現実を生きるということ ~たとえ善行が報われなくても

現実と不条理 ~薄情だろうと、極悪人だろうと、遺産相続の権利は同じ
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産経新聞の人生相談が面白い。

回答者は、某大学の精神医学科教授。

きれい事は一切ないので、読んでいて面白い。    

ある日の朝刊に、こんな相談があった。

姑の介護にまったく協力しなかった義姉二人が、姑の死後、法律に則り、遺産の分配を要求してきたというのである。

相談者の夫は、後腐れ無いよう遺産を分配し、やってしまえという。

しかし姑に尽くした嫁は気がおさまらず、どうしたらよいかという相談だ。

先生の回答はこうだ。    

『この欄には、昔から、自分の、あるいは相手の実家側の縁者が、あつかましくて無責任で恩知らずで身勝手であるといった悩みがたくさんやってきました。

わたしは、いつも“できるだけ相手になるな、疎遠にしておれ”と答えるようにしてきました。    

よくある人生相談みたいに、誠意をもって対応したら真心はいつか通じますなんてノーテンキな回答は決してしません。    

あんなの、もう時代遅れというよりなにより、単なる事実誤認です。    

世の中をしっかり観察していると、“善い人は報われないことが多く、悪い人は滅多に変わらない”といった原則に気付くものです。

ですから、“善い人”はできるだけ“悪い人”と没交渉にしておくしかないのです。    

遺産に関しては、ご主人の方針通り、きれいに三等分してやってしまいなさい。

そしてその後は付き合いなどしなければいいのです』    

この相談者、よほど姑の介護に苦労なさったのだろう。

それなのに、葬儀が終わると、のこのことやって来て、遺産だけを要求されたら、誰だって腹が立つ。 

イソップの法則に基づけば、「働かざるキリギリスは、風に吹かれて飛んで行け」なのだが、そうはならないのが現実だ。

義姉が薄情だろうが、極悪人だろうが、法律は彼女の権利を保障し、遺産の受け取りを正当化しているからである。

アメリカの有名なセラピストは言う。    

私たちは、子供の頃から、正しくあれ、勤勉であれ、誠実であれ、優しくあれ、そうすれば幸せになれる──と教えられるが、現実はそうではない。
不誠実で、怠け者で、情の欠片もない人間が次から次に幸運を手にし、真面目な働き者がいつまでたっても報われない事実は余りにも多い。
私たちはその現実を認め、受け入れなければ病んでしまう。

  

この相談者も現実を受け入れるしかないのだ。

奉仕の量と法律上の権利は、必ずしも一致しないということを。    

そんなことを、もやもやと考えていたら、東京で大変痛ましい事故が起きた。

ホームに転落した酔っぱらいを助けるために、身を捨てて線路に飛び込んだ男性二人が列車に巻き込まれて死亡したのである。    

聞けば、二人ともまだ若い。

一人は、熱血カメラマン。

もう一人は、韓国人学生だった。    

二人の名は称えられ、その通夜には国会議員も弔問した。

しかし死んだ人間が、花など欲しがるだろうか。    

死んだ後、表彰されて嬉しいだろうか。    

それより、なにより、生きたかっただろう。

死後、韓国人学生のホームページには、5万近いアクセスがあったそうだが、死んでたくさんの人に見てもらうより、生きて更新する方がどれほど楽しいかしれない。

二人には、生きていて欲しかった。

死んで名を高めるような、やり切れない報いではなく、生というもっと大きな悦びで報われて欲しかった。    

でないと、あの忌まわしい言葉──『正直者は馬鹿を見る』が成就されるからだ。

身を捨ててホームに飛び込んだ人間がいるなら、見て見ぬ振りして立ち去った人間もいるだろう。

二人の死を美談として伝えるその横で、ぜひぜひ、私は後者の本音も聞いてみたい。人間の偽らざるキモチというやつだ。

今頃、ビールでも飲みながら、「巻き添えにならなくて良かった」と胸をなで下ろしている人。

「馬鹿な奴ら」と内心思っている人。

「俺には関係ない」と他人事で済ます人。    

悪いとは言わない。

それもまた人間の本心だから。

だが、もし、子供が自分の背中を突っついて、「ねえ、見知らぬ他人がホームに落ちたら、僕はどうしたら良いの」と訊ねたら、どう答える? 

他人の為に身を犠牲にするのは立派なこと。

でも、あなたには見て見ぬ振りで立ち去って欲しい、と言うだろうか。

どちらにしても不幸なこと。

前者は肉体が死に、後者は心が死ぬから。

私の救いは、見て見ぬ振りして立ち去った人の中にも、後から二人の霊に手を合わせ、自分の弱さや卑小さを、恥じたり詫びたりする人が少なからずいるだろうということだ。

死んだ者は二度と返らないが、生き残った者は何かを変えることができる。 

たとえ正答はなくても、誰かとじっくり話し合う。

次に似たような場面に遭遇したら、自分に出来る範囲で手を貸す。

心が動けば、世界も変わるから。

現実は、道徳教本のように、いつも正しく公平とは限らない。

賢者が迷うこともあれば、善人が苦しむこともある。

この世で傷つかずに生きていきたいなら、何ものにも関心を示さず、正義にも一切、期待しないことだ。

そうすれば、損することもないし、裏切られることもない。

自分一人の繭の中で、いつまでも安全でいられる。

だが、それが本当に自分の求める人生かと問われたら、多くの人が否と答えるだろう。

どれほど不条理に感じても、私たちはこの現実を生きるしかない。

何故なら、善を諦めた時、人間らしい人生も終わるからである。

初稿 2001年2月18日

誰かにこっそり教えたい 👂
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