恋をして、何が辛いかといえば、その人をあきらめなければならない場合でしょう。
かといって、人を好きになったら、そう簡単に理屈であきらめきれるものではありません。頭では分かっていても、「もしかしたら」と期待して、側に寄ってみたり、背伸びして、いい所を見せたり。バカだなあと思いつつも、相手のことを追い求めてしまうものです。
そして、人を好きになったら、一番に望むのが、「相手に気持ちを伝えたい」ということでしょう。
振られると分かっていても、好きだということを言葉にして告げたい。
そして、その想いを受けとめて欲しい。
あれほど男として頑なだったオスカルが、美しいドレスを身にまとい、フェルゼンの腕に飛び込んだのも、あきらめるに、あきらめられない、一途な恋心ゆえだったんですよね……。
しかし、恋というものは、目くらめっぽうに相手に気持ちをぶつければよいというものではありません。
その想いが、相手にとって負担になるなら、別れを告げなければならない時もあります。
自分に正直であることと、相手を幸せにすることは、別の次元の問題です。
相手の気持ちや状況も考えず、「好き、好き」と気持ちを押しつけて、理解を求めるのは、恋ではなく、単なる我が侭ではないでしょうか。
恋とは、相手の幸せがあってこそ、美しく燃え上がるもの。
『エースをねらえ』の藤堂さん曰く、『恋をするには資格がいるのです』。
フェルゼンに恋をしたオスカルも、王妃マリー・アントワネットへの深い想いを知って、あきらめる道を選びました。
もし、オスカルがフェルゼンに「好きだ、分かってくれ」と迫っていたら、二人の友情はもちろん、彼の信頼も失われていたでしょう。
恋が報われない時は、その引き際で、女性の度量が分かります。
どんなに相手のことが好きでも、迷惑をかけないのが素敵な恋のマナーです。
また、男性も、愛を返せないのに、相手に希望を持たせるような事を口にするのはNGです。
「恋人としては付き合えないけど、会って、食事をするぐらいならいい」みたいな事です。
オスカルの気持ちを知った時、フェルゼンはきっぱりと言いました。
「もう永久に会うことはできないな」
愛を返せないと分かったら、せめて相手が恋慕を断ち切れるよう、距離を置くのが本物の誠実です。
この男らしさが理解できれば、恋に躓くこともないはずです。