【3】自己卑下と高い知性が結びつく ~人間界の代表 イワン

カラマーゾフの兄弟 イワン
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『カラマーゾフの兄弟』 第1部 第Ⅰ編 『ある一家の由来』 (3) 再婚と腹ちがいの子供たち
目次 🏃

再婚と腹ちがいの子供たち

【2】 愛の欠乏と金銭への執着 ~父に捨てられた長男ドミートリイの屈折の続きです

イワン・カラマーゾフ ~人間界の代表

【はじめに】 現代に生きる『カラマーゾフな人々』 ~血と金と救済でも書いているように、本作の主人公は三男のアリョーシャだが、作者の視点は無神論者の次男イワンにある。

カラマーゾフの三兄弟は、「天界・人間界・冥界(地の人)」に運命づけられた申し子であり、もっとも人間的な存在が真ん中のイワンだ。

神を信じるアリョーシャと、己の欲望に忠実で、とことん現実的なドミートリイ(もしくはフョードル)の両面を併せ持つ。

イワンといえば「無神論者」で知られるが、スメルジャコフのようなアナーキストではなく、神の義を理解しながらも、人類の数々の不幸に言い知れぬ虚しさを憤りを覚え、「天国への切符を慎んでお返しする」という考えに至る。

いわば「相反する二つの正義」に挟まれた、複雑なパーソナリティの持主で、アレクセイのように神を信じきることもできなければ、ドミートリイのように完全に地に落ちることもできない。

さながら、行く当てをなくした霊魂みたいに、天と地の間を彷徨っている。

そして、世の多くの人は、イワンと同じ心境ではないだろうか。

愛と正義を理解しながらも、それらが無残に裏切られるのを見て、この現実に何の希望も持てないでいる。

本作で、内的に最も苦しむのがイワンなら、父親殺しに傷ついたのもイワンだ。(アリョーシャも苦悩しただろうが、自力で乗り越えている)

江川氏の謎解き本にもあるように、多くの読者はイワンに心を重ねながら、カラマーゾフを読み進めるのではないだろうか。(後述を参照)

そんなイワンはどこから生まれたのだろう? 

みじめな生い立ちと貧窮

ドミートリイの母で、先妻のアデライーダが亡くなると、淫蕩父フョードルは薄幸の若い女性ソフィヤ・イワーノヴナと再婚する。

身寄りのないソフィヤは、ヴィロホフ将軍の有名な老未亡人の家庭で成長するが、十六歳の時、老夫人の苛めを苦にして首つり自殺を図る。

生きることも、死ぬことも叶わず、途方に暮れるソフィヤの弱みにつけ込んだのが、フョードルだ。

フョードルは、若いソフィヤが強く言い返せないのをいいことに、ぞんざいに扱い、家の中に女を引っ張り込み、乱痴気騒ぎに明け暮れる。

とうとうソフィヤは「わめき女(原卓也訳では≪癲狂病み≫)」と呼ばれるヒステリー発作を患い、イワンとアリョーシャを生んだ後、亡くなってしまう。

残された二人の息子は、ソフィヤの後見人であった老未亡人に引き取られ、老未亡人の死後は、エフィーム・ペトローヴィチ・ポレーノフという貴族団長が二人の息子を養育するが、弟のアリョーシャがのびのび育ったのとは対照的に、イワンは他家に居候している負い目と、淫蕩父の存在を恥じ、だんだん気むずかしい青年になっていく。

もっとも、兄のイワンについては、彼が成長するにつれて、どこか気むずかしい少年になったこと、けっして内気というのではないが、もう十歳くらいのころから、なんといっても自分たちは他人の家で、他人のお情けにすがって暮らしているのだ、そして自分たちの父親は、それこそ口にするのも恥ずかしいような人間だ、等々、という自覚をもっていたようであることを伝えておきたい。

現代でも、貧困家庭や母子家庭で、社会的支援を受けていることを恥じ、引け目を感じる子供は少なくない。

まして、親が下品な淫蕩父なら、自分も傷物みたいに感じ、劣等感や無価値観に苛まれても不思議はない。

イワンも人一倍、高級な知性と品性を身に付けているからこそ、自らの境遇を恥じて、気むずかしくなってしまったのだろう。

作者いわく、「この少年は非常に早くから、まだほんの幼児のころから(少なくとも、そう言い伝えられている)、学問に対する一種異常な、輝かしい才能をあらわしはじめた」とのことで、養育者であるボレーノフ氏の篤志により、大学への進学も適った。

ところが、財産に関する手続きの落ち度や、緩慢なお役所仕事のせいで、十分な学費や生活費を得ることができず、最初の二年間、イワンは金銭的に非常な苦労を強いられるkとおになる。

やがて彼は収入を得るために、新聞社に寄稿するようになり、彼の書いた記事は注目を集めるようになる。

その過程で、イワンは『教会裁判の問題』をテーマにした論文を発表し、物議を醸す。

この教会裁判の問題とは、江川氏の注釈によると、

教会裁判の問題について
ロシアの正教会は、信仰上の問題にかかわる罪については、領聖(聖体をいただくこと)の不許可から波紋にいたる罰則を設け、ほかに故意の殺人者には二十年の懺悔刑(公衆の面前での懺悔の強制)を課するなどの教会裁判を行ってきた。1864年にロシアの裁判制度の改革が行われるとともに、教会裁判の改革についても立法化の動きが表面化し、これにともなってジャーナリズムでも広くこの問題が論議された。
この論議は、主として、教会裁判における国家機構の役割を強化しようとする派と、教会の自治機能を強めようとする派との間で行われ、後者の見解を代表するゴルチャコフの論文『教会法の科学的立論』をドストエフスキーは参考にしたらしい。

作中、具体的な内容は明らかにされていないが、

教会派の多くの者が、この論文の筆者を断然自分たちの味方とみなしたのに対して、意外なことに、教会派と並んで、民権派ばかりか無神論者たちまでが、これに負けじと喝采を送りだしたのである。

とどのつまりは、一部の慧眼な人々が、この論文は全編これ冷笑的で不遜きわまる悪ふざけにすぎないと断定して、けりがついた。

私がこの事件についてとくに一言するのは、この論文が折しもこの町の郊外にある有名な僧院でも読まれるようになったためである。

大学時代に、すでにイワンがキリスト教や現行の教会制度について、独特の見解を有していることが示唆される。

こうした思想が、後に『大審問官』へと繋がっていく。

フョードルの意外な情愛とイワンの神の目

フョードルは、長男ドミートリイとは正面から争うが、イワンとアリョーシャとはそこそこ仲よくやっていた。

ドミートリイと違って、性格的にもおとなしく、冷静に話し合える理知もあるからだろう。

しかもこの父親たるや、金の話となったら、たとえ息子から泣きつかれたところで、びた一文出す気づかいもないのに、そのくせ一生の間、イワンとアレクセイの二人の息子もやはりいつかは金をせびりにやって来るのではないかと、びくびくしどおしていた男なのである。ところが、いざこの青年(イワン)がそんな父親の家に帰省してきて、一、二ヶ月いっしょに暮らしてみると、これが二人がこれ以上望めぬくらい折り合いがいいのである。

≪中略≫
酒を飲むのも、女遊びをするのも大きらいな息子なのに、爺(じい)さんのほうは息子なしでは夜も日も明けないときている、ひどくまあうまが合ったものさ!」

これはほんとうの話だった。

青年(イワン)は老人(フョードル)に対して明らかに影響力さえもっていた。なるほど老人のほうは、ときには当てつけと思えるくらい、異常に我を通すこともあったが、どうかすると青年の言うことを素直に聞くようなときもあり、いくぶん品行があらたまったかのように見えるときさえあった……

こうしたフョードルの態度は、子供を捨てたことに対する負い目もあるかもしれないが、イワンの知性に圧倒された部分も大きいのではないだろうか。

イワンは無神論者だが、一方で「神の目」も持っている。

フョードルがイワンに異形の念を抱くのは、イワンの心の奥深くに潜む神の眼差しを感じるからだろう。

見方を変えれば、フョードルにも、イワン的な知性は存在するということだ。

下品な淫蕩父ではあるが、それは半分ポーズで、息子二人と真剣に神の在・不在について論じる一面はある。

有名な、「神は存在するのか?」「いいえ」「イワンの方が正しそうだな」というやり取りだ。

⑨ いかにして我は無神論者となりしか ~不条理な現実とイワンの義憤 《カラマーゾフ随想》 原卓也訳

根っからの快楽主義で、恥も不正も恐れぬ人間なら、息子二人と神について論じることもあるまい。

フョードルの中にもイワンに匹敵するような知性があるから、真に知性的な人間の凄みがわかる。

皮肉な話だが、その価値が分かるのは、同じ価値を有する人間以外にないのだ、たとえ見た目は悪魔であろうと。

イワンを好きになる = カラマーゾフを理解した証し

江川卓の『謎とき『カラマーゾフの兄弟』 (新潮選書)』のあとがきに、こんな記述がある。

中学校を卒業して、旧制高校に入ったときだった。当時、私の入った旧制高校は全寮制で、しかも寮に入るにあたって、こわそうな先輩連から「説示」という儀式があった。一人一人呼び出され、寮生になるにあたっての心得を説教される場である。

愛読書などをあらかじめアンケートにも記入さあせられた。

そこで私は愛読書に『カラマーゾフの兄弟』を書いておいた。

説示委員がさっそくそれにとびついた。

「カラマーゾフの兄弟が愛読書とのことだが、きみは、兄弟たちの中でだれがいちばん好きですか?」

「アリョーシャです」 

私は消え入りそうな声で答えた。

説示委員は明らかに失望したらしい。

「アリョーシャね――きみはまだ『カラマーゾフの兄弟』がよくわかっていないようだね。イワンはどうです? きみがイワンを好きになるとき、はじめて『カラマーゾフの兄弟』がわかったことになるのですよ」

私はそんなものかなと思って、べつに反論もしなかった。やはり高校の先輩はえらいものだ。イワンのあのこむずかしい理屈がよくわかるのだから……私は沈黙するしかなかった、くやしい思いをかみしめて……。

いまとなってみれば、私はアリョーシャが好きな理由をいくらでもしゃべることができただろう。四十数年前の個人的な思い出である。

私には、この先輩の言いたいことも分かるし、江川先生のアリョーシャ贔屓も理解できる。

というより、高校の入寮儀式で、『カラマーゾフの兄弟』のキャラについて論議できる時点で、異次元ではないか。

今の高校生にはほとんど期待できないことだ。

作者=ドストエフスキーの憧れは、アリョーシャの一身に注がれ、そのひと言ひと言がドストエフスキーの願いに違いないが、一方で、イワンの深い苦悩や義憤も大いに共感するところがある。

なぜイワンがあれこれ理屈を並べ、神を否定してかかるのか、その理由が分かれば、彼の胸の奥底に眠る、深い人間愛に感銘を受けるからだ。

真の主人公はアリョーシャに違いないが、イワンの憤りはドストエフスキーの偽らざる心情でもある。

イワンに喋らせ、アリョーシャが救う。

この自問自答のような思考のプロセスが、本作の面白さであり、ドストエフスキーの魅力だろう。

何かと悪者扱いされるイワンだが、「きみがイワンを好きになるとき、はじめて『カラマーゾフの兄弟』がわかったことになるのですよ」という先輩の言葉は、まったくその通りである。

出典: 世界文学全集(集英社) 『カラマーゾフの兄弟』 江川卓

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【2】 愛の欠乏と金銭への執着 ~父に捨てられた長男ドミートリイの屈折 父親に厄介払いされた長男ドミートリイは幼少時からたらい回しにされ、金で周囲の歓心を買う、無節操な人間に育っていく。自分の父親が金持ちの小地主と知った途端、実際以上の資産を受け継げるものと勘違いし、金勘定に長けた父親が自分を騙そうとしていると逆上したところから悲劇が始まる。
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【4】 幸福に必要な鈍感力・アリョーシャ ~鋭い知性はむしろ人間を不幸にする 本作の主人公アリョーシャの生い立ち。次男イワンと決定的に違うのは、「それがひとつも苦にならないし、屈辱でもない」という点。一つ一つを「施し」「お情け」と感じ、自己卑下に陥ってしまったイワンの繊細な性格とはあまりに違う。 「俗界で生きる普通の青年」」「苦悩の人イワンとテヘペロのアリョーシャ」「淫蕩父も心惹かれるアリョーシャの魅力」コラム『人間の善性と鈍感力について』と併せて。
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