⑥ 淫婦グルーシェニカと好色な一家 ~人間社会こそ最大の修行場 《原卓也のカラマーゾフ随想》

林 自然
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第一部 第二編 場違いな会合 / 第七章 出生主義者の神学生
目次 🏃

人間社会こそ、最大の修行場

⑤ こんな男がなぜ生きているんだ! ドミートリイと父の確執《カラマーゾフ随想》原卓也訳の続きです。

一家の醜態をさらした後、アリョーシャはゾシマ長老を寝室に連れて行き、身体を休める。

だが、アリョーシャは、父やドミートリイのことを思うといたたまれない。

このままずっと長老の傍にいて、家族の問題から逃げ出したいと願う。

そんなアリョーシャの心中を察したゾシマ長老は、彼の苦痛を理解しながらも、「行きなさい。お前は向こうで必要な人間だ」と、家族と一緒にいるよう諭す。

だが、アリョーシャは、「どうか、このままここにいさせてください」と哀願する。

「お前は向こうでいっそう必要な人間なのだ。向こうには和がないからの。お前が給仕をしていれば、役に立つこともあろう。諍いが起こったら、お祈りするといい。そして、いいかね、息子や(長老は彼をこう呼ぶのが好きだった)、将来もお前のいるべき場所はここではないのだよ。これを肝に銘じておきなさい。わたしが神さまに召されたら、すぐに修道院を出るのだ。すっかり出てしまうのだよ」

動揺するアリョーシャに、ゾシマ長老はなおも力づける。

お前のいるべき場所は、当分ここにはないのだ。俗世での大きな修行のために、わたしが祝福してあげよう。お前はこれからまだ、たくさん遍歴を重ねねばならぬ。結婚もせねばならぬだろう。当然、ふたたび戻ってくるまでに、あらゆることに堪え抜かねばなるまい。

しかし、わたしはお前を信頼しておる。だからこそ、送り出すのだ。

お前にはキリストがついておる。キリストをお守りするのだ。そうすればお前も守ってもらえるからだからの。

お前は大きな悲しみを見ることだろうが、その悲しみの中で幸せになれるだろう。

悲しみのうちに幸せを求めよ――これがお前への遺言だ、。

アリョーシャにとっては、僧院こそ、聖なる学校だ。

だが、ゾシマ長老は、僧院を出て、家族と一緒に過ごすよう諭す。

なぜなら、人間社会こそ、アリョーシャにとって、最大の修行だからだ。

その意義を理解しつつも、アリョーシャは不安でたまらない。

どうすればいいのか、打ちひしがれて林道を歩いていると、野心的な神学生ラキーチンに出くわす。
(参考記事 ラキーチンは裏切り者のユダ? 嫉妬が悪意に変わる時(12)

ラキーチンは、アリョーシャに友情を示しながらも、内心、カラマーゾフ家の問題に興味津々だ。

淫婦グルーシェニカと好色な一家

長男ドミートリイと淫蕩父フョードルがこうもいがみ合う背景には、二人の女の存在があった。

一人は、貴族の娘で、才色兼備で知られるカテリーナ・イワーノヴナ。

もう一人は、『度百姓の町長サムソーノフの妾』で、『売春婦』で、『牝犬』とまで酷評されるグルーシェニカだ。
(ちなみに江川卓訳では、「グルーシェンカ」と表記されている)

しかも、カテリーナは次男イワンとも通じており、男女の情が複雑に絡み合って、愛憎もひとしおである。

いったい、一家と二人の女の間に何が起きたのだろうか。

その経緯はアリョーシャと神学生ラキーチンの間で語られる。

「あの老人(ゾシマ長老のこと)、たしかに炯眼だよ。犯罪を嗅ぎつけたものな。君の一家は不吉な匂いがするもの」

「犯罪って、どんな?」

明らかにラキーチンは何事か言ってしまいたい様子だった。

「君の家庭に起こるのさ。その犯罪が、君の兄さんたちと金持ちの親父さんとの間でね。だからゾシマ長老は、将来の万一の場合にそなえて、おでこをこつんとやっといたってわけさ」「こんな男がなぜ生きているんだ! 」で語られる、「赦してお上げなさい!)のエピソード)

上記のように前置きした上で、ラキーチンは、カラマーゾフ一家の不幸の元凶である情欲について、次のように語る。

「つまり、ミーチャのことさ。彼は愚かではあるけれど、正直だからな。だけど、彼は女好きだ。これが彼の定義であり、内面的本質のすべてさ。これは父親から卑しい情欲を譲り受けたんだ。とにかく僕は、アリョーシャ、君にだけはおどろいているのさ。どうして君はそんなに純情なんだろう? 君だってカラマーゾフなんだぜ! なにしろ君の家庭じゃ情欲が炎症を起こすほどになってるんだからな!」

ドミートリイやフョードルの好色な傾向は、アリョーシャの中にも受け継がれており、ラキーチンの指摘にドギマギするアリョーシャの反応が興味深い。

「男ってやつはね、何かの美に、つまり女性の身体なり、あるいは女性の身体のごく一部分なりにでさえ、ぞっこん参ってしまったら(女好きなら、このことはわかるんだが)、そのためには自分の子供でも手放すし、父や母でも、ロシアでも祖国でも売り渡しちまうもんなんだ。正直だった男が盗みを働き、温厚でありながら人殺しをし、忠実だった男が裏切ったりするのさ ・・≪中略≫」

「それは僕もわかるよ」

ふいにアリョーシャが口をすべらせた。

「ほんとかい? 一言のもとに僕もわかるなんて口をすべらせたからには、つまり本当にわかるってわけだ」

ラキーチンが小気味よさそうに言った。 ≪中略≫

「僕はずっと前から君を観察してるんだがね。君自身もやっぱりカラマーゾフだよ。完全にカラマーゾフだ。要するに、血筋がものを言うってことだな。父親譲りの色好みで、母親譲りの神がかり行者ってわけか。どうしてふるえてるんだい? 僕の言うとおりなんだろ? あ、そうそう、グルーシェニカに頼まれてきたんだ。『あの人を』つまり君のことだぜ『あの人を連れてきてよ、あたし僧服をぬがせてみせるわ』だとさ。連れてきてって、そりゃしつこく頼んでたぜ。...」

江川卓の『謎解き カラマーゾフの兄弟』でも指摘されていたが、未経験のはずのアリョーシャが、「それ」について理解を示すということは、それまでの人生のどこかの過程で実感するようなことがあったのだろう。

「むっつり助平」ではないが、アリョーシャも女性に強い興味があり、だからこそ、ドミートリイと父の確執に納得がいくのである。

その後、ラキーチンは、貴族の令嬢カテリーナ、淫婦グルーシェニカ、ドミートリイ、イワン、フョードルのごたごたを、アリョーシャに面白おかしく語って聞かせる。

ドミートリイは、婚約者でもあるカテリーナに借りた3000ルーブリを使い込み、返済のあてもなくて困っている。

そのくせ、淫婦グルーシェニカに心を移し、できれば、自分のものにしたいと願っている。

グルーシェニカは、ドミートリイに気のある振りをする一方、金持ちのフョードルにも色目を使い、ドミートリイは、いつかグルーシェニカが金銭目当てにフョードルと一緒になるのではないかと気が気でない。

そんなドミートリイの心中を知って、令嬢カテリーナも気が気でないが、カテリーナは次兄イワンとも情を通わせ、双方の出方を窺っている。

それぞれが、見栄と所有欲にこだわり、真実の愛からは程遠い。

それゆえ、アリョーシャも、彼らがいつか情動を抑えきれなくなって、ラキーチンが預言するような、恐ろしい不幸が訪れるのではないかと怯えているのだ。

だが、彼らの痴情のもつれは、意外な形で決着する。

それはもう全編を読破して、計り知れない人間山河を味わって欲しい。

この投稿は、原卓也『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫)をモチーフとした文芸コラムです。
より詳しい解説は『江川卓のカラマーゾフの兄弟』でどうぞ。訳文も読みやすいです。復刊リクエスト受付中。

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