
大堤防の歴史と全景
オランダの『アフシュライトダイク(締め切り大堤防』は、1927年から1932年にかけて、国家的な治水事業の一環として建設されました。
全長32キロ、幅90メートル、高さ7.25メートルの威容を誇り、北海から仕切られた内湾(ゾイデル内海)は、現在、アイセル湖となっています。
治水の重要な拠点であると同時に、湾岸の南北を結ぶ主要な交通路でもあり、中継点には記念碑や観光客向けの施設が設けられています。
ITもハイテク重機もない時代に、よくこれだけのものを作ったものです。
ここは旅行会社の観光ルートからも外れているので、個人的に移動するしかありません。(オランダ旅行と言えば、風車とゴッホ&レンブラント美術館、チューリップ園で終わり)
私はアムステルダムからアルクマールまで電車でアクセスした後、バスを乗り継いで、締め切り堤防まで行きました。(二度目は自分でレンタカーを運転した^^)
天候にも恵まれ、天橋立みたいに素晴らしい眺望でした
ちなみに、日本の土木技術は、多くをオランダから学んでいます。
鎖国の時代にも、日蘭の交易が続いていたこともあり、干拓、護岸、様々な技術を取り入れることができたのです。
ロケーション
写真で見る大堤防
アフシュライトダイク(締め切り大堤防)の全景。
『E22(自動車専用道路)』で表示されているのがアフシュライトダイク(締め切り大堤防)です。南北を結ぶ交通の要であると同時に、観光スポットにもなっています。

遠くに小さく見えるのは、建設工事を指揮したコルネリス・レリーの銅像です。

建設工事を指揮したコルネリス・レリーの彫像。今も祖国の海を見守る風情が魅力的。本作のモチーフです。

堤防建設に尽くした工夫の偉業を称えるモニュメント。
当時の苦労が偲ばれます。

水害と建設の歴史を物語るパネル。遊歩道に設置されています。

『水との闘いは人類の為の闘いである』 オランダのベアトリクス女王によって設置された碑文。

展望台の基底部に設置された労働者らのレリーフ。昔の工具を手にしています。

展望台には、小さな土産物売り場、カフェ、手洗いなどがあります。将来的にはアミューズメント施設を拡充し、新たな観光スポットに再建する計画があるらしい。

動画
締め切り大堤防の現在と歴史を伝えるビデオ。アニメーションで分かりやすく描いています。
締め切り大堤防は、非常に快適で、ダイナミックなドライブ道でもあります。
コリン・ファレルのヒット曲『Happy』に乗せて、るんるん走行。
筆者もレンタカーで走ってきました。
まるで海のど真ん中を渡るようです。
オランダにもキーウェストのような絶景がたくさんあります。(無数の中州を長い橋梁で繋ぐ)
アフシュライトダイクが単なる大堤防ではないことが分かります。
強度な防潮力を備えた高機能堤防であり、現在も拡張工事が続けられています。
『ネーデルラントはネーデルラント人が作った』
一つの土地、一つの技術に恋することは、時に人生まで変えてしまうものです。
私にとっては、オランダの干拓技術とアフシュライトダイク(締め切り大堤防)がそうでした。
本著の「あとがき」にも書いていますが、私がオランダの干拓技術とアフシュライトダイク を知ったのは、1995年頃、海洋都市のモデルを探して、図書館で手当たり次第に専門書を読み始めたのがきっかけです。
小学校の頃から、鎖国政策の間もオランダとは交易があったこと、医学や土木など多くの知識と技術がオランダからもたらされたこと(『蘭学』『ターヘルアナトミア』『杉田玄白』あたり。ガラス、コップ、デッキ、ペン、といったオランダ由来のカタカナ語も多い)を知ってはいましたが、実際、オランダがどれほど優れた技術を有しているか、具体的にはほとんど知らなかったので、初めてアフシュライトダイクの存在を専門書で知った時、なんと素晴らしい構造物があるのかと、目を見張ったものでした。
とりわけ、心を動かされたのが、オランダの諺でもある、
《God schiep de Aarde, maar de Nederlanders schiepen Nederland(世界は神が創り給うたが、ネーデルラントはネーデルラント人が作った)》
Nederlandは、その名の通り、『海より低い土地』。
国土の大半が海抜数メートル、もしくは海面より低い位置にあり、もしオランダの排水設備が三日間停止したら、西部の1/3が水没するといわれています。
いわばオランダの歴史は水との闘い、堤防と運河こそ国民の生命線なのです。
そんな危険な土地にも関わらず、人が水の流れを変えてでも住みたいと思うのは、やはり水と緑の美しさ、広大な海、国土の大半が水路に接し、交通や農業に適していることがあげられます。
また『東インド会社』に代表されるように、オランダは自由と共和の気風から近代的な通商システムを作り上げ、フランス、イギリス、スペインといった応酬列強に囲まれた小国にもかかわらず、空前の繁栄を遂げることができました。それは現代にも受け継がれ、独特の文化をつくりだしています。(大麻、安楽死、飾り窓、同性愛、日本人にはびっくりするような価値観もありますね)
『洪水多発だから危険。みんな逃げろ』ではなく、『だったら知識と技術で水の流れを変えてやろうじゃないか。ついでに自然のパワーを利用して、豊かな国を作ろうぜ!』がネーデルラントの精神なのです。
自らの国土と幸福は、自らの手で作り出す。
その最たるものが、アフシュライトダイク(締め切り大堤防)です。
全長32キロメートルに及ぶ巨大な堤防が、ハイテク重機もパーソナルコンピュータもない時代、人の手によって作られたとは、なんという英知であり、意思の力でしょう。
彼らはみな、奴隷のように酷使されたのでしょうか。
そんなことは断じてありません。
この堤防が数百年の未来にわたって国土の生命線になると信じて、一つ一つ、人力で石を積み上げ、ついには海の水を堰き止め、堤防の内側に豊かな干拓地を作り出したのです。
まさに『ネーデルラントはネーデルラント人が作った』のです。
その威容は今も北海に広がり、堤防建設を指揮したコルネリス・レリーの彫像に見守られながら、沿海の干拓地を守り続けています。またこの堤防は北と南を繋ぐ主要な交通路でもあり、堤防の中程には、カフェや展望台、記念碑も設置されています。
将来の地球温暖化による水位上昇に備えて、今後もいっそう堤防強化されると共に、観光資源としての開発も計画されています。
ネーデルラントの精神は、21世紀も、22世紀も、さながら紅海を分かつ奇跡のように、水害から国土を守り、緑の美しい大地を創出することでしょう。
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締め切り大堤防をモチーフとした小説のパートです。
参考文献
意志と表象としての世界〈1〉 (中公クラシックス)
女の子が読んでいたショーペンハウターの『意思と表象としての世界』はこちら。
「心が現実を引き寄せる」等々、現在のスピリチュアルの走りみたいなものです。
哲学の源泉は昔から一つも変わっていません。
手を変え、品を変え、同じことを言い回しているのが真相です。
ショーペンハウアーについて
1788~1860。19世紀ドイツの厭世思想家。ハンザ同盟の自由都市ダンツィヒ(現、グダニスク)に生まれる。父は富裕な商人、母は女流作家。父に伴われて幼少期からヨーロッパ諸国を旅行する。父の死後、遺志に従って商人の見習いをはじめたが、学問への情熱を断ち切れず大学に進む。1918年に主著『意志と表象としての世界』を完成、ベルリン大学講師の地位を得たが、ヘーゲル人気に抗することができず辞職。生を苦痛とみるそのペシミズムは日本でも大正期以来、熱心に読みつがれてきた。
本作は、「世界とはわたしの表象である」を前提に、人生や苦悩について綴った歴史的名著。

図説 オランダの歴史 改訂新版
アフシュライトダイクとオランダの治水を理解したければ、海抜より低い特殊な地理と欧州列強に囲まれた、波瀾万丈の歴史を知る必要があります。
オランダは常に海とありき。
幸運も、不運も、波に運ばれ、運河の流れにのって過ぎ去る、という感じです。
こちらは美しい写真が満載で、オランダの歴史もわかりやすかったです。
ただ、スペインやイギリスとの関わりが深いので、欧州全般の歴史を知らないと、ちょっとややこしいかもしれません😅

オランダ水辺紀行
こちらも美しい写真が満載のフォトエッセー。
廃刊になって久しいですが、オランダ旅行への憧れをかき立てる一冊です。
機会があれば、ぜひ。
平沢さんのエッセーも旅情溢れる文章で、好感がもてました。
海を干拓し、エコロジカルな環境を作り出した水辺の民オランダ人。小さな国土と自然を大切にし、古き良きものをいとおしみ、農業大国として、充実した住環境の中で生活をおくる人々の姿を美しい写真で紹介。
