『ヒトラーの忘れもの』(2015年)
作品の概要
監督 ; マーチン・サントフリート
主演 : ローランド・ムーラー(ラスムスン軍曹)、エペ大尉(ミケル・ポーフォルスゴー)、ルイス・ホフマン(セバスチャン)
下手すれば即死、よくて重傷という、命がけの作業に、少年兵のグループを率いるラスムスン軍曹は神経を尖らせるが、いつか故郷に帰る日を心の支えに、懸命に地雷撤去に当たる少年たちの姿を見るうちに、ラスムスン軍曹の心に温かな感情が芽生える。
だが、デンマーク軍の方針は変わらず、少年達の身を案じるラスムスン軍曹はある行動に出る……。
戦時下の愛憎が埋まる 地雷の地
英語のタイトルは、『Land of Mine(地雷の地)』。
邦題の『ヒトラーの忘れもの』より、生々しく実状を伝えている。
確かに、「忘れもの」といえばその通りだが、忘れ物とは忘却のことであり、ヒトラーはデンマークの海岸に埋めた地雷のことなど決して忘れていない。
むしろ、自分の死後も、ドイツ軍の仕掛けた地雷で、デンマーク人も、連合軍の奴らも、みんな死ねばいい、ぐらいにしか思ってないだろう。
だから『ヒトラーの忘れもの』ではなく、『地雷の地』が正しい。
誰にとっても、これは「地雷」である。
さて、本作で少年達の父親代わりとなるラスムスン軍曹は、決して戦地の英雄ではないし、心ばえのいい兵士でもない。
映画の冒頭、傷だらけで行進するドイツ兵にも食ってかかり、祖国を蹂躙された憎悪をむき出しにする。
少年兵といえど、ラスムスン軍曹にとっては、敵国の兵士だ。可愛いわけがない。
ただ立場が逆転しただけで、少年兵に殺されたデンマーク人もいただろう。
戦争が終わったからと言って、即日、Love & Peace になれるはずもなく、それほど単純な問題ではないから、21世紀になった今でもナチスが、南京虐殺が、、と言い続けているのだ。
ラスムスン軍曹も、当初、少年兵を虐待する。
当然だ。
ドイツ軍が祖国にしたことを思えば、憎悪が湧いて当然である。
だが、腕を吹き飛ばされた少年兵が、「ママ! ママ!」と泣き叫ぶ姿を目の当たりにして、ほんの子供であることを思い知る。
戦争は大人の責任だが、子供には何の罪もない。
そうした気付きと心情の変化が、本作の見どころだ。
ハリウッド映画なら、ここで肩を抱き合い、くさい台詞の一つも吐いて、ジャジャーンと感動的な音楽が流れるのだろうが、ここはアンデルセンの国である。
そんな安っぽい真似はせず、アンデルセンの子孫らしく、詩的に物語は運ぶ。
どちらかといえば、台詞は少なめで、情景の中に重要なメッセージを描いている点が本作のポイントだ。
近所の住民との交流も、肩を抱き合うのではなく、笑顔のみである。
だが、その笑顔が全てを物語っている。
平和的解決に「ご高説』は必要なく、人間の良心と、ほんの少しの勇気が世界をより良く変えるのだ。
ドイツも、デンマークも、世界中の観光客で賑わう今、わざわざ過去の蛮行を蒸し返し、ドイツの、あるいはデンマークのレストランで、ちゃぶ台をひっくり返して、文句を言う人間はない。
連合軍も、同盟軍も、同じように酒を酌み交わし、観光名所で自撮りにいそしむ時代である。
そして、そんな時代をもたらしたのは、地雷の地で、命がけで地雷の除去に取り組んだ捕虜や少年兵、そんな姿を見て、少し心情を変えたデンマークの人々である。
それぞれが、どんな思いで、地雷撤去に当たったのかは分からない。(指揮した軍人も含めて)
ただ一つ、確かなのは、多くの犠牲の上に今の平和がある、ということだ。