けます」

彼はアステリアに来た頃、初めてティターン海台の調査のビデオアーカイブを見た時の印象を思い出しながら答えた。

「でも、白っぽいのは、この辺りだけみたいですね。あとは砂混じりの茶色い泥に一面覆われている。前方にはかなりの礫岩が見られます。カルデラ壁から崩落したのかもしれません。そろそろターゲットの真上だが、孔や亀裂のようなものはまったく見当たらない――」

ユーリもパイロットらしく観察する。

「36年前の現象だ。完全に同じ物が今も存在するとは思えない。だが、この近辺で熱水噴出が確認されているということは、現在も穏やかに活動中なのだろう。ある程度、集中的に見たら、他に目を向けてみよう。一ヶ月で跡形もなく消えたなら、その原因が何処かにあるかもしれん」

ノックスの指示に従い、ヴァルターはユーリに二、三、指示を出すと、『ドーム』が撮影された辺りをもう一度巡回し、覗き窓から身を乗り出すようにして似たような開口部や変色域、熱水のゆらぎなど、特異な現象がないか目視した。

だが、やはりドームは見つからず、茶色い泥の堆積した海底面が延々と続いている。

そうして目標ポイントであるカルデラ直下まで来ると、泥の堆積物が次第に減少し、黒っぽい岩盤が斜めに露出し始めた。三十六年前の調査では「カルデラ底から一〇メートルほど上がったところ」という話だが、あの写真に写っていた黒い岩盤はそのまま残っているのだろう。陸上の温泉や間欠泉のように、岩盤の一部が何らかの力によって開口し、内側から熱水が噴き出すようになっても不思議はない。だが、白いもろもろや、孔の周囲の白い変色が何であるかは、実際にサンプルを採取してみなければ解明のしようがない。また、噴き出す熱水の温度も成分も写真だけでは推測のしようがなく、なぜ、その時点で僅かでもサンプル採取や温度計測などをしなかったのか、理解に苦しむ。

さらにハイビジョンカメラや音響カメラを通して周囲を観察すると、辺りには数センチから数十センチの礫岩が大量に転がり、写真が撮影された状況とはまったく異なっている。一〇メートル進み、二〇メートル進み、折り返して、もう少し上の辺りも観察するが、やはり辺り一面、砕石場みたいに黒い礫岩で埋まっている。

「これではドームなど見つけようがない」

ノックスが溜め息まじりに言った。

「一ヶ月で消失した、というより、埋まったんだろう。36年の歳月の間に何度も何度もカルデラ壁の崩落を繰り返して、今の状態になった。だが、それなら三十六年前の二度目の調査で外観の変化に気付くはずだ。本当に同じポイントに無人機を降下したのか、それとも『消失』と『埋まる』の違いが分からなかったのか。何にせよ、杜撰(ずさん)だな。サンプリングも計測も行わず、目視だけで終わるとは。あるいは多くのデータを取得しながら、企業機密を理由に秘匿してきたのか。なんにせよ、何が狙いか、さっぱり分からない。これではまるで『あの火災現場がどうなったか、見てきてちょうだい』レベルの話じゃないか。たったそれだけの為にプロテウスで潜航を? 開発公社も随分羽振りがいい」

彼も同感だ。指示しているファーラーも、指示のままに動いている開発公社の関係者も、実際のところ、この場所を再調査する意義すら理解してないのではないか。レイモンかオリアナに、あたかもここが宝の山であるかのように吹き込まれ、安易に判断したか。あるいは『ドーム』の写真さえ釣りで、真の目的は別のところにあるのか。

なんにせよ、浅薄は否めない。

おまけに、潜航直前になって中継がどうこうと言い出す傲慢さに辟易しながら、今この会話を耳にしているであろうロバート・ファーラーに向けて彼は呟いた。

「無意味な海洋調査に船一隻を投じることがいかに馬鹿馬鹿しいか、身に染みただけでも潜航した甲斐があったのではないですか。海の底から金塊を掘り出したければ、どこかの社長みたいに、せめて海洋学の基礎は勉強しないと」

「まったくその通りですね」

ユーリが反応した。

「ただ操船するだけではパイロットの役に立たないことが身に染みて分かりました」

「いや、君のことを言ってるんじゃないよ」

「誰のことにしたって、僕にも当てはまることです」

どうやらユーリは生真面目なタイプらしい。

その後、写真が撮影された辺りで微細な堆積物や礫を採取し、海水の温度や塩分濃度をリアルタイムで分析したが、今のところ、めぼしいものは何も見当たらない。

「カルデラ壁に沿って100メートルほど上昇できるかい?立体地図で見ると、ここに切り立つような斜面がある。もしかしたら、ここからカルデラ壁が断続的に崩れて、辺りの形状を変えたのかも知れない」

「上昇はできますが、いったん上昇してしまうと、もう下には戻れませんよ」

「え、そうなのか」

「原子力潜水艦と異なり、プロテウスは船体自身の重さで潜水して、浮上する時は補助タンクの水を少しずつ排出し、最後は鉄の重りを全量切り離して、浮力で上がりますからね。いったん上昇してしまうと、下には戻れないんですよ」

「なるほど」

「ただ、100メートルぐらいなら、重りを全量切り離さなくても、可変バラストタンクに注水して上昇できますから、絶対的に下に戻れないわけでもありません。重りの全量切り離しは最後の段階として、今は可変バラストタンクで深度を調節しながら、左右に往復して、カルデラ壁の様子を観察しましょう。斜面を下りる時は、覗き窓から海底面が見えないので、なるべく下降しないで済むよう、ルートを決めます。その後、三〇〇メートルほど西に移動して、この階段状に広がった部分を見てみましょう。年明けのSEATECHの調査でも過去に熱水活動があったと思われるマウンドの存在が指摘されています」

ノックスは納得し、彼はユーリに指示して船体を三メートルほど上昇させた。その後、一〇〇メートル毎に左右に折り返しながら徐々に上昇し、カルデラ壁の崩れ落ちた箇所を観察する。

プロテウスの視界で全体を一望することはできないが、徐々に地滑りを繰り返しながら扇状の崖錐を形成した様子は覗える。表面にほとんど堆積物が被ってないところを見ると、かなり最近まで――といっても、十年から百年単位ではあるけれど――小さな崩落を繰り返してきたようだ。

自然に重力で落下したのか、地震や水蒸気爆発の衝撃で滑り落ちたのか、継続的に観察しなければ分からない。様々なサンプルを持ち帰り、密に分析すれば、メテオラ海丘の成り立ちや地殻活動の経緯も次第に明らかになるだろうが、開発公社がそこまで科学的調査に興味を示すとも思えず、ただの「山」にしか見えない人には、何を説いても山でしかないものだ。

やがてプロテウスは崖錐の上部に到達した。

垂直に切り立つカルデラ壁の一部が幾度となく崩落し、大量の礫岩が半円錐状に滞積した地形の天辺だ。これが地上のカルデラなら、砂利山のように盛り上がる崖錐を一望できるのだが、深海ではそれらしき斜面の一部がLEDライトの下にぼんやり照らし出されるだけだ。それでも深海には何百万年、何千万年、時には何十億年にもわたる地殻活動の歴史が自然のままに残っている。地上の山なら観光道路が建設されたり、ホテルや展望台が新築されたり、人間の都合のいいように作り替えられていくが、深海は未踏の世界だ。今、目にしている巨大な礫岩も、最後に崩落したのは数年前か、あるいは数万年前か。岩は黙して語らないが、そこには確かに星の生きた軌跡がある。

ノックスはユーリに指示して扇状に盛り上がった堆積物に接近し、水中カメラの映像や覗き窓の外に見える礫岩の一つ一つに目をこらしながら、地学的に役立ちそうなものを採取するよう依頼した。

「これだけで足りますか? あっちの方にも、形状や色合いの異なる岩石が落ちてますよ。必要ならそこまでアプローチします」

ユーリも自分の役回りを理解したように応答する。

そうして一通り崖錐の観察を終えると、ヴァルターはユーリに西に移動するよう指示した。耐圧殻内のモニターには、年開けにSEATECHが作成した立体地形図が映し出され、その中にプロテウスの現在位置が赤いマークで表示される。

とはいえ、厳密な位置関係を示しているわけではなく、自船の位置を知らせるトランスポンダーの音波が複雑な地形で二重三重に反響すれば正確に把握できないし、受信側の船舶が波や風で大きく揺れたり、定位置からずれれば、それも計算誤差の原因になる。また、SEATECHの地図も一メートル単位のグリッドで抽出されている為、およその地形しか掴めない。

深海で自身の位置を見失い、また船上からも追跡できないのが一番プレッシャーだ。浮上できても、支援船に見つけてもらえなければ、迷子のブイみたいに何時間も大洋に漂うことになる。幸い、彼には迷子の経験はないけれど。

そうして二、三分も経った頃、スピーカーから「おい、どっちに行く気だ、進路がほとんど南に向いてるじゃないか。西だろ、西!」とフーリエの声が聞こえてきた。

ノックスとすっかり話し込んでいたヴァルターは慌てて身体を起こし、ユーリの横に肩を並べて計器を確認した。なるほど、プロテウスは方向感覚を無くしたラジコンみたいに蛇行しながら、カルデラ壁とは反対方向に向かっている。

「初歩的な操舵ミスだよ、おい、大丈夫か?」

ユーリの顔を覗き込むと、

「少し疲れてきました。自分がどこを航行しているのか、まったく分からなくて……」

ユーリは目を見開いたまま、ぽかんとした顔で答える。

「みんな、そうだよ。こんな狭い耐圧殻に閉じ込められて、真っ暗な水の中を潜航してたら、まともな方向感覚を無くす。そういう時は、こまめに上に呼びかけて、誘導してもらうんだ。不安なら『不安』と正直に伝える。パニックに陥るより、ずっといい」

「そうですね……」

ユーリは深呼吸しながら、彼に言われた通り、舵の向きを調整した。

そうしてさらに西に200メートルほど移動し、カルデラ壁の一部が階段状に広がる地点に達すると、底面の様子が徐々に変化し、礫岩とは明らかに異なる砂の塊のようなものが点在するのに気が付いた。 

「いったん停止してくれないか。よく観察したい」

ユーリはすぐさまホバリングに切り替え、所々、白いペンキを被ったように変色した薄茶色の岩盤の斜面で停船した。

LEDライトを照らし、テレビカメラを近づけてみると、白色だけではない、黄土、黒、灰色など、様々な色に変化しているのが見て取れる。さらに目を凝らしてみると、岩盤の表面には、わずか数センチから二十センチくらいの石筍のようなものがあちこちに突き出し、その大半の頭が白く変色している。今も熱水が噴出している様子はないが、過去に地下から様々な化学成分を含んだ高温の水が湧き出し、地表面で冷やされて、これらの沈殿物を形成したのは明らかだ。

「小さなデッドチムニーだね。周囲の水温にも全く変化がないところを見ると、完全に活動を停止してるのだろう。もう少し移動して、大きなものがないか探そう」

底面に散らばった沈殿物の一部をサンプリングし、周囲の様子をビデオに収めると、緩やかに盛り上がった岩盤の上をゆっくり移動した。

さらに二〇メートルほど行くと、今度はさっきより大きな塊がまとまって崩れ落ちている。途中でポキンと折れたような黒っぽい筒状の沈殿物に、それがさらに小さく崩れたような塊、以前はかなり勢いよく熱水が噴き出していたと見られる大人の足ほどの沈殿物、その周囲の白色もしくは黄土の変色域。いつまで、どれくらいの期間、熱水が噴出していたかは分からない。だが、この一帯にも活発な火成活動が存在し、今も広大なメテオラ海丘の深部で継続している可能性が高い。

「周囲の堆積物も白っぽいですね。あれもバクテリアでしょうか」

ユーリが首を伸ばすと、

「いや、あれは砂礫だよ」

ノックスが答えた。

「数ミリ程度の小さな石の粒だ。散らばり方がまばらだろう。バクテリアはコロニーを形成して膜状に広がるから、あんな塩を撒いたような様相にはならない。それに少し、硫黄を主成分とした沈殿物も混じってるような気がする。あのあたり、堆積物の奥の方から白い塊が覗いているだろう。ステラマリスの海底には、ああいう形状のものが多数存在する。一番よく知られているのはメタンの固まりだ。低温・高圧の状態で結晶化するんだよ」

ノックスが丁寧に説明していると、

「気泡だ」

ヴァルターが覗き窓に顔を近づけた。

「もう少し船首を右に向けて、三メートルほど前に進んでくれないか」

ユーリが言われた通りにプロテウスを移動すると、今度は三人の目の前で一センチほどの気泡が連続して泡立った。気泡が生じているのは、シルトの盛り上がりの中央に形成された拳大の凹みからだ。まるで熱帯魚の水槽のエアポンプみたいに小さな気泡が断続的に噴き出している。

「あれはガスですか……それとも、他の……」

ユーリが覗き窓に顔をくっつけるようにして尋ねると、

「このメテオラ海丘が生きている証拠だ」

ノックスが言った。

「ガスの成分は詳しく調べてみないと分からないが、地底にマグマ溜まりがあって、地層全体が熱せられているんだよ。地上の火山でも、岩の割れ目から水蒸気や硫黄ガスが噴出している箇所があるだろう。海底ではそれが気泡となって現れる。ガスが発生する機序は同じだよ。気泡は採取できるかい?」

「やってみます」

ユーリがマニピュレーターを操作し、片方に柄の長い取っ手、片方が蓋付きの開口部になった直径十センチほどの透明なガラスの筒を気泡の立っている箇所に近づけた。取っ手を引くと蓋が閉まり、気泡の成分をガラスの筒の中に閉じ込めることができる。だが、泥のように柔らかいシルトの凹みにガラスの筒を突き立てても、気泡が筒の外に漏れて、なかなか上手く採取できない。

「そういう時は、ガラスの筒を突き立てたまま、左右に振って周囲の堆積物を崩すんだ。栓が抜けたみたいに泡が噴き出すことがある」

「左右に……ですか……」

ユーリはその動作がイメージできないように首を傾げる。

「俺が替わろうか」

彼はユーリからマニピュレーターのコンソールを受け取ると、水中カメラのモニターを見ながら、ガラス筒を堆積物の中に深く突き立てた。それから棒で砂山を掻き回すような要領で、多少荒っぽくガラスの筒を左右に揺らすと、噴出孔を塞いでいた堆積物が一時的に取り除かれ、ビール栓が抜けたように気泡がボコボコと勢いよく立ち始める。それを素早くガラス筒でキャッチして、十五秒ほど筒を下向きに維持する。気泡が十分に集まったら、それを逃さないよう、下向きの状態でゆっくり堆積物から引き抜き、もう片方のマニピュレーターで速やかに取っ手を引いて、蓋をする。

これもランベール操縦士長から教わった技だ。ユーリと同じようにまごまごしていたら、横から「こうやるんだよ」と手本を見せてくれた。腰も度胸も据わった人で、一度、乗り合わせた若い女性海洋学者が警報の誤動作にパニックを起こし、過呼吸に陥った時、恋人みたいに介抱しながら、機械の点検もし、彼にも操船の指示をし、無事にミッションを追えて支援船に帰り着いた事が今も印象に残っている。

それに比べて、ベテランのパイロットが一人もない中、CGシミュレーションや試験潜航で操作を覚えるしかない三人の新米パイロットはプレッシャーもひとしおだろう。やはり自分がノボロスキ社に移った方がよかったのか――とも思うが、今はそこに考えを巡らせている余裕はない。

ガスの採取が終わると、ユーリもだいぶ慣れてきたのか、ノックスにも積極的に話しかけ、ステラマリスの海底の様子も興味深く聞いている。最初はぎくしゃくしていたが、狭い耐圧殻の中で、何時間も同じ世界を共有するうちに不思議な連帯感が湧くものだ。

多くの場合、潜航調査は「一回限りのランデブー」。同じ研究者と何度も乗り合わせることは非常に少ない。一度の潜航調査に何万ユーロと経費のかかるミッションを自分の都合良くチャーターできる研究者など無いからだ。

それに、せっかく搭乗のチャンスを得ても、海況に恵まれず、潜航自体がキャンセルになることもある。パイロットはともかく、多くの研究者にとっては、生涯のテーマと定める水深数千メートルの海底火山や生物圏を間近で見るチャンスは一生に一度あるか、ないかだ。その万感の思いが強い連帯感を生み出す。長い人生の、ほんの数時間、その場に乗り合わせただけでも、一つ一つのミッションは感慨深い。

そして今、外惑星で生まれ育った新米パイロットのユーリと、ステラマリスの海で研究を積み重ねてきたノックスの間にも、不思議な連帯感が芽生えている。ノックスのベテランらしいアドバイスに熱心に耳を傾けながら、ユーリもこの仕事を選んでよかったと思い始めているのではないだろうか。

そうして調査時間も終わりに近づくと、ユーリは落ち着いた口調で海上のナビゲーションスタッフと連絡を取りながら浮上の準備に入った。

「なんだか、あっという間でしたね」

搭乗前の不安と打って変わって、名残惜しそうに呟く。

「結局、めぼしいものは何も見つかりませんでしたけど、こんなので良かったのでしょうか」

「どんな調査にも価値があるよ」

ノックスが答えた。

「あんな気泡一つでも、メテオラ海丘の全容を解く鍵に違いないし、何年も経ってから『あれは、こういう意味だったのか』と明らかになることもある。どんなデータが決め手となるかは、一日見ただけでは分からない」

「熱水噴出孔や、チムニーや、学術的に興味深いものって、割と簡単に見つかるものですか?」

「それは微妙な質問だな。ヴァルター、君はどう思う?」

ノックスが彼に質問を振ると、彼はプロテウスのパイロットとして務めた日々を振り返り、

「昔に比べればヒットする確率は高いと思う。事前調査の段階で、かなり正確に場所を絞り込めるようになったからね。それに、この辺りは地殻活動が活発で、噴火や地震も頻発してる。アステリアの全ての海水が干上がれば、あそこにも、ここにも、と、興味深い発見がたくさんあるだろう。だが、ここは海底だ。カルデラの形状を一つ調べるにも調査船を派遣して、大層な装置を幾つも使わねばならん。そして、多くの場合、人間の目で確認できるのは全体のごく一部だ。それがどんな形をして、どんな風に活動しているか、音響や磁気や温度などのデジタルデータを加工した3D画像やグラフで推測するしかない。地上の火山なら十キロ先からでもよく見えるし、無人航空機で写真撮影したり、観測衛星でリアルタイムに噴火の様子を分析したり、肉眼で容易に観察できるけどもね。たとえ、この深海にグランドキャニオンやテーブルマウンテンのような素晴らしい自然の造形があったとしても、人間の目で一望することはできないし、存在にすら気付かないかもしれない」

「そうでしょうねえ」

「先の事前調査でも水温の異常から熱水噴出域が認められているわけだし、ここも全く何も無いわけじゃない。いつかは何か見つかるさ。ここにしか存在しない『何か』がね」

ユーリは納得すると、ナビゲーションに従って船体に取り付けられた鉄の重りの全量を投棄し、上昇を始めた。

*

予定通り、午後四時には浮上してプロテウスを揚収し、甲板員がハッチを開くと、ユーリもノックス研究員もほっとしたように頬を緩め、乗船時よりしっかりした足取りで船外に出た。

ノックスは、まだ水に濡れたままのプロテウスを見上げながら、

「潜航した甲斐はあったよ。やはりモニター越しに見るのと、実際に自分の目で確かめるのでは大違いだね。目に迫る質感が違う。四回目の調査も同行するから、その時もよろしく」

と満足げに言うと、格納庫を後にした。

ユーリの方は、乗船前の不安な表情とは打って変わって、ずいぶん顔つきがしっかりして見える。一度でも実際の潜水調査を体験して、自分なりに何かを掴んだのだろう。

フーリエがやって来て、

「上出来じゃないか。科学誌のトップを飾るようなネタはなかったが、あれだけ興味深いポイントにアプローチできたら、立派なアーカイブとして残せる。次はもっと深い所でも大丈夫だろ」

ちょっと大げさなくらいに褒めると、ユーリも顔をほころばせ、「また、何度でも潜りたいです」と答えた。

「そう思えるだけで上等だ。面白さが分かれば、技術も後から付いてくる」

フーリエはユーリの肩を抱き、事後の段取りを説明しながらワーキングルームの方に歩いていった。

彼もうんと身体を伸ばし、業務記録の為にワーキングルームに向かいかけた時、

「なんなのよ、あれは」

とオリアナの声が聞こえた。振り向くと、年増のヒステリーみたいな顔付きで立っている。

「なんなのよ……って、あれが深海だ。魚がパレードしているとでも思ったか」

「そうじゃなくて、あなたの態度よ」

「どんな態度?」

「開発公社の重役が中継を見ていると知りながら、何の配慮もなかった」

「配慮?」

「解説しろと言ったはずよ」

「したさ。ユーリには操縦のコツを、ノックス研究員には俺なりの見解を」

「もっと調査の目的に即した話をすればどうなの? あの白色変色域はどうなったか、熱水噴出孔は何所に存在しそうか、鉱物資源はありそうか……」

「あれっぽちの事前調査と数時間の潜航で、そんなことが分かるわけがないだろう。今日は実際の海底の様子を目視するだけで精一杯だった。それでも気泡や堆積物のサンプリングが出来たし、若いパイロットも自信をもった。及第点だ」

「じゃあ、不足そうな重役にはどう釈明すればいいのよ」

「『アホ』と言っとけ」

「ふざけないで」

「だったら、俺が直接話をつけてやる。その『不足そうな重役』というのをここに連れて来い」

「馬鹿なことを言わないで。ともかく、この落とし前はきちんとつけていただきますからね」

「どうぞ。俺は逃げも隠れもしないよ」

「三日後にファーラーがここに来るわ」

「泳いで?」

「おちょくるのもいい加減にしてよ。専用船をチャーターするのよ」

「優雅だね」

「調査が杜(ず)撰(さん)だと立腹してるわよ」

「だったら、ハゲタカに言っとけ。あんたがこの世に満足することなど永遠にないって」

「自分の口で言うのね。もっとも、本人を目の前にしたら、すくみ上がって何も言えなくなるんでしょうけど。示談書にサインした時みたいに」

彼は一瞬、手が上がりそうになったが、

「君もよくよく下品だな」

と吐き捨てるように言うと、足早にワーキングルームに向かった。

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