勉学と文学的完成が人生を救う

目次

勉学が身を救う

いつの時代も、勉強は大きなプレッシャーです。面倒で、退屈で、心の底から好きという方が少数かもしれませんね。

しかし、これからの時代、ますます分析力や創造力が求められるのは確かです。IT化によって誰もが簡単に情報を入手できる分、それを比較したり、体系化する力がいっそう必要になるからです。

勉強しなくても、ネットで検索すれば、何でも瞬時に回答が得られるからいいや、と思っているかもしれません。しかし、知識というのは、それ一つで機能するわけではありません。たとえば、西洋絵画を理解するには、キリスト教文化やギリシャ神話、歴史など、美術以外の分野にも精通している必要があります。ミケランジェロの代表作は『最後の審判』と事実だけ知っていても、その審判が何を意味するのか知らなければ作品の意義を理解することはできません。ネットで検索すれば、『ミケランジェロ』や『最後の審判』に関する情報はいくらでも入手できますが、画家と作品名を知ったところで、縦にも横にも広がらず、ただ知っているだけで終わってしまいます。作家のダン・ブラウンのように、美術や歴史に関する知識を縦横に結びつけて、『ダヴィンチ・コード』のような一級の

エンターテイメントに仕上げる創造力は決して身につかないでしょう。

厳密に言えば、勉強と勉学は似て非なるもので、恐らく大勢が苦痛に感じるのは「勉強」の方でしょう。新明解国語辞典 第七版によると、〔そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる意〕という注釈が入っていますので、勉強というのは「自分に強いる」の意味合いが強いでしょうね。

一方、勉学は「学問に勉める」ことですから、自発的な意味合いが強いです。得意な分野や興味のあること、何でも構いません。歴史、文学、舞踊、映画、建築、コンピュータ・サイエンス、宇宙科学、学ぶことは無限にありますし、一つに通じれば、縦にも横にも知識は広がっていくものです。SF漫画がきっかけでコンピュータ・サイエンスに興味をもち、高等学校で情報工学を専攻して、現在では有名メーカーの研究職に就いている人もありますし、料理ブログや一般参加のコンテストがきっかけで、本格的に料理家の道に進む人もあります。「こうすべき」という王道はだんだん境界が曖昧になり、何が躍進のきっかけになるかは業界の通でも予測できないほどです。誰もが手軽に情報にアクセスし、コンテンツを公開できる時代、むしろ専門性や信憑性に対する需要は高まる一方で、勉学の量が成否を決めるといっても過言ではありません。

人間関係や職場は努力しても報われないことがありますが、勉学は決して裏切りません。知識や見識として身についた事は、いつか、思いがけない形で役立ちますし、一見くだらないような事でも、知っているのと知らないのでは大違いです。

学校の勉強が苦手な人でも、興味のあることはどんどん吸収し、知識の枝葉を広げて下さい。何かに活かそうとする意欲がある限り、いつか点と点が結ばれて、「これだ!」という新たな道筋が見えてくるはずです。

文学的感性が人生を救う

呪いに苦しむ人は、いろんな情報を探り、逃れる方法を必死で探していると思います。自己啓発、スピリチュアル、体験談、「こうすれば幸せになれる」というアドバイスは世の中に溢れかえり、それらを参考にするのも一つの手段に違いありません。

しかし、それにも増して、深い洞察力や示唆を与えてくれるのが文学です。

詩、小説、短歌など、古今東西の作家が書き残したものは、いろんな感情が溢れています。この世では悪とみなされる怒りや嫉妬も、一つの作品として、不滅の輝きを放っています。

彼らの多くはあなたと同じ落ちこぼれで、憎悪や劣等感の囚われ人でした。生まれてから死ぬまで愛情や才能に恵まれ、楽しく生きた大家など、私の知る限りでは皆無です。皆、大なり小なり心の闇を抱え、社会からはみ出し、不遇や孤独と闘いながら書き続けた人ばかりです。彼らとあなたに違いがあるとしたら、彼らは自分の苦悩を客観視する知性と、詩や短歌に歌い上げる感性に恵まれたことでしょう。その知性や感性も決して天分ではなく、彼らもまた答えを求めて古今東西の名著を紐解き、先人に教えを請うた人々です。その思いが高じて、自らも書き綴るうち、文豪とか天才とか呼ばれる域に達したに過ぎません。

彼らは「親 死んでほしい」「親 殺したい」とストレートに叫ぶ代わりに、大嫌いな親を悪徳代官に喩えたり、怪物になぞらえたりして、作中で闘ってきました。スターウォーズのダース・ベイダーも、ジョージ・ルーカス監督の父親をモデルにしているという説がありますし、父親と険悪だったドストエフスキーも名著『カラマーゾフの兄弟』の中で、「なんでこんな男が生きているんだ」と長男に叫ばせ、作中で殺害しています。オイディプスの悲劇も、親子関係の本質を理解した古代の人々が、たとえ話として訓戒したのかもしれません。いずれにせよ、「死ね」「殺す」で留まらなかった人々の、血と汗の結晶に他なりません。

このように、人間にはネガティブな感情を昇華する知性や感性が備わっています。作り手でなくても、作品に込められた思想や主張は理解することができるでしょう。

多くのノウハウ本は、ネガティブな感情を否定しますが、文学は否定しません。憎悪も殺意も自身の一部と捉え、それらも含めて人間を理解することに全力を注ぐからです。

主人公は、時に愚かで、意地悪で、反社会的ですが、そんな人間にも人生があり、真実があることを、作家は己に重ね見ながら、存在意義を与えることができます。そうした作品に触れることで、あなたは、あなたと同じ心の影を見出し、怒りも、悔しさも、淋しさも、人間の愛すべき一面と悟るでしょう。そうした感性こそが人間としての幅を広げ、洞察力を磨くのです。

幸せになる為のノウハウ本もいいですが、たまには、そうした詩や小説も手に取ってみて下さい。あなたと同じ駄目人間の先輩が、明るく生きるだけが全てではないことを教えてくれるはずです。

前のエピソード
人生は最後まで生きてみないと分からない 人生とは絶えず変化し、その行く先は誰にも分からないものです。70代になっても、80代になっても、明日何が起きるのか、誰にも分からないのが人生です。最初の十数年だけを見て「こうだ」と決め付けるのは早急です。今年は無理なことも来年には出来るようになっているのが人の世であり、人生の面白さです。
次のエピソード
子供の反抗は『親の否定』ではない 『親殺し』という言葉だけ見れば、非常に激しい印象を受けますが、要は、親の影響から離れて、我が道を行くだけのことです。子どもだって親を愛したい。どんな時も尊敬の気持ちで仰ぎ見たいと願っています。意見が食い違うことと、親を否定することは、まったく別物です。
誰かにこっそり教えたい 👂
TOP
目次
閉じる