宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と蠍の火 ~まことのみんなの幸のために

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「どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください」――蠍の願いは燃えるような赤い星に昇華する。
優しさと気高さがぎゅっと凝縮された『銀河鉄道の夜』の名場面をアニメと併せて紹介。
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『銀河鉄道の夜』と蠍の火 ~まことのみんなの幸のために

銀河鉄道の夜 Kindle版
銀河鉄道の夜 Kindle版
ケンタウルス祭の夜、ジョバンニは「銀河ステーション」のアナウンスに導かれ、友人のカムパネルラと共に銀河鉄道に乗車する。
星の海を旅しながら、ジョバンニは様々な乗客に出会い、心を新たにする。
やがて、銀河鉄道は天上と言われる「サザンクロス(南十字)」に到着し、大半の乗客はそこで降車する。
車内にはジョバンニとカムパネルラだけが残され、「ほんとうのみんなのさいわい」のために共に歩むことを誓うが、、、
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アニメ『銀河鉄道の夜』より ~蠍の火のエピソード

言わずと知れた名作だが、1985年に製作されたアニメ映画『銀河鉄道の夜』(監督・杉井キザブロー / 原案・作画 ますむらひろし)も素晴らしい。

とりわけ印象的なのが、『蠍の火』のエピソードだ。

一匹の蠍が、イタチに追いかけられて、井戸に落ちた時のこと。

「ああ、わたしはいままで、いくつのものの命をとったかわからない、
そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命ににげた。
それでもとうとうこんなになってしまった。
ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。
そしたらいたちも一日生きのびたろうに。
どうか神さま。私の心をごらんください、
こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください
って言ったというの。
そうしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつうくしい火になって、よるのやみを照らしているのを見たって。

Wikiによると、アニメ化にあたって、ジョバンニやカンパネルラといった主要なキャラを「ネコ」として描くことに、宮沢賢治の実弟、宮澤清六氏は強く反対したそう。

私も予告編で見た時は少なからず違和感を覚えたし、どこか惚けたような表情が理知的なカムパネルラのイメージに程遠かったからだ。

だが、時を経て、じっくり見返せば、アニメに関しては「ネコ」でよかったのではないかと思う。

人間の子供だと、あまりに生々しい。

ザネリの「お父さんがラッコの上着をもってくるよ」という苛めのセリフも、人間の子供の顔だと、いっそう陰険に見えただろうし、「死」というファクターも、ネコの絵ならファンタジーとして消化できるからだ。

死をどのように描こうと、人間が死んだらどうなるのか――

何処へ、どんな風に、魂が運ばれていくのか、明言できる大人などない。

ジョバンニとカムパネルラの旅路も、「ネコと銀河鉄道の夢物語」で丁度いいくらいだろう。

私も初めて見た時は、やたらと「ラッコの上着」が耳につき(堀絢子さんの声の演技も秀逸)、「ハレルヤ」のあたりで寝落ちもしたが(スミマセン)、アニメはよく考えて作られた上作と思う。

ラッコの上着とは・・
ジョバンニの父親は北海に漁に出て長期不在だが、「ラッコの密猟をして捕まった」という噂があり、クラスメートのザネリ達がジョバンニを冷やかす時の常套句が「お父さんからラッコの上着が来るよ」。声優・堀絢子さんのイケズな物言いが非常に印象的。

とりわけ、客船の沈没で命を落とした女の子が語る『蠍の火』のエピソードが素晴らしい。

特に、蠍の物語に続く、この台詞。

「ああ、わたしは今までいくつのものの命を取ったかしれない」「そしたら、蠍はじぶんのからだが、真っ赤なうつくしい火になって燃えて、よるのやみを照らしているのを見たって」

一部、演出でエコーがかかってるのが残念なほど。

声優は、中原香織さん。

細野晴臣の音楽も秀逸。

わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です

わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」は宮沢賢治の『春と修羅』の序文です。

全文は、『春と修羅』 関連草稿一覧でも紹介されています。

「わたくしといふ現象は~」の序文はこちら。

有名な「わたくしといふ現象は ~~ひとつの青い照明です」の一節だけ読んでも、意味は分からないと思います。

何故なら、答えは次の節に書いてあるから。

上記のサイトで詳しく紹介されているので、ぜひ、序文の全文を読んでみてください。

アニメのエンディング、常田富士夫の詩の朗読が素晴らしい。

青空文庫でも無料で公開されています

Kindleストアでも無料公開されています。『春と修羅 Kindle版』。

【文芸コラム】 利己主義の限界

利己主義は、案外、長続きしないものだ。

何でも自分の思う通りになって、パラダイスのように見えるけれど、そんな世界はいつか飽きるし、空しくもなる。

この社会に生きる限り、己のことだけ考えて生きていくことなど不可能だからだ。

社会と断絶している人でさえ、常に他者の存在は意識している。

他者の存在を意識するから、孤独に感じるし、落伍感もひとしおなのだ。

本当に幸せに生きていくなら、他者と共に幸せを作り上げるしかない。

一見、面倒で、煩わしい事が、実は幸福への最良の道なのだ。

自己の為に稼ぎ、自己の生き甲斐のみを求め、時間も能力も持てる全てを己に注ぎ込んだところで、結局は空しい。

私たちが社会に暮らし、常に他者の存在を意識する以上、「己のことだけ考えて生きる」というのは事実上不可能だ。

たとえ無視できたとしても、利己主義はいずれ精神を蝕み、人間として大きなダメージを与えるだろう。

「どうしてわたしはわたしのからだを、だまっていたちにくれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらんください、こんなにむなしく命をすてず、どうかこの次には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかいください」

蠍と同じ気持ちを、私たちは本能的に有している。

そうでなければ、社会も、人類という種も存続しないからだ。

たとえ利己主義を気取ったところで、いつかは後悔という業火で心を焼かれるだろうし、この世に生きて、誰も愛さず、誰の役にも立たなかった思い出ほど空しいものもない。

私たちは、自分自身を何かに捧げる時、自分自身もまた他から何かを授けられるのだ。

「そうしたらいつか蠍はじぶんのからだが、まっ赤なうつうくしい火になって、よるのやみを照らしているのを見たって」

蠍の願いは、夜をさまよう旅人たちの灯となり、最も美しい南の星空へと誘う。

迷いから抜け出して、まことの魂の幸福に辿り着く為に。

【追記】

「蠍の火」のエピソード。

台詞も素晴らしいが、あの夜空に輝く「赤い蠍座」を見て、我が身を捧げるサソリのエピソードを思いついた点が印象深い。

私の中では「オリオンに踏み潰された毒サソリ」=暗殺者のイメージが強いので、「自己犠牲によって神に称えられた魂の火」という発想にはならないからだ。

同じように赤い蠍座を見上げても、後者のように感じる人もあるのだなと。

しかし、場所によっては、蠍座を目視するのは難しい。

蠍座は南の国の恵み。南十字星も。

南の星座は華やかで羨ましい。

DVDとサウンドトラックの案内

「タッチ」や『グスコーブドリの伝記』などを手がけ、2010年には文化庁映画功労賞を受賞した杉井ギサブロー監督が、宮沢賢治の童話をアニメーション映画化。登場人物を擬人化した猫に置き換えたますむらひろしの漫画を原案に、細野晴臣による幻想的な音楽にのせて描かれている。
田中真弓、坂本千夏、納谷悟朗、大塚周夫、蒼々たるメンバーの声の演技が堪能できます。
作業用のBGMとしてもおすすめ。

河鉄道の夜 [Blu-ray]
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透明な色彩感、幻想的なイメージ、そして文学的香りに満ちた物語。原作の持つファンタスティックな美しいイメージの世界が、
主要登場人物を人間ではなく擬人化した猫として描いた設定で見事に映像化されている。
「ぼくはもうあのさそりのように、ほんとうにみんなのしあわせのためなら、ぼくの体なんか百ぺんやいたってかまわない。」 など、数々の印象的なフレーズは観た人の心を打つ。

細野さんって、こんな綺麗な音楽を作る方だったんですね。
YMOの頃のヤンチャなイメージが強くて、視野の外でしたが、今、やっと良さが分りました^^;

細野晴臣『銀河鉄道の夜』 オリジナル・サウンドトラック
細野晴臣『銀河鉄道の夜』 オリジナル・サウンドトラック
長編アニメ映画『銀河鉄道の夜』のサウンドトラック盤。「幻想と現実」「晴れの日」「北十字」他、全20曲収録。
Amazon / Spotiry にてストリーミングもあり。

Spotifyで全曲再生できます。興味のある方はぜひ。

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