② 祈りの後に訪れたのはソビエト連邦 ~ゾシマ長老とロシア民衆の祈り《原卓也のカラマーゾフ随想》

Novella エッセー&レビュー
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第一部 第一編 ある家族の歴史 / 第五項『長老』
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ゾシマ長老と民衆の祈り

淫蕩父 フョードル・カラマーゾフ 指針を欠いたロシア的でたらめさ (1)』の続きです。

神に心を委ねる

カラマーゾフ一家の中で、唯一、理性と善性を備え、神の道を志すアリョーシャにとって、精神的指導者になるのが僧院のゾシマ長老だ。

死に瀕した老体でありながら、最後までアリョーシャに深い情愛を注ぎ、カラマーゾフ一家の行く末を案じる。

その修道院が栄え、ロシア全土に有名になったのは、まさに長老のおかげであり、長老に会い、長老の話を聞くために、信者たちがロシア全土から、何千キロの道もいとわず、群れ集ってこの町にやってくるのだった。

それなら、長老とはいったい何者なのか?

長老とは、すなわち、あなた方の魂と意志を、自分の魂と意志の内に引き受けてくれる人にほかならない。いったん長老を選んだならば、あなた方は自己の意志を放棄し、完全な自己放棄とともに、自分の意志を長老の完全な服従下にさしだすのである。自己にこの運命を課した人間は、永い試練のあとで己れに打ち克ち、自己を制して、ついには一生の服従を通じて完全な自由、つまり自分自身からの自由を獲得し、一生かかっても自己の内に真の自分を見いだせなかった人々の運命をまぬがれることができるまでにいたるのだという希望をいだきながら、この試練を、この恐ろしい人生の学校を、すすんで受けるのである。

「長老の完全な服従下」「一生の服従」といえば、洗脳のように感じられるが、キリスト教においては、別のニュアンスがある。

なぜなら、人類の苦悩は、神のように賢くなろうと、知恵の実を食べたこと(原罪)に端を発しているからだ。

一度、頭の中を空っぽにして、神の教えに従うことで、間違いを正し、心も救われる。

「長老の完全な服従下」「一生の服従」というのは、良い意味での自我の殺滅であり、教祖が金を持って来いと命じれば、盲目的に献金する洗脳とは異なる。

幼子が親を全面的に信頼して、自分を委ねるように、人間もまた、ゾシマ長老を通して、神に心を委ね、迷いや苦悩から解き放たれるのだ。

人は神に成り代わることができるのか

ゾシマ長老は、いわば、全人類の相談役である。

たとえば、この町の修道院の長老のところへは、庶民も、さらにきわめて高貴な人たちも、長老の前にひれ伏して自分の迷いや罪業や悩みを告白し、忠誠と訓戒とを仰ごうと、ひきもこらずに押しかけてくるのだった。

これは現代も同じだろう。

キリスト教や仏教など、既存宗教の指導者の代わりに、人気ブロガーや、スピリチュアルカウンセラーや、オピニオンリーダーのような人物が講演会やオンラインサロンを企画し、熱心なファンが救いを求めて詰めかける。

ゾシマ長老と大きく異なるのは、彼らが個々の価値観に基づいて教理を説くのに対し、ゾシマ長老はイエス・キリストの教えに則っている点だ。

いくらカリスマ性に優れようと、人は誤ることもある。

その真偽をどうやって確かめるのか。

神は永久不変の真理だが、人の言うことはその時々で変わる。

人が神に成り代わるのは傲慢というものだろう。

ここにも「神のように賢くなろうとした」原罪が存在する。

霊能力者ではなく洞察力に長けた人

ゾシマ長老は、決して霊能力者ではなく、人一倍、洞察力に長けた人である。

長老はもう永年にわたって、心の秘密を告白しにやってきて彼から忠告や治療の言葉をきこうと渇望している人たちを、ことごとく近づけ、数知れぬほどの打ち明け話や嘆きや告白を自分の心に受け入れたため、しまいにはもうきわめて鋭敏な洞察力を身につけ、訪れてくる見ず知らずの人の顔をひと目見ただけで、どんな用事で来たのか、何を求めているのか、どんな悩みが良心を苦しめているのか、それまで見ぬくことができるほどになり、訪問者が一言も口をきかぬうちに相手の秘密を言いあててびっくりさせ、うろたえさせ、時には怯えに近い気持ちさえひき起させたという。

これは医療者もそうだし、街角の手相見もそう。

相手が何を言わんとしているか、「顔を見ただけで解る」というのはその通りだ。

ゾシマ長老も、いろんな人の悩み苦しみに耳を傾けるうち、顔を見ただけで「ピンとくる」、洞察力を身に付けたと思われる。

そして、それは決して特別な能力ではない。

ロシア民衆の願いとソビエト連邦

『カラマーゾフの兄弟』が書かれた時代を考えれば、「礼拝こそ救い」という民衆の気持ちもよく分かる。

いったい何ゆえに信者たちがこれほど長老を慕い、顔を拝んだだけで、なぜその前にひれ伏して感涙にむせぶのか、そんなことはアリョーシャにとって何ら疑問となるものではなかった。

そう、労働と悲しみと、そして何よりも、常日頃の公正と、自分自身の罪ばかりか全世界の罪によっても常に苦しめられているロシア民衆の穏やかな魂にとって、聖物なり聖者なりを見いだして、その前にひれ伏し、礼拝する以上の、慰めや欲求など存在しないことを、彼はよく知っていた。

『かりにわれわれに罪悪や、不正や、悪の誘惑があるにせよ、やはりこの地上のどこかに神聖な、最高の人がいることに変わりはない。われわれの代わりに、その人のところに真実が存在し、その人が代わりに真実を知っておられるのだ。してみれば、真実がこの地上で滅びることはないわけだし、つまりは神の約束なさったとおり、そのうちに真実がわれわれのところにもやってきて、全地上に君臨するようになるのだ

≪中略≫

『長老は聖人で、御心の中には万人にとっての更生の秘密と、最後にこの地上に真実を確立する力とが隠されているのだ。やがてみんなが聖人になって、互いに愛し合うようになり、金持ちも貧乏人も、偉い人も虐げられている人もなくなって、あらゆる人が神の子となり、本当のキリストの王国が訪れることだろう』
こんな夢をアリョーシャの心は描くのだった。

『カラマーゾフの兄弟』が連載された11年後にマルクス主義のロシア社会民主労働党が結成され、1900年代初頭から革命運動が活発化したことを考えると、興味深い。

その後、地上に現れたのは、キリスト王国ではなく、ソビエト連邦だったのだから。

この投稿は、原卓也『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫)をモチーフとした文芸コラムです。
より詳しい解説は『江川卓のカラマーゾフの兄弟』でどうぞ。訳文も読みやすいです。復刊リクエスト受付中。

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