獣性という名の悪魔 映画『蠅の王』(1990年)

獣性という名の悪魔 『蠅の王』
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蠅の王 -Lord of the Flies (1990年)

作品の概要

蠅の王(1990年)
原作 : ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』(Lord of the Flies)
監督 : ハリー・フック
主演 : バルサザール・ゲティ(ラルフ)、 クリス・ヒュール(ジャック)

蠅の王
蠅の王

あらすじ
アメリカの陸軍幼年学校の生徒たちを乗せた飛行機が南太平洋上に墜落する。少年らは、負傷した機長と共に、近くの無人島に漂着し、陸軍学校の生徒らしく、秩序をもって困難を乗り切ろうとするが、野生の島で、飢えや暴風雨の恐怖にさらされるうち、次第に理性と秩序を失ってゆく。
最後まで人間らしく生きようとする、リーダー格のラルフとピギー。狩猟派を組織し、力でもって生き延びようとするジャック。
やがて幼い少年らはジャックに付き従い、野生の本能に突き動かされるようになる。
統率力を失ったラルフは、何とか幼い少年らを人間らしい道に引き戻そうとするが……。

獣性という名の悪魔

前から興味はあったが、なかなか見る機会がなく、長年、素通りしてきたが、今日、初めて鑑賞。

感想は『すごい』のひと言に尽きる。

原題は、「Lord of the Flies」。

すなわち、魔王ベルゼブブのこと。

作中でも、狩猟派の少年達が切り落としたブタの頭に無数の蠅がたかる場面が何度も映し出されるが、次第に、悪魔に取り憑かれたように、人間性を失っていく少年らの姿を象徴するかのようだ。

果たして、彼らは本物の悪魔だったのか。

それとも、悪魔が取り憑いたのか。

正解は、人間の中に、獣性と人間性の二面が存在することだろう。

普段、わたしたちは、理性や知恵によって獣性を制御し、人間性をつなぎ止めているが、一度、そのタガが外れれば、獣性が顔を出す。

学校のいじめが最たるもので、殴る、蹴る、嫌がらせをする、その凄まじさたるや、ヤクザ顔負けである。

本作では、最後まで人間らしさを保とうとするラルフと、力によって過酷な野外生活を生き延びようとするジャックの対比が強調して描かれる。

だが、ジャックも、ジャックに引きずられるように狩猟派に寝返る年少者も、最初は陸軍学校の生徒らしく、規律に従おうとしていたのだ。

ところが、野生の獣が闊歩する島で、丸腰で生き延びることなど到底無理だと、子ども心に悟ったのだろう。

彼らは学級委員のように正論を説くラルフよりも、槍一つで野生の豚(イノシシ)を仕留め、仲間に焼き肉を振る舞うジャックに惹かれるようになる。

そして、原始社会においては、それが正解なのだ。

我々の祖先も、恐らくそうして生き延びてきた。

凶暴な獣にも槍一つで立ち向かい、一撃で仕留める逞しい男こそがコミュニティの英雄だった。

そうでなければ、牙も爪も持たない人類など、到底、生き延びることはできなかっただろう。

しかし、現代においては、狩猟よりも共同作業、野生の本能よりも、難しい機械を作ったり、動かしたりする知識の方が重宝される。

複雑な機械を使いこなし、より多くの人に富を分かつには、統率のとれた共同作業と協調性が何よりも大切だ。

ラルフはまさにそちら側の人間で、野生の島でも、それを押し通そうとするが、ここは都会ではなく、一度のハリケーンで、住まいも焚き火も跡形もなく吹き飛ばされる地獄である。

自分たちが必死でこしらえたものが一夜で消え去る現実を目にして、幼い少年たちが「野性的なジャックこそ、自分たちを導く救世主」と崇めたのも、頷ける話である。

そう考えると、今、地上で起きている様々な争いも、獣性と人間性の闘いであり、貧困や災害に直面しても、我々の多くが人間性を保てるのは、ひとえに教育の賜である。

しばしば、被災地の救援所で、住まいも着るものも無くした被災者が、一列に並んで順番待ちする姿が立派だと報じられるが、幼い頃から、「腹が減ったら、盗め、襲え」と教えられているような地域であれば、たちまち略奪が起きて、被災地も地獄絵図と化すだろう。

本作では、本来、少年達の規範となり、統率者となるべき「大人の機長」が頭部に重傷を負い、奇怪な行動を繰り返す様子が描かれる。

もはや正常な判断もできず、少年らの話し相手にもならない大人は、あっという間に少年たちから忘れ去られ、邪魔者扱いされるようになる。

機長に統率力があれば、もう少し違っていただろうに、少年たちは、ジャックを筆頭に、規律を忘れ、良心を忘れ、人間性を失っていった。

それはさながら、「大人不在の子供社会」を象徴するかのようだ。

重症の機長や、真面目なラルフを、少年たちが無視し始めたように、現代においても、影響力をなくした大人を無視して、子供たちは勝手な振る舞いをするようになっている。

もう一度、こちらを振り向かせようにも、一度、権威を失墜した者は、二度と顧みられることはなく、少年たちの振り回す槍の餌食となる。

子供の中にも獣性と人間性が存在するならば、子供の獣性を制御しているのは、まさに大人の知恵であり、本作の最大の悲劇は、無人島に漂着したことではなく、大人不在の世界に置き去りにされたことではないだろうか。

今となっては、このような作品は、ポリシーの問題から製作不可能だと思うが(多分、上映も難しい)、何とも名状しがたい芸術作品である。

『ハンガーゲーム』や『メイズランナー』のように、少年少女が武装して、巨大な敵と戦うSFアクションは多数存在するが、仕掛けに凝った特撮アクションより、本作の方がいっそう不気味に感じるのは、人間が一番見たくない、自分自身と社会の本質を如実に描いているからではあるまいか。

ハッピーエンドといえば、ハッピーエンドだが、現実的に考えれば、この子達を更生するのは至難の業だろう。

あるいは、こういう子供だちだからこそ、過去のことはけろっと忘れて、すんなり現代社会に戻っていくのかもしれないが(それはそれで、怖い)

それにしても、ラストシーンの、現代文明 VS 原始の対比は凄まじすぎる。

「お前たち、何をやってるんだ?」のひと言が、これほど重い作品もまたとない。

当分、豚肉が食べられなくなる、静かで、不気味で、胸をえぐるような、異色作である。

蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)
蠅の王〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

獣性という名の悪魔 『蠅の王』

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Notes of Life

正しい意見は人を安心させるが、魂までは救いません。 正しいことしか言えない人は、実は何も分かってないのでしょう。 私たちは人間の負の面を知り、寄り添うことによって、初めて人間として完成します。 光がこの世の全てではないのです。

この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO 著者

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚のSF小説を手がけています。看護師として医療機関に勤務後、東欧に移住。石田朋子。
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自己肯定感を高めたければ、誰かの役に立つのが一番の近道です。 いきなり人の中に入るのが怖ければ、小さな鉢植えでいいので、大事に育ててみましょう。 自分みたいな人間でも必要とされていることが分かれば自尊心も高まり、自信に繋がります。
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