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親の死を願っても人生は変わりません。親が変わることを願っても、親は死ぬまで変わりません。変えられるのは自分の気持ちと生き方だけ。無理に許す必要はありません。親の呪縛を逃れて、自分らしい人生を生き直してみませんか。
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「親 死んでほしい」「親 殺したい」で検索する人が多いので

当サイトには、『どうやって「親」を殺すか ~精神的親殺しについて~』というアクセスの集中する記事があり、このページだけで月間3000PVぐらいあります。

当然のことながら、検索ワードも、こういうのが多いです。

「親 うざい死ね」「親 死ね ころしたい」「うざい 父親 死ね」「うざすぎる母親 死ねばいいのに」「親 殺す 方法」「親 死ねばいいのに」「親 死んでほしい 殺す」等々。

まあ、青春の一時期、「親 うざい」「死ねばいいのに」って、思う気持ちは分かりますよ。普通の親に、普通に育てられた人には理解しがたいでしょうが、いろいろありますよ、そりゃあ。

ゆえに、上記のような記事も書いた。

こういう検索ワードで記事を見に来る人は、多分、「子ども」だと思うし、そういう子たちにはね、思春期にどのような激情を抱こうと、人生に絶望しようと、自分を惨めに感じようと、はっきり言うてあげたいですよ。

どんな毒親、ハズレ親に当たろうと、君たちは、精神的にも、経済的にも、社会的にも、親から自立することができる。って。

自分自身の知恵や精神力を総動員して、自分の人生を掴むことが出来るんです。

「普通の親と、普通の子どもらしい思い出がない」というのは、やはり悲劇ですよ。

学校でも、社会でも、普通に聞かれますよね。

「お父さんは何してる人? お母さんはどんな人?」

親子問題を抱えている子どもは、それに答えることができないんです。

「うちのお父さんは会社勤めで、休みの日はけっこうゴロゴロしてるよ~。お母さんは福岡の人で、方言が面白いねん。たまに田舎からイチゴ大福を送ってきて、いつも取り合いや」

こういう普通の返事、普通の説明ができない。

誰もが当たり前に答えられること、説明できること、が出来ない。

これ、大変なストレスです。大人でもそう。

仮に、自分の父親がワイセツ罪で逮捕されて、新聞にでかでかと顔と名前がのったら、もう誰にも話せなくなるでしょう。

それと似たようなもの。

そして、答えられないと周りに訝られる。

自分が周りより劣った、普通でない、欠陥だらけの人間に思えてくる。

その子のせいでなくても、両親との普通の思い出、普通の暮らし、普通の交流がないとね。

自分が世界から落ちこぼれた人間に感じ、その子によっては、自分という人間が愛される価値もない、誰かと対等に働いたり、意見を言ったりする価値もない、すごく惨めなものに感じるものです。

その危うさに気付いて、親の方からフォローできればいいですが、非常に残念ながら、そんなテレビドラマのような展開は万に一つだと思います(多分)

きっと、親の方は、死ぬまで気付かない。

我が子がこんな検索ワードでネットに救いを求めていることにも気付かないでしょう。

「こんなに必死に育ててきたのに、なんで?」

「我が子に裏切られた」

そう思ってるんじゃないでしょうかね。

こうやって「親 死んで欲しい」「親 殺したい」の検索ワードかけてくる子どもが、これ個別として、三ヶ月で約1000件、一年で4000件、トータルすれば全国で万単位。

その中には、20代、30代、それ以上の人も含まれてるんでしょうけど、単純計算すれば、すごい数です。

そうなると、親に「お子さんの苦しみに気付いて」「もっと対話を」とか促したくなりますが、そうした記事は、本来悩む必要のない誠実な親が目を通し、「ああ、私って、いたらない」と自己嫌悪に陥るだけ。

本来、読む必要のある親の目には決して届かないし、そもそも、自分に問題があるとも思っていません。

だから、何も変わらないし、子供の苦しみにも気付かないのですよ。

はっきり言って、親を啓蒙するより、不運な巡り合わせで毒親やダメ親に当たってしまった子どもたちに賢く生き抜く方法を教えた方がはるかに効果的です。

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親は変わりませんが、子どもはいくらでも成長するし、変化もするからです。

とはいえ、普通の親に、普通に育てられた人が、普通の親子関係をベースに励ましたり、慰めても、あんまり効果はありあmせん。「親を殺すか、自分が死ぬか」というところまで追い詰められる子どもの心理など、想像もつかないですから。

親は死ぬまで変わらない

君が子どもなら、一つだけ言っておいてあげる。

親は死ぬまで変わらない。

非常に残念ながら、死ぬまで気が付かないと諦めた方がいい。

君が苦しむのは、「自分の親だから」「もしかしたら、いつかは理解して、愛してくれるのではないか」という期待があるからでしょう?

酔っ払いの暴力親父でも、エゴ丸出しの自分勝手な母親でも、やはり「子どもの情」として、どこか親の気づきや変化、もしくは「それでも自分の親は立派なんだ。いい人なんだ」と思いたい、信じたい気持ちがあるから、絶対そういう風にはならない現実に打ちのめされるんです。

もうね、本当にね、こういう事は言いたくないけど、

親は親、と割り切りなさい。

諦めなさい。

あなたがどんなに望んでも、あなたの求める愛情や理解は決して手に入らないのだ、と。

でも、その代わり、君は君の人生を立派に生き抜くことができる。

親がボンクラでも、あなたは賢い、誰からも頼りにされる、有能な人間に成長することができる。いっぱい勉強して、周りの人にも優しくして、自分の人生を豊かで素晴らしいものに築いていく自由と可能性があるんです。

「今」というこの瞬間から、明日、来年、五年後、十年後について、どう生きるかは、君次第。

このままひねて、遊んで、落ちこぼれていくならそれもよし。

でも、下手なりにも、自分の足で歩いて、勉強して、働いて、幸せになる道もあります。

そして、どちらに転ぶかは、親のせいじゃない。あなた自身の選択です。

親、死ね。殺す。

そう思うなら、それをテーマにした心理学、哲学、文学、片っ端から読みましょう。

映画でも、美術でもいいし、人気スターや偉人さまの伝記も心の支えになるでしょう。

そして一日も早く経済的、社会的に独立すること。

これが親の呪縛から逃れる一番の近道です。

死ね、殺す、とか思いながら、親の居る家に暮らし、親の作ったご飯を食べ、親のお金で生きている限り、精神的に自由になることなどありません。

自分で稼いで、家賃も光熱費も払って、いっぱしの社会人として肩で風を切るようになる頃には、自分の親が「ひとりの人間」に見えることでしょう。

その時に、赦すか、否かも、あなた自身の選択ですし。

毒親の元に生まれ落ちた不運と、自分自身の人間力や可能性を、ごっちゃにしてはいけないのです。

こんなことで将来の可能性や、本来もっている能力を損なったら、それこそ馬鹿みたいですよ。

まあ、ここに書いていることの意味が分かるような子なら、自分でなんとか乗り切っていくと思います。

そして、今日、こういう検索ワードでネットサーフィンしてる子が、豊かな人生を勝ち取ることを願っております。

※ ウェブサイトでは、この続きに、渡辺美里のヒット曲『My Revolution』(作詞・川村真澄 作曲・小室哲哉)を紹介していました。

河合隼雄の言う『内面的な親殺し』があなたの心を自由にする

繰り返しになりますが、親の死を願っても、人生は変わりません。

「親 死ね」「殺す」と呪ったところで、親子関係が劇的に変わるわけでもなければ、自分自身が幸せになるわけでもありません。

呪いから解放され、幸福を掴みたければ、我が道を行くこと。

たとえ、それが親の気に入らないことだろうが、険しい道程だろうが、自分の夢や目的に心をフォーカスし、自力で人生の再スタートを切るしかありません。親に教えられたこと、自分はこうだと思い込んできたこと、全てを疑い、ゼロから価値観を再構築するのです。

その過程はまさに『内面的な親殺し』に匹敵する峻烈かもしれませんが、真に自分らしい人生を生きたいと望むなら、どこかで臍の緒を断ち切る他なく、猶予も躊躇もありません。なぜなら、これは自分が生きるか、親に屈するかの闘いであり、気根で負ければ、そこで終わりだからです。

人によっては、そこまでして自分の人生を生きたいの、そこまで頑張る必要があるの、と訝るかもしれませんが、『心の死』というのは、皆が思っている以上に、深刻かつ、取り返しのつかないものです。

現に「自分の人生を生きているような気がしない」と心を病んでしまう人は少なくありませんし、病とまではいなかくても、漠然とした不満や空しさに憑かれている人もたくさんいます。

妥協すれば、波風を立てずに生きていけるかもしれませんが、妥協で手に入れたものは、自分が本当に欲しいものとは異なります。そして、どのように自分を誤魔化しても、自分の心に決して嘘はつけないのです。

今はいろんな意味で自立も自活も難しい時代だと思います。

私が子どもの頃には、地方の娘さんが手に職を付ける為に都会の商家に住み込み、雇用主は衣食住から結婚の世話までするような風習が残っていましたが、今ではそのような進路を選択する若い人も少数でしょうし、そこまで親身に世話する雇用主も希有かと思います。親に不満があっても、今の生活レベルを落としてまで、あくせく頑張りたくない、という人もあるかもしれません。

しかし、今後は親子共倒れのリスクを孕んだ時代がやってきます。これまでは、子どもにトラブルがあっても、親に手を差し伸べる余裕がありましたが、今後は親自身も低収入や老親の介護に喘ぎ、精神的にも社会的にも追い詰められたような人が増えてくる恐れがあります。

そうしたリスクを考えれば、子どもが自力で生きていく術を模索することは決して無駄ではないし、同じチャレンジするなら、親がピンシャンと元気なうちの方がダメージも少ないです。親殺し云々に関わらず、今後は子どもの自活力がいっそう問われるのではないでしょうか。

この世に完璧な子どもがないように、完璧な親もいません。

人間らしく、過ち、省み、歩み寄っては、また離れる。

その試行錯誤こそ愛のステップです。

たとえ激しい言い争いになっても、子どもを思いやる気持ちがある限り、子どもも夜な夜な「親 死んで欲しい」「親 殺したい」とスマホで検索することはないのです。

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子どもの許しはいつ訪れるのか ~親殺しと再生について 子どもが真の大人になるためには、内面的な母親殺しや父親殺しをやり遂げねばなりません。それは決して恨みや憎しみではなく、親の定めた規範や価値観を乗り越えることです。内面的な親殺しに失敗すれば、子供は「自分が死ぬか、親を殺すか」という気持ちに追い込まれ、精神的自立に失敗するのです。
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