意見するのに経験と資格が必要ですか? 意見は表明しなければ、存在しないも同じこと

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【社会コラム】 恫喝する専門家と黙り込む素人

SNSでも、「素人のくせに」という論調をしばしば見かけます。

専門家に疑問を呈したり、自分はこう思うと意見をぶつけたりすると、「素人のくせに」と不興を買うんですね。

しかし、医療人としての立場から言わせてもらえば、これは反論になっていません。

医学に素人な一般の患者さんが不安や不満を抱くのは当然のことで、これをいかに納得させるかが医学の専門家の力量です。

ビデオや模型を用いたり、お嫁さんではなく実兄さんに協力を求めたり、パンフレットを作成したり、患者さん向けの勉強会を開いたり。

間違っても、「医学の素人のくせに」などと言ってはいけません。

なぜこの世に専門家が存在するのかといえば、基礎の理論から体系的に学び、素人には想像もつかないような知識や技術を身に付け、精神的にも訓練されているからです。資格取得も修学も、自らの能力を社会に還元する為の手段であって、知識を持たない人にマウンティングする為に専門家を名乗っているわけでありません。

一般人にいちゃもんをつけられて、「素人のくせに」と切り返したくなる気持ちも分かりますが、それは非常に卑怯な言い草と私は思います。

なぜなら、疑問や不満を呈する一般人は、○○の専門家のように、基礎から学ぶ機会もなければ、現場を体験することもありません。でも、それは仕方のないことです。どこの世界に医学、工学、文学、社会学、等々、全てを知り尽くした人間がいるでしょう。「素人のくせに」とけなす人は、それを分かって言っているのだから、たちが悪いのです。

昨今は、皆が膝をつき合わせて心ゆくまで議論したり、一つの意見について熟考する機会がだんだん失われていますから、面倒になると「素人のくせに」と切って捨てたくなる気持ちも分からないでもないです。診察室でも、あまりにネチネチ絡まれると、「またくだらない健康番組を見て、しょうもない知識を詰め込んできましたね。後がつかえてるんだから、いい加減にして下さい!」と、ついつい声を荒げたくなりますが、それでも言ってはいけません。

何故って、私たち専門家は、正しい知識を普及し、自らの能力を社会に還元する為に、この道を選んできたのですから。

素人相手に、「素人のくせに」と返した瞬間、私たちは自らの職能を放棄したも同然なのではないでしょうか。(少なくとも医療の現場においては)

※ ついで言えば、素人の感覚を知ることは大事です。専門家が見過ごしがちなことに気付かされたりするので。

【小説】 「誰が」ではなく、何をすべきか

このパートは『第三章・海洋情報ネットワーク』の抜粋です。作品詳細はこちら

【リファレンス】 意見は表明しなければ、存在しないも同じこと

ハリウッド映画など観ていると、若くて野心的な主人公が相手構わず噛み付いて、激しい口論になる場面がよく登場します。

これってドラマの中だけだよね……と思っていたら、現実にもそうです。

空気に理解を求める日本とは大きく価値観が異なります。

意見を言う=自己主張と思い、遠慮する人も多いですが、自己主張と意思の表明は違います。

自己主張とは、とことん自分の意見を押し通し、間違いも認めず、相手にも譲らないことです。

意思の表明は、自身の考えや気持ちを明らかにして、相手に伝えることです。自己主張と異なるのは、間違いを正したり、相手に譲歩する器があることです。

海外では、子どもが幼い頃から、YESかNOか、意思表示することを求めます。

食べたくないなら、食べたくない、遊びたくないなら、遊ばない。

YESかNOか、答えそのものに意味があるのではなく、自身の意思を表明することが大事なんですね。

遠慮して物を言わない人は、意思の表明よりも、結果重視なのかもしれません。

自身の考えや気持ちより、結果に意識が集中してしまい、ついつい先回りしてしまうのでしょう。

「パーティーに行きたくない」という本音より、「パーティーを成功させなければならない」という結果重視なんですね。

しかし、「最初に答えありき」という考えは、個人の尊厳を蔑ろにするものです。

そのあたりが、イジメや自殺の多い理由の一つかもしれません。

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