『人に恋する』ということ 

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「タイタニック」といい、「ロミオとジュリエット」といい、命がけのラブストーリーがもてはやされるのは、本物の恋愛を経験した人など、きわめて少ないからではないか。

実際に体験したら、自分の体験の方が重すぎて、映画や小説にカタルシスを求めなくても、日々の出来事が心を洗い流してくれるからだ。

事実は小説より奇なり。

現実の恋愛も、フィクションをはるかに超える。

本当に誰かを命をかけるほどに愛したら、まず人並みな現実生活とはオサラバせねばならない。

旅行だ、飲み会だ、などと浮かれておれなくなる。

場合によっては、自分の全てを犠牲にする覚悟も要るだろう。

楽して稼ぎたいわ、命がけの恋愛はしたいわ、日々のライフスタイルは壊したくないわ、そんな贅沢は二度と通らない。

お腹いっぱい満たされて、まるまる太った人のところに、どうして命がけの恋が訪れるだろう?

人は、身体で生きるか、心で生きるか、二つに一つだ。

どちらかを取れば、どちらかを失う。

命がけの恋も、日常をとるか、ただ一つの恋に殉じるか、ぎりぎりの選択の中に花開くのではないだろうか。

*

人を好きになるのは容易いことだ。

だが、人を恋し、恋されるとなると、人間に対する感受性が必要になる。

さらに愛し、愛される関係になるには、さらに高い能力が要求される。

恋愛など、誰にでも出来るものではない。

それは本当に選ばれた人間だけが感受できる、魂の経験である。

*

恋は誰に与えられるものでも、そこらに転がっているものでもない。

恋ができないのは、恋するにふさわしい相手がいないからではなく、恋するにふさわしい感性と日常を捨てる勇気が欠如しているからだ。

生半可な恋には、生半可な悦びしか得られない。

そして、それに気づく頃には、人生の春はとおに過ぎ去っているのである。

【 僕は、愛というものは、もっともっと永遠の、重々しい、 神秘的なものと信じたいのだ。
それは人生の意味であり、現実を支えるロマンの世界のものなのだ】

初稿: 1999年5月16日  メールマガジン 【 Clair de Lune 】 より

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