母親である自分が好きですか? ~内なる感情を楽しむ~

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母親である自分を楽しむ ~メルマガの前書きより

私は、今回、創刊するにあたって、「他の人が書かないような育児の話を書こう」と思って、いろいろ草稿を練っていました。

「親としてどうあるべきか」なんて話は、わざわざこんなメルマガを購読しなくても、巷にあふれかえってますし、親である皆さん自身が一番よくご存知だと思いますので。

そうではなくて、もっと根源的な話――自我に訴えかけるようなものを……と考え、「子供どうこう」の前に、「あなた自身はどうなの?」というコンセプトに決めた次第です。

子育て歴3年の私がこんな事をいうのもなんですが、すべての鍵は、「親が健全な自尊心を持っているかどうか」、この一言に尽きると思います。

親の、自分自身に対する不信、不安、嫌悪感、空しさといったものは、必ず相手=子供に投影されて、能力も協調性もあるけれど、自分に自信がもてず、いつも不安な子供を作ってしまうんですよね。

スポーツやら勉強やら、どんどん詰め込んで、「出来る子」に仕立て上げても、健全な自尊心を欠いたところに幸せな花は開かないです。

そして、その自尊心のモデルというのは、親に他ならないんですよ。

私がこういう事を言い切ってしまうのも、私の周りにいた人達がそうだったし、私自身も同じ罠にはまって、もがき苦しんだ経験があるからです。

そういう悪い輪廻を孫の世代まで引きずらない為にも、私はやはり、親が自分自身をきちんと見つめて、健全な自尊心を育むことから始めるべきではないかと思うんですよ。

親が、自分自身のことを幸福と思えないのに、子供にどうやって幸福を教えるのかな、と。

そんな訳で、私は、「子供をどうこう」の育児ネタではなく、「そう言う、あなた自身はどうなのヨ」の視点から綴っています。

母親である自分が好きですか? ~内なる感情を楽しむ~

多分、子育てに必死になって、パンクしてしまうタイプのお母さんは、子育てというものをあまりに重く見過ぎるために、良い意味での『笑い』を無くしてしまうんじゃないかと思います。

たとえば、子供を連れてレストランに行ったら、ギャーギャー騒がれて、周囲にも冷たい目で見られた。それがイヤで、オモチャを余計に買い与えてしまったが、子供の心の成長を考えると、それは間違いだったのではないか……ということを、延々と考えて、スパイラル状態になってしまうような場合です。

つまり、子供や子育てを神聖に考えるあまり、子供のバカっぷりが笑えない。

自分のドタバタした愚かさを、「アタシって、バカ~」と笑って流す余裕がない。

「こうでなければ、ああでなければ」と、自分の定めたルールが全てで、そこから逸脱してしまうことは、たとえ自分自身の感情であっても、批判がましくならずにいられないのです。

自分で自分の愚かさや失敗を笑えない」――というのは、自己否定の一つです

そうした自己否定が根強いと、他人=子供に対しても、寛容になることができません。

そういう時、育児に追い込まれやすい人は、子供を自分の思う通りに改造することで、自分のイライラを解消しようとしがちですが、本当に必要なのは、こうした自己否定の傾向をなくし、自分自身に対して、もっと寛容になることだと思うんですね。

何と言っても、我々は人間ですもの。

たとえ相手が子供にせよ、人間として、怒りや苛立ち、悔しさみたいなものを感じて当たり前だと思うのです。

が、それを、「母親だから」という理屈で否定し、封じ込めようとすれば、本来の自分の感情がどこかに置き忘れられて、その歪みは必ずウツやイライラ、あるいは突発的な憎しみとなって爆発すると思うんです。

そうではなく、自分の大人げない部分――子供相手にカッカしたり、振り回されたり、アホらしさの極みを繰り返している自分自身を、客観的に見つめ、笑い、子育てそのものをギャグ漫画のように茶化す余裕を持てば、自分もラクだし、子供との関わりももっと楽しいものになるのではないでしょうか。

世に溢れる育児情報の中には、「母親なんだから、こんな風に感じちゃダメ」「母親なんだから、こういう気持ちにならなきゃダメ」みたいに、育児あるいは母親というものを神聖化してしまっているものが少なくないですよね。

確かに、心構えとしては大事だと思いますけど、一方で、子供との関わりを通して経験する心理的体験=それまでに経験しなかった苛立ち、不安、怒り、自責の念といったものを、もっと肯定的にとらえ、

「あ、今、私は子供相手にカッカしてる」

「私って、ホントに、瞬間湯沸かし器みたい」

と、客観的に見つめ、それも自分自身の真実として受けとめてはどうかと思うのです。

『カッカする=悪いこと=私の育児は失敗、クヨクヨ』ではなく、

『カッカする=これが私という人間なのだ=じゃあ、どう付き合おう』といった風に。

前に、育児相談の書き込みで、「不妊治療の末にやっと授かった子供なのに、育児ストレスでイライラしてしまう。そして、そんな自分がイヤで、ますますイライラしてしまう」というものを読んだことがあります。

これも、『不妊治療の末に授かった子供は天使。絶対に大事にしなければ』というこだわりがあって、それゆえに追い詰められているように感じます。

その気持ちは痛いほど分かるけれど、そんな時こそ、こだわりを捨てて、子供相手にイライラ、ドタバタしている自分を客観的に見つめ、受け入れていけばいいと思うんです。
悪い感情をハナから否定するのではなく、これも対人間との関わりだと肯定的に受けとめて。

子供って、親が与えるべき存在には違いないですけど、一方で、親に新たなものを体験させてくれる存在でもあると思うんです。

たとえば、上記のママさんの場合、「私が子供を大事に育てなければならない」という気持ちが強いですけど、この子は、育てられるばかりではなく、親に新たな気持ちを体験させる為に生まれてきた――とも言えないでしょうか。

そして、それこそが、治療の末にやっと授かった意味なのではないか、と。

私は、いろんな育児相談を読んでいて、今時の親に一番必要なのは、「心理的体験を悦ぶ余裕」ではないかと思います。

子供との関わりをあまりにも理屈で考えすぎて、人間として自分が感じる心理的体験をなおざりにしている、そんな印象を受けます。

子供のやること、なすことに苛立ち、落ち込み、振り回され……というのは、親として恥ずかしい事かもしれませんが、それこそが子供と関わることの本質であり、子育てというのは、躾や教育といった方法の上にあるではなく、もっと自分自身の中で体験されるものなのではないでしょうか。

そういう意味から、私は、親としての未熟さや愚かさを恥じらいつつも、客観的にはけっこう楽しんだりしています。

母親としての自分をウォッチングする」とでも言うのでしょうか。

(こういう時、私は短気になって、ダメだなあ)とか、

(おお、私って、こんな優しさも持ち合わせていたのか)とか。

育児を通して、いろいろ発見することは多いと思うんですよ。

そうして、自分自身をよく知ることがセルフ・コントロールに繋がり、セルフ・コントロールに長ければ、無用な衝突や躾の強要は避けられると思うのですが、皆さまはいかがお考えでしょうか。

子供を持ったからには、母親としての自分自身をもっと楽しんだらいいのにな、と思います。

英語ではよく、enjoy yourself と言います。

良いところも、悪いところも、全部込みで「アナタ」。

そのアナタ自身を楽しもう、という意味です。

そのアナタ自身を愛してあげたら、子供のこともきっと自然に愛せるようになると思うんですよ。

「まずは母親から」というのは、そういう意味です。

初稿 2007年7月26日

読者さんからのお便り

第2回の「母親である自分を楽しむ」にお便りを頂きましたので、ご紹介しますね。

はじめまして。

育児歴11年の母親です。

笑いは大切ですよね~。心からそう思います。それでも笑った後に、本当に笑っててもいいのか・・・と悩むこともあり、私の人生、悩み苦しみには尽きることはありませ ん。

それよりも少ないとはいえ、楽しいことや、充実した時間もあります。だからやっていられるのですが。

それでも結局は何が正しいのか判らず、何をするにも自信がなく、他人との付き合いならごまかせることも、子育てとなるとごまかすこともできない。

ごまかしがきかないから、真剣にならざるを得ず、大変なのです。

夫婦と子供4人、平和に仲良く楽しく暮らしたいのに、なかなかうまくいきません。 結局ごまかし方をさぐっていくしかないのかなと感じたり、いやいや体当たりよとがんばってみたり、とにかく一筋縄でいきません。

あきらめるというのが、一番の処方箋のような気がするのです。 が、それでいいんだろうか・・・とここでも堂々巡り。

あきらめるというのは、諦めると、明らめるというのがあるのですね。どっちがどうなんだ?

子供のこと愛しているのかなあ。
楽しみながらやれることをやるしかないですね。
それがEnjoy yourself かしら。
育児にはサプライズだらけ。それをどう楽しめるかってことかもね、なんて思ったり。
楽しむのも大変です。
ばらばらな文章で申し訳ないです。
お礼と感想を伝えたかったのです・・・。
とりあえず今回はこれでー。

素敵なお便りを本当にありがとうございました(^^)

育児歴3年の私がこんな事を言うのもなんですが、これでいいんだと思います。
「これが育児なんだ」って。
このドタバタのプロセスこそが、「親子関係」の思い出として、一生心に残るんじゃないでしょうか。

今って、「成功育児」だとか、「こうすればいい子に育つ」といった眉唾ものの情報があふれかえってますけど、「このやり方が正しい」って、自信たっぷりに育てる方がコワイですよ。
よかったら、「自信たっぷりに育てられたら、子供だってたまらんさ」を読んでみて下さいね。

迷って、焦って、落ち込んで、ケンカして、仲直りして、またケンカして……って、一見、ムダなように見えますけど、それが相手と触れ合っている証だし(隣の子供と必死になってケンカなんかしませんものね)、真剣に触れ合う相手が間近にいるうちが、やっぱ花だと思います。

誰とも触れ合わない人生は侘びしいです。

とはいえ、疲れますよね。
私も、こんなエラソーなメルマガを書いたりしていますけど、気持ちに余裕なくして、ヒーヒー言ってることが多いです。

記事の中で、「楽しみましょう」と書きましたけど、たとえ楽しめなくても、そういう風に気持ちを持っていこうとするだけ、上等としましょうよ。

ですから、母親である自分のことをずっと好きでいて下さいね。

もう一つ、おすすめが「お母さんの目からウロコが落ちる本」です。<Amazonの中身検索ページに飛びます>

「子育てなんか、なるようにしかならない」と、あっさり言い切っている本です。

「幼児期に、栄養、栄養と目くじら立ててみても、中学生になったら、塾帰りにハンバーガーを食べたり、コーラやポテトチップスを食べたりするようになるんだから、そんな必死にならなくてよろしい」というノリの本です。

笑えますよ。

2007年07月24日

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