なぜ絵本の読み聞かせに失敗するのか ~子供は音から学ぶもの

毎日、数冊の本を読み聞かせ、良書を厳選してるのに、うちの子はちっとも本に興味を示さない。

隣の健太くんは、もうカタカナも読めるのに、うちの子は……

そんな話、巷にいっぱい転がっていますね。

しかし、プロの絵本読み(五歳児)を代表して言わせてもらえば、子供は言葉を『言葉』として認識し、大人のように「文字」を読んでいるわけではありません。

親が絵本を読み聞かせる間も、『絵』を通して、自分の世界に遊んでいるのが大半です。

たとえば、皆さんは、ギリシャ語の絵本が読めますか?

ギリシャ人に、ギリシャ語の絵本を、読み聞かせしてもらっても、そこに何が書かれているのか、相手の話している内容さえ、まったく理解できないと思います。

唯一、分かるのは『絵』だけ。

そして、ギリシャ人が、抑揚をつけて話すのを聞きながら、「ああ、今、お姫さまが泣いているんだ」「鬼を退治して、皆が喜んでいるんだ」と、何となく理解するものです。

子供も、それと同じです。

たとえ日本語の絵本でも、そこに何が書いてるか、子供にはさっぱり分からないし、大人の話すことも、それほど正確に理解していません。

唯一、分かるのは『絵』だけ。

お姫さまが泣いたり、桃太郎が万歳するイラストに併せて、親が「姫はしくしく泣きました」と悲しそうな声で言ったり、「鬼をやっつけた。よかったね」と力強く語りかけたりする声を聞いて、何となく内容を理解するものです。

その繰り返しで、徐々に、「斧」とか「泉」とか「きび団子」という言葉を覚え、絵本のイラストと結びつけるようになります。

あるいは、実際に、斧を目にして、「おの」と物体が結びつくこともあれば、台風の日に、強い風を経験して、「あらし」がどのようなものか身体で理解することもあります。

つまり、「文字」ではなく、『音』と『対象』が結びついて、初めて、言葉が言葉として認識されるわけですね。

大人でも、ギリシャで暮らすうちに、周りが話すのを聞いて、「ネローが水」「ヴロヒーが雨」と理解すると思います。

ギリシャ文字が読めなくても、スーパーの商品棚を見るうちに、「バター βούτυρο」「チーズ τυρί」が理解できるようになります。

子供もそれと同じ。

まず「音」から入って、対象と結びついて、言葉を認識します。

「音」と文字が結びついて、「読めるようになる」のは、一番最後なんですね。

にもかかわらず、読み聞かせの途中で、親が文字を指さして、「これが『あ』。これが『れ』。この赤いものは、何という果物かな」なんてテストしたら、子供の集中力も途切れるし、余計な音が入り込んで、ますます意味が分からなくなります。

それよりも、集中。

音に慣れ親しみ、親の話し口調から、名詞、助詞、接続詞、会話文の区切りを自然に学ぶ方が大事です。

今は文字が読めなくても、音は子供の記憶に蓄積されていきます。

そして、ある日、突然、理解するのです。

これが『嵐(あらし)』だ、と。

いわゆる『言葉のシャワー』です。

大人でも、外国語の勉強で、同様のプロセスを経験します。

相手が何を言っているのか、正確に理解できなくても、「音」は知っています。(そういえば、ドブラ、ドブラ、って、よく言うなぁ、みたいな)

そのうち、何かのきっかけで、意味を理解し、単語の読み書きができるようになります。

子供もまったく同じで、ぼーっと聞いてるようでも、音はしっかり自分の中に溜め込んでいるんですね。

親が文字の読み書きにこだわって、読書の途中にテストすれば、子供にとっては大変なストレスです。

自分だって、ギリシャ語の絵本を読む度に、「この単語の読み方は? 意味は?」とテストされたら、イヤでしょう。

絵本の読み聞かせも、『音』が一番大事で、文字は後から付いてきます。

文字を教えるために、絵本を読むのではありません。

私は、幼稚園の頃、「じしん」という言葉が分かりませんでした。

動物の絵本で、椰子の実が落ちてきた時、ウサギたちが「じしんだ、じしんだ」と大騒ぎする場面があったのですが、親に「じしん、って何?」と聞いても、「地面がぐらぐら揺れること」としか教えてくれなくて、ずいぶん悩んだものです。

ところが、ある日、本当に地震が来て、地面がぐらぐら揺れた時、「これが”じしん”か!」と理解することができました。

ウサギたちは、椰子の実が落ちてきた時、振動の大きさに驚いて、地震と勘違いしたわけですね。

そのように、音は知っていても、体験として知らない、また知るのが難しい単語もたくさんあります。

「くやしい」「おどろおどろしい」「そわそわした」のように。

でも、音として知っているのと、知らないのでは、大違いですし、音として知っていれば、ある日突然、理解する日も来ます。

その為に、音としての言葉を繰り返し聞かせ、親が抑揚を付けたり、イラストや実体験と結びつけることによって、理解も早まるわけです。

ギリシャ語が読めなくても、ギリシャ神話を描いた絵本は美しいものです。

子供も、日本語の文字が読めなくても、美しい挿絵や、神々の冒険に、心を揺さぶられるのではないでしょうか。

誰かにこっそり教えたい 👂
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