みんなを怒らせろ ~真の怒りには技巧もフォルムもふみこえた何かがある

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みんなを怒らせろ ~寺山修司の『人生処方詩集』より

『みんなを怒らせろ』(to offend every one !)という本を出版してから、もう半年ちかくなる。 だが、私のマニフェクとなどはたいした効果がないらしく、やはり目につくのは「おとなしい日本人」ばかりである。エレベーターの中でまちがって他人の靴を踏んづけてしまっても、相手にさきに「すみません」とあやまられたりすると面くらってしまう。
どうして「靴を踏んづけやがって!」と怒らないのだろう。
怒りを知らないものに喜びが理解できようか? そして喜びも怒りも知らないものに真の変革のエネルギーが生まれようはずがないのである。
ここに反抗のエネルギーに燃えたつ、アングリー・ポエムを紹介しよう。様式がないとか、下手くそだと言うかも知れないが、しかし、真の怒りには技巧もフォルムもふみこえた何かがあるはずなのである。

《人生処方詩集》 立風書房

ネットの書き込みを見ていると、日本人は「怒らない」のではなく、周りに怒りを知られるのを恐れているのではないかと思うことしきりである。「怒ることは悪いこと」という前提があって、誰もが怒りを抑えている。怒りを露わにして、周りに悪い人と思われたくないからだ。

実際、怒りほど厄介なものはない。扱いを誤ると、自分も周りもめちゃくちゃに壊してしまう。
かといって、怒りを排除すれば、喜びや憐れみといった、よい感情まで麻痺してしまう。
どれほど厄介でも、私たちは、自分の内なる怒りと向き合って、それを上手に処理する方法を学ばなければならない。
なぜって、どんな激しい怒りも、自分の一部に違いないからだ。

怒りは必ずしも悪いものではない。
真っ直ぐな怒りは、時に世の中を変え、新たな仕組みやサービスを生み出す原動力ともなる。
皆が怒りを潜めた社会、怒りを上手に制御できない社会は、いずれ活力を失い、不幸感ばかりが増していく。
現代の私たちに必要なのは、怒りを戒めることではなく、正しい処し方を身につけることではないだろうか。

怒りと不平不満の違い

怒りがおかしな方向に走ってしまうのは、怒りと不平不満をはき違えるからだろう。

怒りは、憤り。

たとえば、政治家の不正だったり、級友の苛めだったり、正義感を刺激された時に、私たちは火のような感情を覚える。

対して、不平不満は、妬みや身勝手を伴うことが多い。

隣人が高級車でクラクションを鳴らしたり、同僚がいち早く休暇を取って旅行に出掛けたり、なんだか胸くそ悪い思いをするのは、怒りというより、不平不満に近いからだ。

ここで語られる怒りは憤りであり、そこには、高い理想や、道義心や、人類愛が根底にある。

自分にとって貴いものを踏みにじられた時の憤りは、隠すよりも、踏み越える力に昇華した方がいい。

逆に、憤りもせず、疑問にも思わず、何かあっても、へらへらと誤魔化すだけの人生に、どんな変革が訪れるというのだろう。

怒る時は、まっすぐ怒る。

不平不満ではなく、志から。

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