池上遼一が描く艶やかな文豪の世界 『近代日本文学名作傑作選』/ 地獄変、お勢登場、藤十郎の恋、松風の門、天守物語

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池上遼一の『近代日本文学名作選』について

『近代日本文学名作選』(1997年)は、ビッグコミックに読み切りとして掲載された、芥川龍之介『地獄変』、江戸川乱歩『お勢登場』、菊池寛『藤十郎の恋』、山本周五郎『松風の門』、泉鏡花『天守物語』、谷崎潤一郎『刺青』を単行本に収録したものだ。(『刺青』は著作権の関係から、単行本には収録されてない)

単行本は、現在では廃刊になっており、入手困難だが、まだ中古市場に出回っているので、機会があればぜひ手に取って欲しい。

本作は、私が一番好きだった頃の池上氏の絵が堪能できる珠玉の一冊であり、高尚かつ官能美あふれる短編集に仕上がっている。

池上遼一近代日本文学名作選 (ビッグコミックススペシャル)
池上遼一近代日本文学名作選 (ビッグコミックススペシャル)

↑ 今、中古本しか入手できませんが、文句なしのコレクターズアイテムです。

芥川龍之介 『地獄変』

私が、この単行本を購入したきっかけは、看護師時代、深夜勤務の友だった青年誌『ビッグコミック』に掲載された芥川龍之介の『地獄変』に圧倒されたからだ。

心卑しい天才絵師が、帝から命じられた『地獄変』の屏風絵を感性させる為、「世にも美しい女が炎に焼かれて、悶え死ぬところが見たい」と申し出たところ、帝は絵師の願いを叶えてやる。ところが、絵師の目の前で火にかけられたのは、彼が心から愛する一人娘だった――。

芸術家のどうしようもないエゴと、人の世に巣くう地獄を、一枚の屏風絵に託して描きあげた、芥川作品の中でも珠玉の短編である。

それまで読者は『地獄変』を頭の中で想像するしかなかったが、池上氏は、力強いタッチで平安絵巻のようにに仕上げた。

地獄の責め苦に苛まれる亡者もさることながら、炎に悶え死ぬ美しい娘の姿も凄まじい。

肉を焼き、骨を焦がす地獄の痛苦が、悲鳴になって聞こえてきそうな迫力である。

また、心底に屈折した恋情と憎悪を秘めた帝の不気味な表情も素晴らしい。

地獄というなら、高貴にして卑しい、帝の心根も同様だろう。

池上遼一 芥川龍之介 地獄変

池上遼一 芥川龍之介 地獄変

原作は「地獄変・邪宗門・好色・薮の中 他七篇 (岩波文庫)」に収録されています。

江戸川乱歩 『お勢登場』

肺病もちの格太郎には、お勢という美しい妻がいるが、お勢は若い書生と不倫し、格太郎を蔑ろにしていた。
なのに、格太郎は、妻に対する引け目と執着心から、お勢を勘当することができない。

ある日、格太郎は、子供達とかくれんぼし、大きな長持ちの中に閉じ込められてしまう。
帰宅したお勢が格太郎の気配を感じ、長持ちを開けてくれるが、次の瞬間、お勢が取った行動とは……。

平凡な一人の女が、突如、殺意を宿らせ、冷酷な殺人鬼となる。
その瞬間の表情の移り変わりが、数ページにわたって、つぶさに描かれ、まさに池田劇画の真骨頂とうい感じ。

池上遼一 江戸川乱歩 お勢登場

原作は『人間椅子 (江戸川乱歩文庫)』に収録されています。

菊池寛 『藤十郎の恋』

江戸時代。
人気役者の藤十郎は、一座の命運をかけて、実際の姦通事件を題材にした近松門左衛門の新作に挑む。
しかしながら、芸に行き詰まった藤十郎は、密夫の芸を会得することが出来ない。
そんな折り、貞淑と名高いお茶やの女房・お梶に偽りの恋を告白し、真に受けたお梶は藤十郎の愛を受け入れようとする。
だが、次の瞬間、藤十郎はお梶を裏切り、指一本触れずに、お梶を部屋に置き去りにする。
真に迫った藤十郎の芸は評判を呼ぶが、心を傷つけられたお梶が取った行動は……。

当時、姦通は死罪であり、人妻に言い寄ることは決して許されなかった。
だからこそ、お梶も、貞淑の誉れを捨てて、「今宵一夜」に懸けたのだが、藤十郎の態度はあまりに酷いものだった。

だが、藤十郎は、お梶の変わり果てた姿を見て、「藤十郎の芸のためなら、一人や二人の女の命など……」とつぶやく。
本作もまた芸に憑かれた男のエゴが滲み出て、いつまでも心に残る名作である。

池上遼一 菊池寛 藤十郎の恋

山本周五郎 『松風の門』

伊予国の総領・宗利は、幼い頃、剣の稽古の最中、家臣の子で秀才と名高い小次郎に右の眼を傷つけられる。
宗利も小次郎も、その事実を胸の奥にひた隠し、今日まで主従の関係で来たが、成人して家督を継いだ宗利に農民一揆の危機が訪れる。
その時、小次郎のとった行動は……

男同士の熱い物語。
命を懸けて宗利に恩を返し、家臣の務めを果たした小次郎の覚悟が泣かせる。

池上遼一 山本周五郎 松風の門

原作は『松風の門 (新潮文庫)』に収録されています。
中学校の教科書でお馴染みの「鼓くらべ」も収録。

泉鏡花 『天守物語』

姫路城の天守に住む夫人のもとに、眉目秀麗な若者、姫川図書之助が訪れる。
城主の鷹狩りの折、夫人が逃がした鷹の責任をとって、図書之助が天守に行くよう命じられたのだ。
夫人と図書之助は恋に落ちるが、すぐそこまで追っ手が迫っていた。

坂東玉三郎と宮沢りえ主演で映画化もされた、「夜叉が池」に続く鏡花の傑作。
幻想的な設定と、上品な色気が美しい夫人の描写が見物。
姫路城にこんな方が住んでいたとは・・昔は姫路市中にもっと美しく映えて見えたのだろう。

池上遼一 泉鏡花『天守物語』

原作は『夜叉ヶ池・天守物語 (岩波文庫)』に収録されています。

巻末インタビュー

単行本の巻末に収録されている、池上遼一先生のインタビューです。
一部を抜粋しています。

作家生活30周年を記念して。

作品選びのポイントは、なんだったんでしょう?

やっぱり、作品の根底に、耽美的なもの、幻想的なものがある事でしょうか。山本周五郎の『松風の門』だけは、ちょっと違いますが……。
僕の場合、日常的なドラマには、あまり興味がないんです。いい男といい女が出てきて、僕の描きたい絵場面があって、起承転結のはっきりしたストーリーがあって、テーマがしっかり浮かび上がってくるような短編小説。探すと、これがなかなかないんですよ。1つの作品を決めるのに415人の作家の作品を、それぞれ5作品は読んだかな……。

コミック化に際して、一番気をつかわれたことはなんでしょう。

ページ数の事もあって、短編小説といっても、ダイジェストにならざるをえないんです。それはそれでしょうがないから、できるだけ原作の香りをそこなわない様には、心がけました。『天守物語』の場合だと、原作の前半部を割愛して、ラストも少し変えました。僕の絵柄もあるんでしょうが、コミックのリアリティの限界というものを、すごく感じましたね。泉鏡花の『天守物語』は戯曲ですが、時間的にも空間的にも制限されているはずの舞台の方が、リアリティという問題では自由で、なんでもありのはずのコミックの方が、いざリアリティを確保しようとすると、いろいろ制約が出てくるんです。これは面白い発見でした。

6作品描かれたところで、一番のお気に入りは。

江戸川乱歩の『お勢登場』かな。ああいう魔性の女に、それと承知でひかれていくところって、僕の中にもありますから。描いていて、大変面白かったです。「ビッグ」の読者には、今のところ『松風の門』が一番うけたみたいですが……(笑)

中島梓の解説 : 絵師と地獄変

巻末に収録された、中島梓氏の寄稿。

池上さんの絵は昔から、非常に独特の色気があって好きなのですが、ことに「ひとの顔」にますます色気の磨きがかかってきたように思います。的確でしかもなんというか適度に感傷的、感情的ではない描線があればこそ、過不足なく文豪達の名作の魅力を伝えることができるのでしょう。

≪中略≫

池上さんの絵は、読むものに非常に素直に原作のイメージをそこなわず伝え、文章で「かくもあろうか」とだけ思っていた「美しい顔」「すさまじい顔」「地獄の情景」「おそるべき瞬間」「運命的な瞬間」のかずかずを私たちのなかに送り込んでくれていると思います。

全体を通して拝見して思ったのは「それにしても、ひとの顔というのはなんと多くをかたるものであろうか」ということでした。決して大仰な表情にならずとも、眉をほのかにあげるだけでも、無表情なままであってさえ、ひとの顔というのはすべてを語ることができる、ということ。――それがこの作品集のなかにはくっきりとうかびあがっています。

≪中略≫

これらの作品を読んで原作にふれたつもりになるよりも、私としては、これが「マンガ」であること、池上遼一の絵であること」の凄みと面白さというものをじっくり味わって、読むというよりもひとつひとつの絵をじっくりと見ていただきたいと思います。

どこにも存在しないはずの美しい顔、みにくい顔、恐ろしい表情、すさまじい貌が、神の上で読者を見つめ返してくるとき、そこに、私たちは、人間性の深遠や暗黒や恐怖、高みや絶望など偉大な感情のすべてを「文章でとらえようとした」文豪たちと、そしてそれを「絵にしたかった」ひとりの絵師のたたかいや激突や融合、そのさま自体を見ているのです。

そう考えるならば、この作品集全体が、絵師池上遼一にとっての「地獄変」である、ともいえるのではないでしょうか。

終わりに ~絵師とは人間の内面を描くもの

池上氏のインタビューで、男性誌の読者層で一番人気の高いのが『松風の門』というのが意外だった。

女性の目から見れば、『地獄変』の得も言われぬエロティシズムや『天守物語』の叙情性が際立つと思うのだが。

書き手としては、『お勢登場』に一番思い入れがあるのは納得である。

平凡な主婦から冷酷な殺人鬼に移り変わる様は、単行本の表紙絵にも採用されたほど。

中島梓氏も言及しておられるように、絵は、形ではなく、内面を描くものだと思う。

花や風景にも、それを目にする人間の心情があり、単に形を正確に写し取っている訳ではない。

内側から溢れ出る想いが、線を描き、キャラクターの表情を作る。

池上氏は、単に絵が上手いだけでなく、人間の怒り、妬み、悲哀、強欲、情欲といったものを、如実に表現できる劇作家だ。

漫画誌の見開きに、台詞もなく、デフォルメもなく、お勢の顔のアップだけが描かれ、ふとわき上がる殺意を目元や口元だけで表現できる絵師も希有だろう。

絵は真似できるかもしれないが、感性は決して真似できない。

お勢の殺意を我が物のように感じ取れる感性こそが、池上氏の最大の才能と思う。

なお、筆者は、本シリーズの連載中、『刺青』だけ読み損ねて、今も幻の名作になっている。

いつかKindle化されることを切望する。

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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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