【8】 神は罪を犯した者を、罪のままに愛してくださる ~医療なき時代の救済

信仰篤い農婦たち
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記事について

高徳の僧ゾシマの元に救いを求めて信者の女性が次々の訪れる。子を亡くした母親、年寄りの連れ合いに虐げられた女性、彼女らの訴えに耳を傾けながら、ゾシマは慰めの言葉をかける。ドストエフスキーの『罪と罰』の思想がいっそう高められたパートです。

『カラマーゾフの兄弟』 第1部 第Ⅱ編 『場ちがいな会合』 (3)信仰篤い農婦たち
目次 🏃

ゾシマ長老と《わめき女》

【6】 僧院の『薔薇の谷間』とフョードルの洞察力 田舎オヤジは本当に道化なのか?の続きです。

医療なき時代の救済

いったん、カラマーゾフ家の会合から中座したゾシマ長老は、遠方からやって来た女性信者らに会う為に、木造の回廊に姿を現す。

すると、救いを求める寒村の婦人たち(中には高貴な人の姿もある)が一斉に長老の元に詰めかけ、それぞれに苦悩を訴える。

その熱狂ぶり(?)を、筆者は次のように表現する。

長老はいちばん上の段に立って、肩帯をかけると、自分のほうへ押し寄せる女たちに祝福を与えはじめた。

一人の《わめき女》が両手を引かれて長老のもとへ連れてこられた。

その女はちらと長老を目にしたとたん、なにやらわけのわからぬ悲鳴をあげてしゃくりあげながら、子供のひきつけのように全身をはげしくふるわせ始めた。長老が彼女の頭の上に肩帯をのせて、短い祈祷の文句をとなえると、女はたちまち静まって、おとなしくなった。

いまはどうか知らないが、私の子供のころには、よくあちこちの村や僧院こういうわめき女を目にし、その声を聞いたものである。女たちは、例は意識につれてこられると、それこそ教会じゅうにひびき渡るほどの声で、金切り声をあげたり、犬のように吠えたりするのだったが、やがて聖体が出され、そのそばに連れて行かれると、それこそ教会じゅうにひびき渡るほどの声で、金切り声をあげたり、犬のように吠えたりするのだったが、やがて聖体が出され、そのそばに連れて行かれると、たちまち《憑きもの》が落ちて、病人はきまってしばらくの間、平静に返るのである。

まだ子供であった私は、この光景にショックを受け、驚きの目を見張ったものであった。けれど、やはりその当時、私が何人かの地主たちから聞いたところでは、また町にいる私の先生たちにわざわざたずねてみたところでは、これは仕事を怠けるためにわざとあんな芝居をしているので、しかるべき厳格な手段によって根絶できるのだということだったし、それを裏づけるさまざまなエピソードも聞かされた。しかし後年、専門の医師たちの話を聞いて驚かされたのだが、実はこれは芝居でもなんでもなく、どうやらロシア特有ともいえる恐ろしい婦人病の一種で、わがロシアの農村婦人の悲惨な運命を証明するものだということであった。つまり、なんら医術の手もかりずに、誤ったやり方で、ひどい難産を経験したあと、あまりに早くから過激な労働につくことから起る病気だというのである。

そのほか、一般的な例からいって、かよわい女性にはとうてい耐えきれないような、救われようのない悲しみとか、夫の打擲なども原因になるそうである。

それまで暴れ狂い、もがきまわっていた女が、聖体の前へ連れて行かれると、たちどころにぴたりとなおってしまうという不思議な現象も、あれは芝居だとか、ひどいのになると、《坊主ども》自身が演出してみせる手品だとか説明されたものだが、おそらく、これもきわめて自然な現象なのだろう。

つまり、病人を聖体の前へ連れて行って、それに頭を下げさえすれば、病人にとりついている悪霊はけっしてもちこたえられなくなると、確固とした真理のように信じこんでいる。

そういうわけで、神経症を起こし、また、むろんのこと、精神的な病人でもある女性の体内には、聖体に向かって頭を下げた瞬間、もうきまって、いわば全オルガニズムの震撼とでもいった現象が起こることになる(いや、起らないではいない)のである。

この震撼は、必然的な治癒の奇跡を期待する心と、その奇跡の実現をあくまで信じてやまない心とによって惹き起され、事実、奇跡は、たとえわずかの間にもせよ、実現するのである。いまもまったくそのとおりで、長老が病人を肩帯でおおうた瞬間、奇跡が実現したのだった。

この場面は、ロシアの貧しい家庭の状況を如実に描いていて、現代の女性が置かれた環境も、ここからさほど進化していないのではないかと思うことしきりだ。

人権意識も、社会支援も、なきに等しい状態だった19世紀の生活環境を思えば、若い女性が「わめき女」になるのも頷けるし、家庭でも、社会でも、奴隷のように扱われていたのことは想像するに余りある。

そもそも、一家の長である男性(父・夫)自身が社会の底辺なのだから、彼らのストレスが妻や母親に向かうのも必至だろう。

貧しい女性にとって、唯一の救いといえば、キリスト教と教会であり、誰の話にも優しく耳を傾け、適切な助言をくれるゾシマ長老を救い主のように崇めたのも頷ける話である。

その上で、筆者は、『それまで暴れ狂い、もがきまわっていた女が、聖体の前へ連れて行かれると、たちどころにぴたりとなおってしまうという不思議な現象』を「奇跡」と呼ぶ。

「マリア像が血の涙を流す」みたいなオカルト的奇跡ではなく、人気占い師が「来年から運気が好転します」と断言して、相談者の不安を立ち所に払拭するような、心理的効果だ。

思えば、ローマ圧政時代のイエス・キリストも、似たような感じだったのだろう。

神の子かどうかはともかく、彼の言葉の一つ一つに励まされ、姿を見るだけで心癒やされるような存在だったに違いない。

ちなみに、19世紀末の医学レベルがどの程度かといえば、「イギリスで全身麻酔と開腹手術による手術方法が開発された(1875年)」「北里柴三郎が破傷風、ジフテリアのワクチンを開発(1890年)」「レントゲンがX線を発見。放射線診断、放射線療法の始まり(1895年)」といったところ。← Wiki参照

近代医学がいっそう進歩し、それまで「祟り」や「呪い」のように思われていた病気が科学的解明され、医療技術も一歩前に進んだところである。

だが、それは西側の話であって、ロシアの寒村まで遠く及ばない。

教育・福祉もおぼつかず、最新の知識に触れる手立てもない寒村では、依然として中世的な世界が広がり、そこでは庶民の心の拠り所として、僧侶や教会が大きな役割を果たしていたことは想像に難くない。

感激した病人が、『アルプスの少女ハイジ』のクララのように、思わず立ちあがったり、ストレス性の胃腸炎や湿疹がたちまち快癒したことを、「奇跡」と受け止める所以である。

幼子を亡くした女性

そんな女性信者に対して、ゾシマ長老は、次のようにアドバイスする。

たとえば、幼子を三人、立て続けに亡くした上に、最愛の末っ子までも喪い、悲しみに暮れる女性に対して。

(ゾシマ長老)「何をなげいておるのかな?」

「息子があきらめられぬのでございますよ、お坊さま、三つになる男の子(注釈を参照)で、あとほんの三月で満の三つになるところでございました。その息子のことを、お坊さま、その息子のことを思うて苦しんでおりますのです。たったひとり残った末の息子でございました。つれあいのニキートゥシカとの間には四人の子供がおりましたが、うちでは子供が育ちませんのです、はい、ありがたいお坊さま、ひとつも育ちませんのです。上を三人なくしましたときは、それほどは悲しい思いおいたしませんでしたが、この末の子だけは、どうしても忘れられませんのです。……≪中略≫

「おまえの子供も、きっといま時分は、神さまのおそばで喜びたわむれながら、おまえのことを神さまに祈っておるじゃろう、そのことをしっかりと心得ることじゃ。

≪中略≫

おまえは慰めを求めることはない。慰められるぬままに泣くがよい。ただな、泣く度にかならず思い出すのじゃ。おまえの子は神さまの天使の子のひとりとなって、天国からおまえをみおろし、おまえの涙を見て喜んでおるし、その涙を神さまに指さしておるということをな。

おまえの母親としての大きななげきは今後もまだ長くつづくだろうが、やがてそれは静かな喜びとなる日が来て、その苦い涙も、静かな感動の涙、心を浄め、もろもろの罪からおまえを救ってくれる涙になるのじゃ。

≪中略≫

ただな、つれあいをほうっておくのは罪なことじゃ。すぐに帰って大事にしてあげなされ、おまえが父親を捨てたのを、もし天国から子供が見たら、おまえたちのことを悲しんで泣くだろうに、どうしてあの子のしあわせを乱したりするのじゃ? あの子は生きておる。生きておるとも、魂は永遠に生きるものだからな、家にこそおらないが、目に見えぬ姿でおまえがたのそばについておるのじゃ。 ≪中略≫ おっかさん、つれあいのところへ帰りなさい。きょうにも帰りなさい」

無理して乗り越えるのではなく、泣きたいだけ泣いて、悲しみのままにまかせれば、いつか時間が解決する、というのはその通りと思う。

死後の世界や魂が存在するか否かは別として、そう思うことで、その人が慰められるなら、それで十分、意味があるのではないだろうか。

死と罰を恐れる女性

『一見して肺病やみとわかる、いかにも疲れきったような農婦の目であった』という女性に対しては、、、

「わたくしは罪を犯しました。長老さま、その罪が恐ろしゅうてなりませぬ。 ≪中略≫ つれあいをなくして三年目になります。嫁に行ってから、つらくてなりませんでした。つれあいが年寄りで、ひどくわたしをぶつのでございます。それが病気で寝ましたとき、わたくしはその顔を見ながら、もしこの人がまたよくなって起きたらどうしよう、と考えました。そのときでございます。わたくしがあの考えを起こしましたのは…… (注・ 相手の死を願ったわけですね)

≪中略≫

恐ろしゅうございます。死ぬのが恐ろしゅうございます (注・ 天罰が下ると思っている)」

「なにも恐れることはない。けっして恐れることはないし、くよくよすることもない。ただ悔恨の心が薄くならぬようにしさえすれば――神さまはすべてを許してくださる。いや、本心から悔いている者に対して神さまが許してくださらぬような罪はこの地上にはないし、あるわけもない。

というより、神さまの限りもない愛を涸らしつくすようなたいそうな罪を、人間が犯せるはずもないのじゃ。それとも、神の愛をしのぐほどの罪があるとでもお思いか? ただ悔恨だけを、普段の悔恨だけを心がけて、恐れはすっかり追いはらってしまうがよい。

神さまは、おまえが想像もつかぬような愛をもっておられて、おまえに罪があればあるで、その罪のままに愛してくださるのじゃ。そのことを信ずるがよい。十人の心義しき(ただしき)ものよりも、一人の悔いる者を天は喜ぶ(『ルカ福音書』 第十五節・第七節)、と昔から言われておるではないか。

さ、行きなさい。恐れるでないぞ。

他人に腹を立て、辱めを受けたからとて怒るではない。死んだつれあいからいじめられたことを、心のなかですべて許して、心から仲直りするがよい。

おまえが悔やんでおるとしたら、それはお前が愛しておるからじゃ

そして愛するならば、おまえはもう神の子じゃ……愛はすべてをあがない、すべてを救う。

おまえと同じ、罪深い人間であるわたしでさえ、おまえの身の上に心を動かし、おまえを憐れに思うのだもの、神さまはなおさらではないか。

愛はな、それで全世界をあがなえるほどの、かけがえもない宝じゃ、それがあれば自分の罪ばかりか、他人の罪までつぐなうことができる。

さ、恐れずと行きなさい」

この台詞は素晴らしい。

さすが『罪と罰』のドストエフスキーらしく、愛による救済が、ここにきて一段と高められたようだ。

ここはドストエフスキーも力を込めて書いただろう。

悔恨=「良心の痛み」と、罪の意識=「正義を知る心」は表裏一体。

愛も疑心も持ち合わせぬ者に、良心の痛みなど感じるはずもなく、詐欺師が詐欺師たるゆえんである。

自分の罪に良心の痛みを感じた時点で、あなたは既に許されているのである。

ところで、癒やしとは何か。

迷いに正答を得ることではなく、誰かに話を聞いてもらって、許されることである。

昔も今も、その真理に変わりなく、人が聖なる存在に救いを求めるのは異常でも何でもない。

ただ、現代においては、「悩みの聞き手」が、自称・スピリチュアルカウンセラーだったり、惰弱を狩るネット詐欺師だったり、癒やされるどころか欺されるので、たちが悪いのである。

江川卓による注釈

聖体

ヨハネ福音書第六章五十六節に出てくるイエスの言葉「わが身体をくらい、わが血を飲む者は、我に居り、我もまた彼に居るなり」および、マタイ福音書第二十六章二十六節の最後の晩餐のときのイエスの言葉にもとづいて制定されたもので、「聖餐」というのはプロテスタント系の言葉。発酵パンと葡萄酒でイエスの身体と血をあらわす。

三つになる男の子

ゾシマ長老に

『アンナ夫人注』――「一八七八年に死んだ私たちの息子アリョーシャの死後のドストエフスキーの気持を反映している。

そのときアリョーシャはあと三月で三歳だった。この年に『カラマーゾフの兄弟』が書きはじめられている」。

ドストエフスキーはこのアリョーシャを「病的と思われるほど」特別にかわいがっていたが、その死因は、おそらく遺伝によると思われる長時間の展観の発作だった。息子の死にあたって、作家は三度遺体に接吻すると、声をあげて泣き伏してしまったという。遺体は花で覆われた白い柩に収められて墓地へ運ばれたが、道中、一同は柩を撫でまわして泣きどおしだったらしい。

この模様は長編のエピローグのイリューシャの葬儀の場面にもかなり近い形で生かされている。

長編の主人公をアレクセイ(アリョーシャ)と命名したことにも、亡くした息子の記憶を「永遠」にとどめようとする気持が働かなかったとは言いきれない。

ソ連のドストエフスキー研究家ヴェトロフスカヤ女史は、この長編で「三」という数字が特殊な象徴的意味をこめて使われていると指摘し、これをキリスト教の「父と子と精霊」の三位一体説、およびロシア・フォークロアに多出する「三つの間」「三つの岐れ路」などとの関連で論じている。女史によると、カラマーゾフが三人兄弟であること、アレクセイが三番目の息子であることなどのほか、次の諸点で「三」という数字はきわめて意識的に使われている。

第四部まである各部が、いずれも三篇に分けられており、最初の高僧では全三部の予定になっていた。第三編のミーチャの告白、第四編の「うわずり」第九編のミーチャの「苦難めぐり」第十一編のイワンのスメルジャコフとの面談などが、いずれも三部構成になっている。そのほか運命の三千ルーブリなど、その例は枚挙にいとまがない……

この所論は、たとえば、このエピソードでの「三」という数字の使われ方などを見ると、確かに首肯されるべきものと思われる。なお、はじめ「ロシア報知」誌に連載されたときには、この部分は「あとほんの二ヶ月で満三歳」となっていた。

『ラケルその子らを思いて泣くも慰めをえられず・・・』

息子アリョーシャの死後、悲嘆にくれていたドストエフスキーは、アンナ夫人の気づかいで、一八七八年六月、哲学者ソロヴィヨフとともに、カルガ県にあるオプチナ修道院を訪れ、同修道院のアンプローシイ長老と三度にわたって差し向かいで会見した。

その折、アンプローシイ長老はこの言葉を引いてドストエフスキーを慰めたという。

なお、このオプチナ行きの直前、作家は『ロシア報知』誌と長編の連載契約を結んでおり、旅行の道中ではソロヴィヨフに長編の構想を熱心に物語って聞かせた。

なお、この聖句は旧約エレミヤ記第三十一章十五節に出てくるが、新約マタイ福音書第二章十八節にも旧約の引用として出てくる。

次に述べられている「なげきが喜びとなる」という言葉も聖書が出典となっている(エレミヤ記第三十一章十三節、新約ヨハネ福音書第十六賞二十説)。

ちなみに、『新共同訳 新約聖書』における、『マタイオスによる福音』第二章十八説に記された内容は次の通り。

ヘロデス、子供を皆殺しにする

さて、ヘロデス(ヘロデ王)は学者たちにだまされたとわかり、非常に怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベトレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者イルメヤを通して言われていたことが実現した。

ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラヘルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない。
子供たちがもういないから


『ヨハンネスによる福音』第十六章の該当箇所は次の通り。(イエスの死と復活にまつわる言葉)

悲しみが喜びに変わる

「しばらくすると、お前たちはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。

そこで、弟子たちは互いに言った。

「『しばらくすると、お前たちはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか行っておられるのは、いったい、なんのことだろうか」。

また言った。

「『しばらくすると』と言っておられるのは、いったい、なんのことだろうか。何を話しておられるのか、さっぱりわからない」。

イエススは、彼らが訪ねたがっているのを知って言った。

「『しばらくすると、お待てたいはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じあっているのか。はっきり言っておきたい。お前たちは泣いて悲嘆にくれる(イエススの誌を暗示)が、この世は喜ぶ。お前たちは悲しむが、その悲しみは喜びに変わるのだ(イエススの復活と精霊の降臨を暗示)。

女は子供を産むとき、悲しくなるものだ。自分の時が来たからである。しかし、子供が生まれると、一人の人間がこの世に生まれ出たという喜びのために、もはやその苦しみを思い出さない。ところで、今はお前たちも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びお前たちと会い、お前たちは心から喜ぶことになる。その喜びをお前たちから奪い去る者はいない。

その日には、お前たちはも、何もわたしに尋ねない。

はっきり言っておきたい。

お前たちがわたしの何よって何かを父(神を指す)に願うならば、父はお与えになる。

今までは、お前たちはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすればいただいて、お前たちの心は喜びで満たされる」。

江川卓による注釈

江川訳の巻末に収録されている注釈です。訳者によって表現が異なりますが、作品理解の参考に。

聖体

本作の語り手による、《わめき女》の描写。「女たちは、礼拝室に連れてこられると、それこそ教会じゅうにひびき渡るほどの声で、金切り声をあげたり、犬のように吠(ほ)えたりするのだったが、やがて聖体が出され、そのそばに連れて行かれると、たちまち《憑(つ)きもの》が落ちて、病人はきまってしばらくの間、平静に返るのである」

ヨハネ福音書第六章五十六節に出てくるイエスの言葉「わが身体をくらい、わが血を飲む者は、我に居り、我もまた彼に居るなり」および、マタイ福音書第二十六章二十六節の最後の晩餐のときのイエスの言葉にもとづいて制定されたもので、「聖餐」というのはプロテスタント系の言葉。発酵パンと葡萄酒でイエスの身体と血をあらわす。

三つになる男の子

ゾシマ長老に、三つになる男の子を亡くした悲しみを訴える女性の話に関して。

『アンナ夫人注』――「一八七八年に死んだ私たちの息子アリョーシャの死後のドストエフスキーの気持を反映している。そのときアリョーシャはあと三月で三歳だった。この年に『カラマーゾフの兄弟』が書きはじめられている」。ドストエフスキーはこのアリョーシャを「病的と思われるほど」特別にかわいがっていたが、その死因は、おそらく遺伝によると思われる長時間の展観の発作だった。息子の死にあたって、作家は三度遺体に接吻すると、声をあげて泣き伏してしまったという。遺体は花で覆われた白い柩に収められて墓地へ運ばれたが、道中、一同は柩を撫でまわして泣きどおしだったらしい。この模様は長編のエピローグのイリューシャの葬儀の場面にもかなり近い形で生かされている。長編の主人公をアレクセイ(アリョーシャ)と命名したことにも、亡くした息子の記憶を「永遠」にとどめようとする気持が働かなかったとは言いきれない。

ソ連のドストエフスキー研究家ヴェトロフスカヤ女史は、この長編で「三」という数字が特殊な象徴的意味をこめて使われていると指摘し、これをキリスト教の「父と子と精霊」の三位一体説、およびロシア・フォークロアに多出する「三つの間」「三つの岐れ路」などとの関連で論じている。女史によると、カラマーゾフが三人兄弟であること、アレクセイが三番目の息子であることなどのほか、次の諸点で「三」という数字はきわめて意識的に使われている。第四部まである各部が、いずれも三篇に分けられており、最初の高僧では全三部の予定になっていた。第三編のミーチャの告白、第四編の「うわずり」第九編のミーチャの「苦難めぐり」第十一編のイワンのスメルジャコフとの面談などが、いずれも三部構成になっている。そのほか運命の三千ルーブリなど、その例は枚挙にいとまがない……この所論は、たとえば、このエピソードでの「三」という数字の使われ方などを見ると、確かに首肯されるべきものと思われる。なお、はじめ「ロシア報知」誌に連載されたときには、この部分は「あとほんの二ヶ月で満三歳」となっていた。

『ラケルその子らを思いて泣く~』

男の子を亡くした女性の嘆きに対するゾシマ長老の台詞より。『ラケルその子らを思いて泣くも慰めをえられず、その子らのすでになければなり』

息子アリョーシャの死後、悲嘆にくれていたドストエフスキーは、アンナ夫人の気づかいで、1878年6月、哲学者ソロヴィヨフとともに、カルガ県にあるオプチナ修道院を訪れ、同修道院のアンプローシイ長老と三度にわたって差し向かいで会見した。その折、アンプローシイ長老はこの言葉を引いてドストエフスキーを慰めたという。なお、このオプチナ行きの直前、作家は『ロシア報知』誌と長編の連載契約を結んでおり、旅行の道中ではソロヴィヨフに長編の構想を熱心に物語って聞かせた。なお、この聖句は旧約エレミヤ記第三十一章十五節に出てくるが、新約マタイ福音書第二章十八節にも旧約の引用として出てくる。次に述べられている「なげきが喜びとなる」という言葉も聖書が出典となっている(エレミヤ記第三十一章十三節、新約ヨハネ福音書第十六賞二十説)。

神の人アレクセイ

女が訴える亡くした子の名前が「アレクセイ」にちなむ。

4-5世紀のローマに住んだと伝えられる苦行者の一人。富裕な名門の貴族の家に生れ、妻のアデライーダと暮らしていたが、思い立って荒野で隠(いん)遁(とん)生活を送り、再び帰って来て見ると、家族の者は変り果てた彼の姿に気づかず、馬(ば)鹿(か)にしたりする。しかしアレクセイは屈辱に耐えて、この家に暮らして善行にはげみ、死ぬ直前になって、ようやく名を明かす。このアレクセイ伝説は「ラザロと金持」のたとえ話と同様、中世に巡礼歌などの形で広く伝えられ、ロシアでも民衆の間に非常な人気を博していた。ヴェトロフスカヤ女史は、このアレクセイ伝説とアリョーシャ・カラマーゾフの「一代記」との間に内的な関連を指摘しており、注目される。ロシアの巡礼歌のあるヴァリエーションでは、アレクセイがたいへん若いときに(十七歳で)エリザヴェータは、作中のアリョーシャの恋人「リーザ」(フランス語ふうの愛称は「リーズ」の正式の名前である。ヴェトロフスカヤは、父親フョードルの顔立ちが「頽(たい)廃(はい)期の古代ローマ貴族の典型的顔立ち」で、「正真正銘のローマ鼻」が自慢だったこと(31ページ上段参照)も、この伝説との内的関連を示しているのではないかと論じている。

きっと回向をして進ぜるでな

亡くなったアレクセイ坊やに対するゾシマ長老の答え。

アンナ夫人注――「夫は1878年オプチナ修道院を訪れ、そこでアンヴローシイ長老と会って、最近亡くなった男の子のことを思って一家が嘆き悲しんでいることを話してきたが、この言葉は修道院から帰って後、夫が私に伝えてくれたものである」

ワーセンカ

「息子のワーセンカというのが、どこかの兵站部(へいたんぶ)に勤務していたが、そのうちシベリアのイルクーツクへ行ってしまった。もうまる一年も便りが途絶えている」という女性の嘆きに対し。

アンナ夫人注――「わが家の乳母プロホロヴナにワーセンカという息子がいて、シベリアに行っていた、というより、粒径されていた。一年間もその息子から頼りがないので、乳母はドストエフスキーに、息子の供養をしてみたらどうだろうかと相談をもちかけた。ドストエフスキーは乳母に供養を思いとどまらせ、そのうちにきっと手紙がくるからと説得した。事実、一、二週間で手紙がきた」

聖母さま

息子の行方を案じる上記の母親に対し、ゾシマ長老は「聖母さまにお祈りしなさい」と答える。

ロシア正教会、とくにロシアの民衆の間では、聖母マリヤがその憐れみと慈悲心の大きさで特別の崇拝と敬愛の対象になってきた。このことはイワンが語る物語詩『聖母の責苦めぐり』(三一六ページ上段)伝説で神の怒りにふれて地獄に落ちた罪人たちのために聖母が赦(ゆる)しを乞う場面などからもよく知られる。六四ページ上段の注に出てくる「神の人アレクセイ」伝説をうたったロシアの巡礼歌にも、聖母マリヤのことは頻(ひん)出(しゅつ)しており、あるヴァリエーションでは、荒野で神に祈るアレクセイのもとに聖母マリヤが現われ」、「神に祈るのはもうよいから、もう家に帰りなさい」とすすめる設定になっている。

出典: 世界文学全集(集英社) 『カラマーゾフの兄弟』 江川卓

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【9】人類一般を愛すれば、個々への愛は薄くなる ~愛の実践には厳しさを伴う 声高々に愛を説く人ほど身近な人間を愛せなかったりする。愛を実践することではなく、慈愛の人と賞讃されることが目的になれば、面倒を避け、愛するという本来の目的からかけ離れてしまうからだ。ゾシマ長老は行動する愛の厳しさを説く。
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【7】 自分にも他人にも嘘をつけば真実が分からなくなる 老いたる道化 フョードルとゾシマ長老の会話 僧院でもふざけた態度を取り続けるフョードルに、ゾシマ長老は「自分自身に嘘をつけば、自分のうちにも周囲にも真実が見分けられなくなり、自分にも他人にも尊敬を抱けなくなる」と諭す。長老の洞察力とフョードルの真の姿が垣間見える場面。
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