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コンペで勝てなくてもアイディアは残る 安藤忠雄の『連戦連敗』より

この記事について
安藤忠雄氏の著書『連戦連敗』の見どころと、五角形のアパートにまつわる建築コラムを紹介しています(実体験)。
目次

安藤忠雄と五角形のアパート

私が建築家・安藤忠雄氏の著作を読み始めたのは、コンクリート打ちっぱなしの五角形のアパートに住んだのがきっかけだ。

初めての賃貸物件、そこそこ有名な不動産屋に「このアパート、今流行のコンクリート打ちっぱなしで、建築賞を受賞した建物なんですよ。若い人に人気があるんですよ」とすすめられ、賃料も手頃だったこともあり、契約したのはいいが、実際に住んでみると、五角形の間取りが不便この上ない。

正確には、長方形の片隅が斜めに切り取られたような、縦長の五角形で、決して悪いデザインではないのだが、家具を置こうにも、部屋の隅が斜角なので、どうしても部屋の中央に寄せる形になってしまう。

おまけに、開口部は、刑務所のように小さな窓が一つと、バルコニーに通じる開き戸が一つだけ。

昼間でも薄暗く、通気も悪い上、コンクリート打ちっぱなしということもあり、隣人の生活音も丸聞こえ。

おまけに冬は底冷えがするし、唯一、ありがたいと感じたのは、阪神大震災の時ぐらい。

それ以外は、毎日、刑務所に暮らすが如くで、こんな建物が建築賞を受賞するなど、何か間違っているのではないかと思ったのが、建築に興味を持ち始めたきっかけでもある。

同じ頃、北川圭子氏の『ガウディの生涯―バルセロナに響く音』を読んで、アントニオ・ガウディの作品に魅了された理由も大きいだろう。

ガウディやル・コルヴィジェ、フランク・ロイドといった建築界の巨匠の作品集を皮切りに、建築論、建築史、美術評論、巨大建設のルポルタージュ、ゼネコン談合にまつわる土木業界の暴露話、果てはDrコパの風水まで、いろんな本を読み漁り、その過程で知ったのが、「コンクリート打ちっぱなし」= 安藤忠雄という図式だった。

この人のせいで……

どこぞの若い建築士が、阪急沿線の下町の、猫の額ほどの土地活用に困った地主の依頼を受けて、せせこましいビルとビルの間にコンクリート打ちっぱなしのアパートを設計し、日照権への配慮か、見た目重視かしらないが、もしかしたら、素直な長方形にデザインできたかもしれない居室の角を斜めにカットして、世にも奇妙な五角形の住まいを作り出した経緯が目に浮かぶ。

建築賞と住み心地は必ずしも一致しない事実を、身をもって体験した三年間でもあった。

以来、安藤忠雄氏の話題を目にする度に、五角形のアパートが思い出され、何とも言えない気分になるが、氏の志は好きだし、言いたいことも理解できる。

いけないのは、あんな建物に建築賞を与えてしまった、地元の○○ではなかろうか……。

というわけで、安藤氏の著書の中でも特にユニークな『連戦連敗』をここに紹介したい。

連戦連敗
連戦連敗
創造とは,逆境の中でこそ見出されるもの あの名講義が帰ってきた!
東京大学大学院で行われた稀代の建築家による最新講義を集成.

〈主要目次〉
序 創造は,逆境の中でこそ見出される
第1講 建築は闘いである
第2講 新旧を衝突させる――都市・建築を保存と再生
第3講 産廃の島から未来へ――環境と建築
第4講 昨日を超えて,なお

安藤忠雄の『連戦連敗』より

コンペで勝てなくても、アイデアは残る

内容的に充分自信のあるものができた場合でも、大抵はこちらの提案が過剰・過大であるがために実際に課されている諸条件を逸脱してしまい、非現実的であるという理由でおとされてしまう。しかしコンペで勝てなくてもアイデアは残る。実際コンペのときに発見した新たなコンセプトが、その後に別なかたちで立ち上がることもある。
そもそも、実現する当てもないプロジェクトを常日頃から抱え、スタディをくり返し、自分なりの建築を日々模索していくのが建築家だろう。
だから、連戦連敗でも懲りずに、幾度もコンペに挑戦し続ける。建築科の資質として必要なのは、何をおいてもまず心身ともに頑強であること。これだけは間違いない。

これは建築に限らず、すべてのアートに共通していえること。

とりわけ、建築は、どれほど素晴らしい設計をしようと、才能に恵まれようと、実際に施主がつき、建築許可が下り、職人が機能して、仕様書通りに仕上がらないことには報われない。中には、実作には結びつかなくても、斬新なデザインを打ち出して、哲学的に問いかけるアンビルト・アーキテクトの分野もあるけれど、やはり自分の設計した建物が実際に建設されて、スケッチブックの絵が具象化する手応えに勝るものはないのではないか。

その点、音楽や小説やマンガや陶芸は、いつでも自分でアイデアを具体化できて、大きなリスクを負うこともない。下手な絵を描いても、せいぜい笑いものになる程度。自分の設計がまずいが為に、屋根が崩落して人が死んだり、工費が異常に膨らんで社会的問題になったり、あまりにも奇抜でありすぎるが為に地元住民や文化保護団体に恨まれたり、ということはない。いわば、自分だけのクリエイティブな世界で、何をどのように描こうと自由だ。だが、建築は違う。まず物理という絶対的な法則があり、建築基準法という法的な縛りがある。おまけに実作するには何千万、何億、時には何十億という費用を要するし、「デザインに失敗したから、最初から描き直します、エヘヘ」と消しゴムで修正するわけにもいかない。家屋のデザインにしても、商業ビルの設計にしても、マンガ読者みたいにそこら中に需要があるわけでもなし、一生のうち、実際に建設できるのは何点か……という世界だ。
そんな限られた世界で、常に神経を研ぎ澄まし、落選も覚悟で最高の作品を作り続ける、って、メンタルが強くなければ、絶対にできない。数時間集中的にデスクワークしただけで、へとへとになるような虚弱体質でも無理だろう。

クリエイティブなものに憧れ、努力してます、という人も多いが、連戦連敗でも続く人はどれくらいいるだろう。

失敗続きでも、そこから学び取れる人は。

どこの世界でもコンクールで優劣が決まったり、コンペに落選するのは辛いものだが、『コンペで勝てなくてもアイデアは残る』というのはその通りだと思う。

この世にはいろんなノウハウがあるが、突き詰めれば、毎回真剣勝負で、新しいものを作り続けることが実力を磨く最短コースであり、王道だろう。

もしかしたら、一生、実作する機会がない建築家の無念を思えば、漫画家志望とか、作家志望とか、ミュージシャン志望とかいうのは、ほんと気楽でよろしい。

最初から物事を見切って、高みの見物を決め込むよりは、連戦連敗でもいいから、作り続ける人生の方が面白いよね、と思うのは、私だけではないはずだ。

20人程度の設計事務所なのに、年にいくつもの大規模なコンペ・プロジェクトに参加するから、それをこなそうとしているうちに、気がつくとスタッフ全員がいずれかのオンペにかかりきりになっているという状況もめずらしくはない、もちろんその一方で、契約された職業的建築家としての仕事もきっちり完遂していかねばならない。スタッフは肉体的、精神的に疲弊しきっている。特に敗退が続いたあとの新たな挑戦は応えるようだ。コンペの招待が来るとスタッフは一様に「またコンペを闘うのか」と諦めともつかない表情をする。

しかし、そのようなギリギリの緊張状態の中にあってこそ、創造する力は発揮される。

敗けて、敗けて、またコンペ。

一度落選したくらいで、もう止めます……と自信なくして、スゴスゴ引っ込んでるようではダメと。

生きるとは何か、人間の生とは何か、その答えは一人一人が、それぞれの生き方を通じて表すものである。私もできるならば、カーン(建築家ルイス・カーンのこと)のように闘い続ける生き方を選びたい。自分の信じる道を最後まで貫き通したい。
カーンの遺した言葉の中に、私がこれまで目にした中で最も気に入ってるものがある。
「……創造とは、逆境の中でこそ見出されるもの

公共の芸術としての建築と住民の人間形成

小綺麗な住宅街に行くと、住人もまた洒脱として、上品な暮らしをしていることが多い。

逆に、雑多な町では人の動きも忙しなく、賑やかな反面、不穏なところも少なくない。

瀟洒な町に暮らすから住人も洒脱とするのか、洒脱とした人が集まるから町並みも瀟洒になるのか、因果は分からない。

多分、どちらも本当。

『割れ窓理論』に代表されるように、人間の精神状態や価値観は環境に大きく左右される。

地域によって、様々な建築法が施行され、建物の色・形状・高さなどが厳しく制限されるのも、文化財保護や災害対策だけが目的ではなく、公の精神衛生も大いに関係があるのだ。

建物をデザインするからには、自分の個性や思想を前面に打ち出したものを――というのは誰しもの願いだが、建築が『公共の芸術』である以上、周囲を無視して好き勝手するわけにはいかない。いかに斬新でも文化財の前に高層ビルは建てられないし、住宅街のコンセプトを無視して、そこだけ全く傾向の異なる家を作るわけにもいかない。

表現の自由とはいえ、あくまで公の精神に則った中での自由であり、建物のデザインを考えることは、周辺の社会を思いやることでもある。人の暮らしや印象はもちろん、安全性、利便性、快適性、さらには市民のアイデンティティや歴史観にも繋がっていく。住まいや出生地を聞かれて、それが歴史的な町や美しい町である時、どこか誇らしげなものを感じるのは、建築の成果でもあるだろう。常日頃、意識しないが、由緒ある寺院も、有名な美術館も、ユニークな商店街も、そこに住む人の精神的基盤となっている。たとえ直接的な関わりはなくても、それは確かに住人の日常であり、歴史であり、属性の一つなのだ。

とはいえ、どんな素晴らしい建築物も、いつかは老朽化し、修復や立て替えといった問題に直面する。近年では、丹下健三氏の代表作、代々木の国立競技場が取り壊され、東京の風景から完全に消えて無くなった。あれほどシンボリックな建物でも、物理的、時には政治的理由で立て替えを迫られるというのはなんとも切ない定めである。

こうした建築物の保存(もしくは取り壊し)と再生の指針を打ち出すのも建築家の重要な仕事で、安藤氏もその苦闘を詳しく著述しておられる。

いうまでもなく、同潤会アパートは、日本の都市型集合住宅の先駆けとして、建築の分野にとどまらず、日本の生活文化史全体にとって重要な価値をもつ歴史遺産です。

<中略>

だから設計者である私達としては、難とかその都市の記憶をとどめていく方向で頑張りたい、という思いが計画当初からありました。もちろん、既存のアパートは老朽化が甚だしく、機能的にも限界を迎えているわけですから、残すとはいっても、博物館的、凍結的に保存するわけではありません。そこに新たな命を吹き込んで、現代に生かしていく<再生>を考えていたわけです。

ところがいざ計画が現実に動き出すと、それほど単純にことは運ばない。そのコンセプトの実現の前に、経済、法規に関わる問題が次々と浮上してくるのです。

<中略>

昨日の会議でも半分以上の人が建物を残すという方針には反対のようでした。プロジェクトは、彼ら全員が納得するまで、前に進めることができない、非常にむずかしい情況です。それなのに、一方では、メディアを通じてプロジェクトの存在を知った歴史家などが、「何としても保存を」などという励ましのメッセージを送ってきたりする、同じ建築に関わるものとして、気持ちはよくわかるのですが、理想と現実との間には、やはり大きな壁があります。いかに理想を語ろうとも、当事者である住民が迷惑に思うようなものでは意味がないのです。

「新しいものをいかにつくるか」ではなくて、「旧いものをいかに残し、生かしていくか」という議論は、建築・都市を考えていく上でこれから非常に重要な位置を占めていくように思います。

<中略>

私は、新旧が共存してこそ都市だと考えています。過去が現在に生き、初めて未来の可能性が見えてくる。

本著では世界的な成功例であるパリと、都市計画を指揮したアンドレ・マルローのエピソードを交えて、建築の保存と再生について分かりやすく解説されている。
創造というと、『新しさ』が最上の美徳であるように語られるが、既存のものをアレンジし、有意義な形に作り直すのも同じくらい難しい。下手すれば二番煎じ、平凡とか無難とかいわれ、思い切った冒険ができないから。あるいは、あまりに凝りすぎて、周りから完全に浮き立ってしまうこともあるだろう。

要は、社会に対する理解力と感性の問題。

そこでバランスの取れる人、深い洞察力のある人が、真に建設的なプランを打ち出せるのだろう。

オレがオレがでは、真に公共的なものは生み出せないし、逆に、周りの言いなりだと、自身の個性などなくなってしまう。

デザインも突き詰めれば、生き様の問題、人間力の賜ということだろう。

こればかりは理論をかじっても身には付かない。見て、触れて、聞いて、都市との一体感を我がものとし、人々と呼吸を共にして、十年先、二十年先の未来を見据える知性がなければ、何を得ようと、何に長けようと、長く愛される建築にはならないだろう。

重要なのは、新しいものだけに目を向けるのではなく、旧いものと新しいもの、その双方を含め、都市を総体として眺める姿勢です。都市を形づくっていく建物の一つ一つがそのような意識をどこかで共有するものではくては、現在から未来へとつないでいくことはできません。

また本著では、震災と復興と歴史の継承にも触れ、日本と諸外国の成功例とが比較されている。

同じ瓦礫の山からの復興事業でも、ポーランドのワルシャワやドイツのフランクフルトなどでは、第二次世界大戦で徹底的に破壊された旧市街を、困難を十分承知の上で忠実に復元し、その歴史的な風貌をもって都市のアイデンティティとするのに成功しているのですが、日本では戦争や大災害による街の破壊が逆に再開発の絶好の機会として処されてしまうのが常です。

<中略>

それを壊して新たな環境を整えようとすること自体は、理屈として必ずしも間違いではありません。ただその新しい環境が過去との連続性を全く絶ったものになってしまっては、都市として薄っぺらなものにしかならないということを強調したいのです。旧い建物を安全に補強していくことで、都市の記憶を保持しながらもその環境をより強固にしていく、このような選択肢もあるのです。

で、安藤先生、「これまでにも、数多くの都市提案を行ってきました。結果的には連戦連敗でしたが、この都市提案の一つ一つで考えたことや、提起した問題意識が、現在に至るその後の仕事にどこかでつながっている」と。常に変わらずタフです。これぐらい精神的強さがなければ、芸術も到底続かない。そしてまた、創造において、自分がこしらえたもの、考えたこと、感じたこと、一つとして無駄はなく、全てが明日の創作へと繋がっていく。生きること、それ自体が創造的といえるまで、芸に徹するのが理想的な姿なのだろう。

中之島公園の再開発計画においては、「単なる保存でも破壊でもない、再生とはどのようなものか」という問いを投げかけておられるが、それは住民の気質にもよるだろうと思う。新しいもの好きの若い街と、保守的な高齢者が大半を占める地域では考えもライフスタイルも異なるし、時代によって受け入れられるものも違うからだ。

だとしても、未来に軸足を移して、数世紀にわたる道筋を描くのはやり甲斐があるだろう。都市や建築の計画を立てることは、そこに生きる人々の精神や価値観を理想に導くことでもあるから。

私が建築好きなのも、そうした大局的な面にある。

人はみな、一代限りの命ではなく、その後にも道は続くのだから。

生かす創造 壊す創造 環境と建築

何でも「作ればいい」というものではないと思う。

創造というのは、その名の通り、自分も生かし、周りも生かすことだから、その創作物の為に周りが不幸になったり、百年先まで祟られるなら、それは創造ではなく、破壊だろう。

日本では一口に『つくる』というけれど、英語には、make、create、produce、build いろんな単語があって、それぞれにニュアンスが違う。

もちろん、日本語にも、製作、制作、創作、作成、など、様々な言い方があるが、動機、目的、手段、結果として形成されるもの、等において、明確に使い分けているのは英語の方に感じる。特に create は、天地創造を思わす神聖な響きがある。無から価値あるものを作り出すイメージ。

『クリエイティブ』というだけで、何やら有り難い後光が射して見えるのだから、言葉の魔術は偉大である。

しかしながら、何でも作ったものが周りを幸福にするかといえば決してそうではなく、破壊をもたらすものも少なくない。家を作るにも、トンネルを掘るにも、木を切ったり、山を崩したり、破壊なくして成り立たないが、一方で、幸せな家庭を育んだり、地方に活気をもたらしたり、プラスに働くこともある。あくまで人間の側から見て……といえばそれまでだが、環境とバランスを取りながら機能する創造もある。

それとは対照的に、後世に多大な負債を残したり、自治体のお荷物になったり、お世辞にも良質な創造とはいえない建築もある。公共の建築である以上、社会的な使命も帯びるのが、全ての建築に共通していえることだ。

それについて、安藤忠雄氏は著書『連戦連敗』でこのように書いておられる。

戦後日本が憧れ、夢見て追い求めたのは戦勝国アメリカの圧倒的な物質の豊富さとその消費の仕方、その便利さという<豊かさ>でした。50年代の、アメリカ西海岸のケーススタディ・ハウスに通じるような大きな冷蔵庫と洗濯機を備えた白くて明るい郊外型住居、そして自家用車を乗り回すアメリカ風の近代生活、人々はそんな暮らしを夢見てがむしゃらに働き続け、セイフもまたそうした傾向を助長するような制作を打ち出していく。国土の大小、資源の倦む、生活習慣の違いといった問題を顧みることなく、ただその結果だけを真似ようとした、その無理が、瀬戸内海の傷跡として残されてきたのです。<前に、瀬戸内海の環境破壊について述べられている>

無論、これまでの日本人の生き方の全てを否定するつもりはありません。アメリカに夢を見た人々の頑張りこそが、敗戦国日本の奇跡的な復興を可能にし、驚くべき経済成長を可能にした原動力となったのですから。けれども、少なくとも今を生きる私達までもが、いつまでもその延長戦で自分たちの生活を考えてはいけないのは確かだと思います。皆が意識を変えていかなければ、受け継いでいくべき未来への遺産は、失われていく一方です。

昭和的なやり方が通じなくなっているのは、建築に限らず、政治、経済、文化、医療福祉、全てにおいていえること。

現代は、力まかせのブルドーザー的な進歩ではなく、強いものも弱きものも共に歩むような、調和的な考えに変わってきている。

ある意味、建設ラッシュなどは、社会の情勢を具現するものであるから、そこに込められた思想が今後数十年の未来を示唆するといっても過言ではない。
たとえば、再開発地に高層マンションを建てるのか、万人に開かれたコミュニティ施設にするかで、地域の未来は大きく違ってくるし、同じ集合住宅にしても、中間層のニューファミリー向けと、セキュリティ強化したゲーテッドコミュニティでは、様相そのものが異なる。そのコンセプトは、外観の印象だけでなく、自ずと社会の指針となるものだ。

デザインの目標となるものは、必ずしも『美』や『機能』だけでなく、社会的な役割も非常に大きい。高層マンションが人気だからといって、あれもこれも高層で真似るのは、その一瞬は効果的かもしれないが、思想を欠いたものは、いつか社会に取り返しのつかない傷跡を残すのではないだろうか。

建築とは美学的な視点、歴史的、社会的な視点をもって、素材、技術、工法、構造力学、経済条件といったさまざまな要素を総合的に組み立てることで成り立つものです。最終的な構造物をイメージしながら積み重ねられるそれぞれの過程での一つ一つの意志決定こそが、デザインと呼ばれるわけです。

建築家は、自らの思う建築概念の実現と地理的条件、力学的条件、技術的条件、法規による棋聖、経済的制約といった現実の諸条件の双方を考えながら、その状況における最適な解答を見つけていきます。このせめぎ合いの中で、概念に形が与えられるのです。

世の中には刹那に生まれ、刹那に消えていく、無形の芸術もあるけれど(音楽や舞踊)、建築は、何十年、何百年と形をとどめ、なおかつコミュニティの基盤となるものであるから、全方位的な視点が求められるのは宿命と思う。

せめぎ合いの中で、概念に形が与えられる――というのは、『意志と表層の世界』。

今、目の前に広がる町並み、一つ一つの家の形は、みな、誰かの意志の現れ。

それも自分一人のせめぎ合いではなく、建築は、完成までに多くの関わりを必要とする。

安藤氏いわく、「丹下健三と坪井善勝、ルイス・カーンとオーガスト・コマンダント、ル・コルビュジェとピエール・ジャンヌレなど、すぐれた建築家の才能をすぐれた技術者が支えた例は少なくありません」。

建築家の求める空間の美と質と量の獲得のために、構造家がそれに最も相応しい材料、構造方式、工法を合理的に選択する、異なる精神がぶつかり合い、刺激しあう、そのコラボレーションの過程を経て、時代を画する力をもった建築が生まれてきました。作家のイマジネーションとそれを規定する議寿的・力学的条件の葛藤から建築の形が導きだされる、というような明快な図式、ひいては形の論理が、かつては確かにあったように思います。

たとえば、建築家が素晴らしい形を思い付いても、それが構造的に可能かどうかは、専門家が詳しく検証しなければ分からない。

構造的に難しいのは分かるが、どうしてもここは開閉式でいきたいんだよ――じゃあ、もう少し高さを変えてはどうか――構造材もこっちを使ってはどうだろう――etc。

理想を実現する為に、皆が知恵を出し合い、時に譲歩、時に強行、様々なぶつかり合いの中で、一つの形を紡ぎ出してゆく。

そんな中、注目されるのが、『地域主義』と呼ばれるものだ。

作り手の個性はもちろん大事だが、それにも増して、大きな意味を持つのが、その地域独特の歴史、文化、精神風土である。京都には京都の、福岡には福岡の、それぞれの場に合った建築があり、それを重んじることが、地域の発展にも繋がる、という考え方だ。

「風土に応じて材料も違えば工法も違う。生活様式も違うから、それぞれの場所にそこにしかない風景があってしかるべきだ」
ルドルフスキーによる文明批判は、現在のグローバリズムの時代における環境の問題においても非常に重要な意味を持っています。

<中略>

建物単体の維持・管理におけるエネルギー消費をただ抑え、そのエネルギー効率を追求することだけが建築における環境の全てではありません。技術的な問題に注目するのも決して間違いではないと思いますが、そもそも合理的で経済性にすぐれた快適な建物をつくるのは、建築それ自体の目的にすぎないともいえます。広義の環境の問題に応えていこうとするのなら、それが立地する地域やシステムにまで目を向けて、その建物が地域の環境形成においていかなる役割を果たすものか、そのような総合的視点から状況を組み立てていく思考が必要になります。

こう考えたとき、その地域の素材を発見し、それを積極的に用いることが非常に重要な意味を持ってくるように思います。

ここで紹介されているのが、フィンランドの紙幣にもあしらわれている建築家アルヴァ・アアルトのエピソード。

皆さんは、アルヴァ・アアルトの肖像がフィンランドで紙幣にあしらわれるほど英雄視されていることをご存じですか? それはアアルトが、ただすぐれた建築や家具のデザイナーであったからだけではなく、そのデザイン・コンセプトに集成材(木材の板を繊維方向に合わせて接着剤で貼り合わせた材)を取り入れたことで、国の木材産業勃興の機械を創出したからです。

フィンランドというと、今でこそ木材資源の豊富な国というイメージが強いですが、実際はそのままで材として市場に流せるような質の高い木材は数が少なかったのです。その打開策として集成材という加工手段が開発され、実用化されつつあったのが、ちょうどビアルトが活躍し始めた1950年代でした。

その集成材の材料特性に備わった創造的可能性がアアルトによって発見され、あの波打つ曲面のデザイン・モチーフと結びつけられたとき、かつては無用の存在であった国土の大半を埋める森林の類いが、一気に国家を潤すかけがえのない資産となったのです。

「自分が作りたいから」「これが売れ筋だから」

それももちろん大事だけれども、「公に働きかける」というのは、自分も生きて、周りも生かす精神に他ならない。

すべての創造は、一つの破壊の上に成り立っているけれど、その創造が、また新たな創造の源流となるなら、そこには価値がある。

対して、質の低い創造は、外に広がっていくことがない。その視点は、どこまでも自己的で、自己の内部だけで完結している。

創造というのは、ある意味、終わりない連鎖であり、化学反応でもある。

一つのユニークな建物が大勢の観光客を呼び、そのブームがストリート・パフォーマンスを生み出したり、往来に屋台や土産物といった様々なビジネスを生み出したり、写真スポットとなったり。作り手の訴えかける意志は、時と空間を越えて、とめどなく広がっていくものだ。その源流は何かと問われたら、やはり社会に対する訴求力であり、人に対する想像力であると思う。自己満足的なものは、いつか取り壊され、その場からも、人々の記憶からも、永久に消え去るだろう。かつて、京都の観光地に進出したキテレツなアイドルショップみたいに。

結局のところ、愛には愛が、傲慢には不満が、返ってくるものだと思う。

それは決して美的センスや技術力の問題ではなく、作り手の意志や人柄は、スロープの傾斜や照明や正門の美しさなどに、どこか現れるのではないだろうか。

アイデアの原点は情報収集、体験、生きる姿勢

建築に限らず、小説でも、映画でも、絵画でも、魅力的な作品には、常に『周辺の要素』があるものだ。

周辺の要素というのは、作品に直結するもの以外の、副次的なテーマや背景だ。

たとえば、ギャグ漫画の最高峰『パタリロ』には、「竹宮恵子」「萩尾望都」「宝塚歌劇」「古典文学」「懐かしのアニメ」といった、パタリロとは直接無関係な作品の旨みがちりばめられているし(究極の二次創作といわれる所以)、ハリウッド映画でも、「キリスト教」「美術史」「東洋哲学」など、様々な知識や雑学が取り入れられ、物語の面白さを倍増している。単に、馬鹿力のヒーローが敵を壊滅するだけでなく、「この処刑法、まるでキリストの磔刑じゃん → つまり、被害者は、万民のキリスト的存在だったということね」「この構図、どこから見てもダヴィンチの『最後の晩餐』じゃん → つまり、この中に裏切り者がいるというわけね」と、二重、三重に張り巡らされたミーニングがあり、それがいっそう観客の知的好奇心を刺激するわけだ。

建築もそれと同じで、「建物をデザインする」ことに終始し、その他の美術にも、史学にも、社会学にも、何の関心もないようでは、ただの奇抜な箱でしかない。
また、体験にまさる説得力はなく、同じ「スペイン風のデザイン」でも、実際にスペインに行って、このようなデザインが生まれた自然環境や歴史的背景、現地の暮らしぶりを知っているのと、本やネットでききかじった情報だけを頼りにアイデアを繋ぎ合わせるのでは大違いだろう。

安藤氏が学生に対して訓諭されているのも、まさにその点で、勉強というのはただ単に己の専門分野だけ知っておればいい……というのではないことを、改めて考えさせられる。

結局、発想する力、構想力とは、建築にリアリティをもって臨めるか否か、この一点に大きく関わっているのだと思います。情報メディアを駆使してどれほど膨大なデータを集めようとも、ただ一回の実体験にはかないません。

<中略>

彼らにしても、敷地を見に行きたければ、自分の時間を使って行くことはできるし、計画についても、要綱に書かれている以上のことを知るのに全く手立てがないわけではありません。建築を考えるきっかけを与えるとはいえ、私にはそれほど懇切丁寧にお膳立てをするほどスタッフを甘やかすつもりはない。あとは彼らの意識次第だと突き放して考えています。

どんな分野も、怠けながら身につく知識も技術もないだろう。
あるいは、「怠け」というより、その重要性に気がつかないのかもしれない。

たとえば、ハリウッド映画は、スリラーでも、ヒューマンドラマでも、キリスト教をモチーフにしたものが多い。が、そうしたモチーフが使われていることに気付くのも、見る側がキリスト教の知識を持っているからで、何も知らなければ、単なるアクションでしかない。その他の作品を見ても、それが何を意味するのか、永久に理解できないままだろう。

知っているから、作り手の意図を理解できる。意図を理解できるから、作り手のセンスや創意に脱帽する。そして、その驚きが自分のものになる。

そうした知的な体験が無いと、周辺要素の必要性に気付かないし、勉強の仕方も分からない。

「勉強」というものは、クロスワード・パズルのように広がっていくものだと思う。

たとえば、ミケランジェロの絵に感銘を受ければ、同時代の巨匠、ダ・ヴィンチやラファエロにも関心が向くし、彼らのことを知れば、当時のイタリア史にも興味が湧く。そこからローマ史に遡ることもあれば、イタリア映画の巨匠ルキノ・ヴィスコンティやベルナルド・ベルトリッチに広がることもあり、好奇心は尽きない。

それらは本業と何の関係もないようだが、スティーブ・ジョブズが大学で学んだカリグラフが、後にMacの美しいフォントに繋がったように、いつ、何が、どんな形で結晶するかは本人にも予測できないものだ。だから、面白いし、何でもがむしゃらに勉強してみようという気になるのである。これは役に立つ、これは役に立たない、ということが、事前に目に見えれば、無駄なことは誰もやろうとしないから。

建築は、結局その作り手である建築家を超え得ないものだといわれます。芸術性や倫理性を問われつつも、なお社会的産物としての側面をもつ建築に、それでも理念を掲げ、自らの意志を介入させていくのが建築家の仕事なのですから、それは当然のことかもしれません。

<中略>

私はアイディアの原点、発想の核となる部分は、やはり建築家として社会的に認知される以前の時間をどう過ごしたかに関わってくるものだと思っています。その後どれほどに激しく飛躍し、展開したとしても、この根幹となるそれぞれの目指す方向性は変わらないし、また最終的には必ずそこに戻ってしまうものではないか。

『リアリティをもって臨む』というのは、少し抽象的な表現だが、建築の場合、絵画や小説と違って、アイデアが図面の中から飛び出し、実際に、その場に、建つわけだから、いかにアイデアに優れても、机上の理論は完璧でも、実物として周囲と調和しなければ、何の意味もない。また、実作が完成するまで、実験やシミュレーションもできないわけだから、設計の段階でどこまで『現実』を想定できるかが重要なポイントといえる。

それぞれに異なる道を歩んできた彼らにもある共通点がありました。それは建築を志しつつも決して専門分野にとらわれず、さまざまな領域に興味をもち、さまざまな活動に積極的にチャレンジしてきたということです。たとえばゲーリーの講義の大半はアーティストとの関わりとアートの話題に終始していましたけれども、それがあったからこそ、現在の彼独自の建築的スタンスが確立されたのだということを忘れてはなりません。皆あらゆることに貪欲で挑戦的なのです。

私も講師の話は、本業より無駄話の方がより深く心に残っています。

建築をつくる、とは非常に長い時間を要するものです。大体一つのプロジェクトについて構想から完成に至るまでに5年、10年かかるのが普通です。規模が大きく、複雑な状況での仕事ならば、20年という場合もめずらしくありません。だから、計画段階で建築雑誌などに載り、「新しい建築の搭乗」ともてはやされたものが、数年後、実現の暁には時流から取り残された「つまらない建築」となっていることが少なくない。メディア上の、実体をもたないイメージの段階で<建築>が消費され尽くしてしまう、それが現在の私たちが置かれている状況なのです。

情報化や高速化に慣れきった現代人がもっとも苦手にするのは、何十年という長いスパンで物事を考える……という点ではないだろうか。
「今日作って、明日結果を求める」のような姿勢は建築に限ったことではなく、アート、ビジネス、政治、果ては人間の生き方や信頼関係まで、「今日作って、明日結果を求める」、結果が芳しくなければ、すぐに絶望して、やる気をなくす――というのは、全てに共通していえることだ。

あるいは、明日結果を求められるので、どんどん量産し、どんどん変化しなければならない。
その為、一つの仕事に長い時間をかけることができず、その場の思い付きで、ぱっぱと処理してしまう。
薄っぺらいものしか作れなくても、気にせず、どんどん次にいく。そうしなければ生きていけないし、立ち止まって考える余裕などないからだ。

だが、その結果はどうだろう。社会的、あるいは防災的に、取り返しのつかない建物もたくさん存在するのではないだろうか。

それでも自分が生き延びればいい、と。

建築って、そういうものなのか?

安藤氏の指摘は理想論かもしれないけれど、現実がどうあれ、『理想に向かう』という姿勢は大事だろう。現実はこんなものと開き直れば、そこで何もかも終わってしまうからだ。今すぐ変わるのは無理でも、心の片隅に留めるだけでも、物の見方は違う。

社会的にも精神的にも<消費されないもの>を作る。

それが本当の意味で自身の生き甲斐にもなるのではないだろうか。

だから建築家として生きていこうとするならば、まず自分というものがしっかり確立されていなければならない。デザイン感覚、知力も無論必要な能力ですが、それ以前の、人間としての芯の強さ、即ちいかに生きるかという、その生き方が、何より重要なのです。

流されない。恐れない。諦めない。妥協しない。

生きる姿勢が、そのまま作品にも現れる。

建築に限らず、音楽でも、絵画でも、みな同じです。

しかし最近の学生を見ていると、知識ばかりが先行していて、実際に体験して身体で確かめていくという実体験の過程がすっぽりと抜け落ちているような印象を受けます。コンピュータの普及のあおりか、建築を完全にコンセプチュアルなものとして、現実的な部分をそっくり欠落させたまま考える傾向が目立つのです。

設計課題で具体的な敷地が設定されているにも関わらず、現地を確認しないままスタディを開始している学生がいるのも驚きです。一体何を手がかりに建築のイメージを組み立てていくつもりなのか。

私の事務所でも、美術館を計画するに当たって、そこにどんな作品が収蔵されようとしているのかという点に関心すら示さず、収められる美術作品を写真でさえも見たこともないという若いスタッフが平気で図面を描いているという由々しき事態が起こっています。生活がわからなければ住宅が考えられないように、建築はその使われ方を知らなければ発想のしようがないはずです。

今はGoogle Mapも、Google Earthもあるから……近い将来、VRツールを応用した3D体験も可能になるから……わざわざ現地に行かなくても、自宅で、PC一台で、情報収集はできる! というメリットはあるかもしれないけれど、でも、現地の実際を知りもしないで設計された建物とか、ちょっと怖すぎないかと思う。
敷地自体は安全でも、海に近すぎるとか、住宅密集地にあるとか、周辺の土砂がボロボロとか、現地に行かないと実感できないこともたくさんあるだろう。地図検索や測量データなどで、科学的な情報は得られるても、自分で見て、触って、確信したことには敵わないものだ。
PCや家電のネット通販でも、メーカーの公式サイトを見れば、いくらでも詳細な情報を得られるが、実際に売り場に行って、製品に触れた感触はまったくイメージと異なることもある。建築もそれと同じで、データはデータ、実際、その地に暮らす感覚までは掴めないと思うのだ。
立ち寄った先で、住人や関係者から災害などに関する生々しい話を聞くこともあるだろうし。

『生活がわからなければ住宅が考えられない』というのは、本当にその通り。

仮に、庶民が宮殿の設計を任されても、何がどんな風に必要なのか、見当も付かないだろう。王侯貴族の暮らしなど無縁だから。

文献を調べればいろいろ分かるかもしれないが、そこに書いてある以上のことは、やはり自分が体験してみないことには分からない。

想像の域をでないものは、作品の上で、説得力をもたない。

最近の建築を見ると、どうも質感といったものが取り除かれてしまったように感じます。私はこれまで、少なくとも手や足など人間の身体が直接触れる部分には常に生命のある自然材を使用してきました。木や石やコンクリートのようにそれぞれの質感をもった実体のあるものが建築を構成する重要な素材なのであって、身体を通してこそ本質的に建築を認識できると考えているからです。その材料を自分のものとし、使いこなすためには、まず「こんなものができないだろうか」という強い思いとともに、その物理的特性に対する理解はもちろんのこと、その歴史や事例を含め、さまざまなことに意識を及ぼさなければなりません。

何より大きいのは、その建築にかける建築家の思いの強さです。コンクリートを建築材料としてどのように捉えるか、そしてそれによって何を表現しようとしているのか、普遍性が特徴であるからこそ、それが建築として成立するためには表現者の強い意志が必要なのだと思うのです。

<中略>

コンクリートの美しさのみを求めても建築をつくることはできない。それは美しさを求める建築家の強い理念がそこにあって初めて成り立つものなのです。

結局、どこまで物事を突き詰められるかは、その人の素養によるところが大きいと思う。動機が弱ければ情熱は長続きしないし、知識がなければ興味のもちようもないからだ。

(フォートワースのコンペにおいて)
まず、実施設計に入るにあたって設計チームを編成しなければなりません。実施計画は勿論、構造計画、設備計画、照明計画、展示計画に至るまで、分業化し得るありとあらゆる計画分野ごとに、担当チームを編成して連合していかねばならない、そのために、それぞれの分野で評判のよい構造事務所や設備事務所などから、彼らの仕事の内容や実力を知るためのドキュメントを送ってもらいます。これはこちらから頼まなくても、噂を聞きつけて先方からどんどん送ってきます。書類選考でいくつかのチームを選んだあと、アメリカ各地を選考のためのインタビューの回らなければなりません。

日本なら、それまでの経験上、お互いにその力を知悉している構造設計家なり設備技術者と、信用によるチーム編成をするので、一回ずつの面接など実施しないのが普通ですが、アメリカではそうはいかない。この準備が事業の成否を決定するものとして、非常に重要視されているのです。

<中略>

先日も施工会社がコンクリートの打設に失敗するという自体が起こりました。<中略> 結局、取り壊して打設しなおすことになりましたが、その責任を誰がとるのか、つまり工事費用を誰が負担するかでずいぶんもめて、そのために少なからぬ時間と労力が費やされました。けれども、こんな程度のことで疲れてはいられない。他国で仕事をしていこうと思うと、その国の生活習慣、精神文化とまともに付き合っていかねばなりませんから、日本での仕事とはわけが違う、そうしたプレッシャーに潰されないようにするためには、建築以前に、まず社会を身体で理解していかねばなりません。敗退もつらいものですが、勝ったら勝ったで、また別の次元での闘いが待っているのです。やはり建築は厳しい。

今の時点では先行きも決して明るいとはいえないこの世界に参画していこうとするのなら、皆さんもそれ相応の覚悟をしておいた方がいいでしょう。

『社会を身体で理解していかねばなりません』というのは同感です。こればかりは、自分で経験を重ねて身に付けないと、誰も教えてくれない。

建築のデザインとはそこで使う材料をはじめ、素材、工法、技術といったさまざまな要素を、個別の状況に応じて一回一回組み立て直す過程における意志決定、一つ一つの積み重ねにほかなりません。建築設計の本質とは決定することにあるといっても過言ではないのです。

しかし、こうした何かを決めるということが、実にむずかしいのです。そこには膨大なエネルギーが費やされます。何もないところに新たな関係性を構築していかなくてはならず、しかもより価値あるものを築いていかねばならないのですから、それも当然かもしれません。

これは建築設計に限らず、どんな仕事についたとしてもいえることでしょう。その意志決定の迅速さや的確さによって、その人間の仕事における評価が決まります。そのとき重要になってくるのが、情報です。できるだけたくさんの情報を集め、そこから前へ進むための手がかりを見つけなければなりません。だからこそ、情報技術が社会に革命を起こすと考えられ、IT革命などという言葉が生まれるのです。

そこで重要なことは何かといえば、誰にも等しく手に入る情報を、自分なりに正しく選び取って構築してゆくのは人間の総合的な判断力にかかっているということにほかなりません。しかし私は、人間の想像力は、数量化されて平均化された情報の山から、ただ一つの決定的な選択ができるほどにすぐれたものではないと考えています。

<中略> 

材料にしても構法にしても、部分の寸法一つとってみても、自らの身体で確かめ、血肉化された知識がなければ、確信をもって決定することは決してできないのです。

これは人間の生き方、すべてに共通していえること。

結局、五万、十万と、新しい情報を手に入れたところで、どれが正しく、どれが適切なのか、取捨選択する能力がなければ、情報に振り回されるだけで、何の役にも立たない。

たとえば、私たちはスーパーに行けば、新鮮な野菜でも、レトルトパックでも、何でも買うことができるが、中には多量に摂取しない方がいい食品もたくさんある。でも、それを選択するのは、私たち自身の知識であり、栄養学も、化学も、何も知らなければ、見た目や旨みにつられて、有害な食品でもどんどん摂取してしまうだろう。

結局、情報は情報以上の何ものでもなく、自身の素養と一体になって、初めて有用な知識となる。

あれこれ知っていても、実人生に活かすことができなければ、それは知らないのと同じなのだ。

建築の理想と現実――あるいは自分との闘い

私が建築に非常に惹かれるのは、法律や物理を無視して柱一本立てられないからだ。

たとえば、絵や小説は、紙と鉛筆さえあれば、いつでも、どこでもアイデアを形にできるし、音楽だって、ピアノがなくても、歌ったり、手を叩いたり、いつでも作り出すことができる。

でも、建築は、実際に建たないことには分からない。

アンビルトアーキテクトのように、実作を前提としない思想としての建築も存在するが、普通一般、建築家を目指すなら、やはり頭の中のアイデアを形にしたいもの。実際に目の前に建って初めて作品の完成を実感するだろう。

しかし、未開の地ならともかく、どんな小さな町や村にも建築基準法というものがあるし、日照権もあれば、環境保護の理念もある。どれほど素晴らしいデザインを思い付こうと、突然、町中にビルは建てられないし、たとえ山の中、離れ小島の海辺でも、建物を建てるとなれば自治体の許可が要る。

そもそも、誰がそのデザインを買ってくれるのか。それも数千万だか数億の高い買い物だ。手作りのワンピースをヤフオクで売るようなわけにはいかない。

おまけに、屋根の向き一つとっても物理の法則に支配され、どれほどデザインが完璧でも、思い通りになるとは限らない。

これほど不自由かつ面倒な芸術を誰が進んでやりたがるのだろう。私なら頼まれてもお断り。きっと三年で嫌になるだろう。

だからこそ、その道を目指す人はすごいと思うし、こんな世界で業績を残す人は怪物級と思う。相当に精神が強くなければ、一度のNoで挫折して、二度と自分の理想など追わないはずだ。

建築家の安藤忠雄氏も、著書『連戦連敗』で『建築は闘いである』と説いておられるけども、まったくその通り。それも「頑張り」や「前向き」で乗り越えられるような闘いではない、泥沼、血みどろ系の持久戦である。五年、十年、時にはそれ以上。一つの作品を完成させる為に、それだけのテンションを維持できる人がどれほどいるだろう。

ところで、建築といえば『コンペ』。

近年では新国立競技場の騒動が印象に残っているが、昔から『建築コンペ』というのはいろんな噂がつきまとうものだ。「誰某の意向が強く反映された」とか「最初から結果ありきの出来レース」とか。ピアノやイラストのコンテストと異なり、総工費数千万~数十億を必要とする、巨大な企画である。途中で難に気付いても、一度、工事が始まったものは簡単には取り消せないし、建ってしまえば、はいソレマデヨ。「やっぱり屋根の形がおかしいから、もう少し上向きにして下さい」「失敗したから、削除します」とはいかないのが建築だ。デザインを考える方も必死なら、決議するのも命がけである。いかにデザイン的に優れても、工費が、市民が、という話になれば、一転二転するのが当たり前だし、結果、「なぜ、こんなものが……」一位に選ばれたら、勘ぐりしたくなるのが人情だろう。

そんなコンペの本質を、安藤氏はこう書いておられる。

コンペの役割、あるいは意義は、単なる芸術コンクールとしてではなく、その社会性にあるのだと思います。ある課題に対する建築家それぞれの提案の中から最も適切なものを選び出す、その過程で、時代の抱える問題と、進むべき道への手がかりが見えてくるのです。時代の文化を方向づける指針といってもよいかもしれません。

<中略>

しかし、先ほどの国際連盟のコンペを見ても明らかなように、歴史上行われてきた、そして現在行われているコンペの全てがその理想通りに実行されてきたかというと、そうではなく、むしろ多くの場合、理想とはかけ離れた状況にあったというのが実状でしょう。これは、一つの建造物をつくりあげていく過程に、多大な人間の動員と多額の資金の調達とが必要とされる。即ち、政治経済といった分野と関わらざるを得ない建築ゆえの必然かもしれません。

意志薄弱な人なら、それだけで止めてしまうだろう。

どれほど研鑽を積み、人並み以上の実力を備えても、自分以外の要素で勝負が決まるなら、最初から闘わない方がマシではないか。

にもかかわらず挑む理由はどこにあるのか。

なぜ建築家は、実作されない可能性の方が高いと分かっても、作らずにいないのか。

そこで無条件に「やる」と答えられる事自体が天職であり、才能だからだろう。

安藤氏いわく、

あまり負けばかりが続くので、最近は抵抗力がついたのか、落選の知らせを受けても全く動じなくなりました。一等案が創造性という点において明らかに魅力のないものであったり、私たちが拘ったコンペのルールを全く無視したものが無批判に「画期的である」として評価され優勝していたりと、腑に落ちないことが少なくない、何か自分が主催者側の計略に陥ってしまったような、そんな疑問を感じることもあります。

コンペの運営がどのように行われているかは、参加者である私達には窺い知ることはできない部分です。そしてその勝敗は、芸術的・文化的な事柄に加えて、政治経済といった諸要因が複雑に絡み合う中、建築家の預かり知らぬところで決定されるのが常なのです。

世の中って、きびちぃのぉ(T^T) 

それでも闘うんだぜ。

キミにやれるか?

けれども悪いことばかりではありません。コンペを闘っていると、現業ではなかなか関わりを持てないようなことについて考える機会が得られるものです。外国での国際コンペに参加すると、改めてその国の歴史や風土を振り返らざるをえないし、その都市がどのようなプロセスを経て現在の姿に至ったのかを勉強しなければなりません。敷地の近くにすぐれた建築家が仕事を残していれば、この機会に研究してみようと思いますし、プロジェクトが既存の歴史的建物の増築に関わるようなものならば、ごく自然にその様式をつくりだした前史にまで意識が及ぶものです。

このプラス思考と探究心。

結局のところ、勝つまで続けるか、途中で見切るかの違いなのだろう。

止めるのはいつでも止められる。

だが、勝つには続けることが必要。

止めれば、永久に勝てない。

この闘いを勝ち抜くためには、建築の内容はもちろん、その周辺の状況に目を配り、戦略を考えなくてはなりません。政治、経済、文化、社会、あらゆるものとの関わりの中で考え、連想ゲームのようにして一つの物語として仕事を組み立てていくのです。

<中略>

理想主義とはかけ離れた、非常にドロドロとした現実的な闘いですが、建築とは本来、社会を相手にしなければならない、きわめて泥臭い部分を内包する仕事です。画家や彫刻家といった芸術家と違い、一人で仕事を完遂し得ないのです。そして、常に、クライアントと施工者という他者を介してしか実現し得ない仕事でもある。さまざまなしがらみの中での闘いなのです。

<中略>

連戦連敗で、よくも懲りずに挑戦を続けると思われるかもしれません。ただ私は、立ち止まることが嫌いなのです。たとえ負けても、次があるならば、そこに可能性を求めたい。許される限り、前へ進んでいきたい。そのように考えているのです。

この世に思う通りに願いが叶う人など皆無だろう。

勝ったら、勝ったで、その次は完遂するまでの長い道のりがあり、それも順風満帆とはいかない。

でも、その度に落ち込み、傷ついても仕方ないし、本当にそうしたければ、やっぱり闘うしかないのだろう。

才能には、当然、持久力や自己修復力も含まれるし、突き詰めれば、楽天的であることが要求される。

見方を変えれば、「自分にもできる」と信じること、信じられること、それ自体が才能といってもいいかもしれない。

負けても、負けても、作り続けることができるのは、自分に才能があることを知っているからだろうね。

都市こそ人間の精神の基盤

『クールジャパン』が積極的に言われるようになり、「これからの世界の中心は東京!」「外国人はみな東京はクールだと思っている!」という論調で湧いていた頃、ある有名ブロガーが「外国のインテリ層は東京のごみごみした町並みなどクールとは思わない」「アキバ的なカルチャーに熱中するのは海外でも下層の方で、そういう人はパリの観光客みたいに滞在費に何百万円と使ったり、アニメ文化のスポンサーになったりしない」といった内容の記事を書いたら、自称・愛国者や、(おそらく)海外経験の無い人たちに猛烈にパッシングされていたのを思い出す。

確かに日本のアニメ文化や東京のごったとした町並みが好きというファンは数多く存在するが、そういう人が文化的に価値を押し上げたり、強力なスポンサーになるかといえば、決してそうではなく、実態は、青木ヶ原の樹海で遺体を笑いものにしたYouTuberみたいに、ウォッシュレット便器や美少女キャラやたこ焼きなどを面白おかしく伝えるだけで、ギャグのネタでしかない。

以前は、日本文化といえば、着物、能楽、歌舞伎、相撲、禅寺など、伝統的なものが取り上げられて、海外のインテリ層を引きつけてきたが、今は変なモノやおかしなモノばかりが強調され、アジアの巨大歓楽街としか見なされてない。それは文化的興味ではなく、消費志向に近いものだ。それでも日本が世界に知られるならそれでいい、たくさん観光客が訪れて、お金を落としてくれるだけでいい……というなら、その通りだし、それも一つの道筋とは思う。

だが、彼らが本当に愉しんで、高く評価しているかといえば、決してそうではなく、あまりにも彼らの伝統的なカルチャーからかけ離れた、下品で滑稽な部分を笑いものにしている、という事実も認めた方がいい。

喩えるなら、吉本新喜劇を見てゲラゲラ笑ってるようなものだ。現実社会において、お父さんがステテコ姿で鼻の穴に箸を突っ込んで、「かい~の」なんか言わないし、お巡りさんが犯人と一緒にズッコケたり、女の子が男性に足蹴にされて「何さらすんじゃ、ワレー」と凄みをきかせることもない。現実にはあり得ない、はちゃめちゃなギャグをかますから、お客さんもゲラゲラ笑うのであって、クールジャパンもそれに似たところがある。ウォッシュレットも、美少女キャラも、キャバクラのネオンサインも、日本人はユニークでクールな文化と自負しているかもしれないが、海外の平均的な庶民やインテリ層から見れば、あまりにも自分たちの常識や知的水準からかけ離れているから、「面白い」と言ってるだけで、日本人の考える『文化』とは全く違う次元でとらえているのが実情ではないだろうか。

それはサブカルチャーのみならず、町作りも同様と思う。

以下、安藤忠雄の『連戦連敗』より。

私は建築の設計を職業としていますから、その計画を規制する条件である建築基準法や都市計画法など建設に関する法規はごく身近な存在です。これらは本来、日本に建設される建物について、ある一定水準の質を保証することで、快適で豊かな都市空間をつくることを目指して定められたものです。

ところが、実際に建築設計の現場に身を置いていると、この法規が逆に都市空間を貧しくしたり、都市全体を構想する上でもマイナスに働いている状況に出くわすことが多々あります。要するに、今日の役所が制限の規則として用いる都市計画、即ちマスタープランの作成からゾーニング、街区性格、道路計画、住区計画といった仕組み自体が、雑多な要素を吸収しながらものすごい速さで絶えず変化している都市の実情とすっかりズレてしまっているのです。

<中略>

そもそもの問題は、これらの法体系が、大正期日本が急速な近代化を進める中で、西欧の都市から持ちこまれ、理念もなくその構成原理のみを踏襲してしまったことにあったと思います。始まりの時点から既に現実の状況は全く蒸しされていた。19世紀中頃、パリを大変身させたオスマンの都市改造も、それまで都市構造を一変させる構想を打ち立て、強引に推し進めましたが、少なくとも無秩序な街に骨格をつくるという明快な目標をもっていました。だからこそ、100年経った今も、そのシステムが文化都市パリの礎となるシステムとして生き続ける。

それに対して日本の都市開発の出発点は、拠って立つ理念もなく、目標も曖昧なまま、ただ輸入した形式をそのままなぞることから始めてしまったのです。そこに軋みやズレが生じるのは当然です。

<中略>

役所は今もって、この都市計画法の下でしか都市を考えることができない。一方で、市民側にも都市に対する公的な精神が欠落してしまいますから、個人のエゴがむき出しになり、日本の都市はいまだ誇れる顔をもてないままです。もう少し、それぞれの都市の現状に合わせて変化する都市の動きに対応できるような柔軟なシステムが生まれれば、全体である都市と部分としての建築との間をよりよい関係でつなぐこともできると思うのですが、今もって変わることのない日本における縦割り行政やセクショナリズム、それに過剰な商業主義といったものがその実現を阻んでいるのです。

生粋の京都人には、京都という町の歴史や風土になみなみならぬ拘りがあり、(大きな声では言えないが)東京より格上だと思っているフシがある。

だから、「天皇陛下、退位なさったら、ぜひ京都にお帰りくださいませ」と言えてしまう。”引っ越し”ではなく、”お帰りなさい!”、これが京都人の偽らざる気持ちだ。

京都は、数ある都市の中でも、町並みへの拘りが強いし、法規制も厳しい。河原町界隈にお洒落な商業施設が次々に建ち並んでも、お茶屋のあたりは今も昔の風情が残っているし、高層ビルが建設できる場所も限られている。ちょっと歩けば、そこかしこに由緒ある仏寺や神社が建ち並び、源氏物語や歴史書に登場する地名や建物が本当にそこに存在する、というだけで、格別な気分にもなる。そうした日頃の歴史的、文化的体験が、「ぜひ京都にお帰りくださいませ」という自負と気風を作り上げるといっても過言ではなく、都市の在り方が個々の精神や美意識に大きな影響を及ぼしているのは確かだ。

実際、閑散とした町に暮らせば人の心も寂れてくるし、洒落た住宅街に暮らせば住人の気持ちも高揚する。心の持ち方は個人次第といっても、外的要素が精神に及ぼす影響は計り知れず、どんな不良もピカピカの校舎で学べば、ガラス窓の割りようがない、というのが本当だろう。

パリの住人も、パリに住んでいるからその基準に合わせるのではなく、パリの歴史と町並みが、人の心の持ちようをパリらしくさせるのであり、理念も目標も欠いた都市に、美や文化に対する愛着が育つはずがない。その町に暮らす人々が、自分の身の回りの快適と、自分が暮らす代のことしか考えなくなったら、ツギハギみたいな都市しか作れなくなるだろう。

それがどうした、住めればいいじゃないか、と思う人もあるかもしれない。

だが、都市環境というのは、確実に個々の精神に作用するし、美や歴史に対する関心と愛着は、理屈で教えられるものでなく、日々の体験によって培われるものだ。

長期にわたって、それが住む人の意識やセンスに大きな影響を及ぼすならば、やはり土台となる理念や方向性は必要だし、まして町並みを売り物のにして、地域の活性化を図るなら、一カ所、二カ所に、すごいものや面白いものを作ったところで、本物の求心力にはならない。なぜなら、『町』というのは、歩いて味わい、見て味わい、一体感を楽しむものだからだ。

私も戦争直後のことはよく分からないが、一帯が焼け野原と化した中、夢中で家を建て直し、商業施設を開き、必死で復興に努めた人々の姿が浮かぶ。すべてを失い、混沌とした中、都市の理念の百年の計だの、根本から考える間もなく、とにかく並の生活を取り戻すのに精一杯だったに違いない。

だとしても、もう十分に力は付いたのだから、これからいくらでも良き未来は作り出せるはずだ。

建築というものをピンポイントで考えるのではなく、まちづくり、くにづくり、というものを、もっと長いスパンで考えていただけたらと思う。

・・・とりあえず、自分の暮らす町が災害にどれぐらい強いか、リアルにシミュレーションしてみよう。

【終わりに】 建築は専門家だけのものではない

どこの世界もそうですが、日本も「専門家でないのに口出しするな」という風潮が日増しに強くなっているような気がします。

SNSが普及してからは、余計でそうした傾向を感じます。

確かに、素人にエクスキューズされて、喜ぶ専門家はないでしょう。

だからといって、「おかしいものはおかしい」と言えない世の中になれば、社会はいっそう偏った、歪なものになってしまいます。

とりわけ、建築は人々の生活に直結しますから、「排除アート」に代表されるような、見るのも、使うのも、痛々しい建築物が町中に作られたら、そこに住む人の心もどんどん禍々しいものになってしまいます。

そんな時、素人が感じる素朴な疑問も、「専門家でないのに」という理由で封殺され、物を言う自由もなくなれば、業者や自治体が暴走するのを誰が止めることができるでしょうか。

議論のない業界に反省はないですし、何をも顧みない創作に公共の幸福は有り得ません。

そんなわけで、私も専門家ではないですが、建築について、いろいろ書いています。

何故なら、建築賞と住み心地は必ずしも一致しないという事実を、自分自身が身をもって体験したからです。

今後も、業者に騙されて、クソ物件に何千万もつぎ込むような、不幸な住人が発生しないよう――

また、ハザードエリアにもかかわらず、無知ゆえに騙されて、土石流や洪水に命を奪われる住人が発生しないよう――

今後もコメントを残す予定です。

参考記事→ 巧妙化する「排除アート」 誰にもやさしくない都市が牙をむく時

初稿 2018年2月14日

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