人生は最後まで生きてみないと分からない

若い人が一番苦手なのは、「大局的に物を見る」ということではないでしょうか。

たかだか十数年の経験を元に「人生はこうだ」「世の中はこうだ」と決めつけて、絶望したり、閉じこもったり。もう百メートル、道を登れば、まったく異なる風景が見えてくるのに、今、自分が立っている地点や目に映る風景が全てと思い込み、簡単に結論づけてしまうのです。

しかしながら「時間」というのは不可思議なものです。

日々の変化は小さくても、十年、二十年の長いスパンにおいては、世の中の決まりや価値観を確実に変えていきます。

ほんの二百年前まで、日本にはまともな人権もなく、お上に逆らえば公開処刑、斬首も磔刑も日常的に行われていましたが、今でもそれが正しいと信じている人など皆無でしょう。

ほんの一世紀前まで、女性には参政権もなく、政治活動も制限されていましたが、現代は女性の生き方も社会的地位も大正時代とは大きく異なります。

また、昭和の時代には、一般人が自分の作品を公開する機会など限られていましたが、現代は、YouTubeやPixivなどで動画やイラストを気軽に公開し、世界中から声援をもらうことができます。

このように、社会の在り方も、価値観も、十年、二十年の長いスパンで大きく変わっていきますし、ITやAIの進歩によって、変化の速度はますます増しています。YouTubeやPixivの登場で不可能が可能になったように、今は無理でも、五年後、十年後には、実現する事もあります。昨日コンテストに落選した人が、五年後にはネットの人気者になるような逆転劇がどんな分野にも秘められているのです。

人生は最後まで生きてみないと分かりません。確かに、底辺の人間が億万長者になるような大逆転劇は希有かもしれませんが、「私なんか」と諦めていた人に素敵な恋人ができたり、希望の会社に就職できなかった人が意外なところで能力を発揮したり、恩師に駄目だしされた人が他の人には高く評価されたり、ささやかな幸運は訪れるものです。リストラされて落ち込んでいたら、五年後にその会社が倒産したとか、恋人に振られて嘆いていたら、実は借金だらけの遊び人だったとか、その時には不幸と思えた出来事も、後で振り返ってみれば、非常に幸運だったということもあります。何事も、長いスパンで見てみないことには、幸か不幸かは分かりません。しかし、その移り変わりを泰然と眺めるには、やはり長い人生経験が不可欠なのです。

十代二十代でも利口な人はいますが、それでも体験として知っているのは十年、二十年分です。数十年の移り変わりを見てきた人からすれば、わずかな情報だけを頼りに、狭い間口でうろうろしているような感じです。ディズニーランドも、初めて訪問した人と、何度も訪れて遊び方も知っている人では、動きも考え方も大きく異なりますよね。十代二十代は、いわば初回訪問者です。目当てのアトラクションに乗り損ね、「ディズニーランドは最低だ!」を腹を立てている間、上級者は別の楽しみを見つけて、一日を満喫しています。でも、それは、あっちで失敗し、こっちで後悔した経験があればこそ、身につく知恵なのです。

何事も理解するには時間がかかります。

一度、目当てのアトラクションに乗り損ねたからといって、「ディズニーランドは最低だ!」と決めつけるのは早急です。

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