自分を恥じない ~親とは違った人生を歩もう

私の好きなフリードリヒ・ニーチェの言葉に『体得された自由の印は何か? ――もはや自分自身に恥じないこと(「悦ばしき知識」ちくま学芸文庫)』というものがあります。

自分自身に恥じないとは、どういう意味でしょうか。

親に毒づかれたり、けなされたり、また自分自身も親を恨む気持ちでがんじがらめになると、人間的に後ろめたい気持ちがするものです。世の人々は、みな親と仲良く暮らし、親を敬い、怒りや憎悪とは無縁の暮らしをしているのに、なぜ自分だけが……と劣等感を感じるかもしれません。

でも、その後ろめたさは、良心の証です。あなたが正常な人間だから、痛みや引け目を感じるのです。

それに親子関係が上手くいかないのは、あなた一人が原因ではありません。あなただって、思いやりにあふれた親のもとで育っていれば、怒りや憎悪とは無縁の人生を送っていたはずです。

この世に何の欠点もない人間は存在しません。皆、大なり小なり、自分を恥じながら生きているものです。それは人を傷つけた過去かもしれないし、好きな人に振られた惨めな思い出かもしれません。心の底から自分は偉いと信じきっている人など皆無でしょうし、迷いも悩みもないとしたら、それは人間ではなく、お釈迦様です。お釈迦様なら、わざわざ人の世で修行する意味もないですね。

自分を恥じているからといって、あなた一人が特別劣っているわけでもなければ、過っているわけでもありません。一人の社会人として真っ当に生きている限り、あなたは自分を恥じることなどないのです。

今がんばっていること、上手くいっていることに心をフォーカスして、自分いじめは止めましょう。自分を責めて、貶めるほど、ますます親と確執し、呪いの囚われ人になります。

自分を恥じないことは、自分を許し、辛い記憶も、苦い思いも、何もかもひっくるめて、自分の人生を肯定することです。

あなたは自信をもって自分に「YES」と言い、親とは違った明るい人生を歩めばいいのです。

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