寺山修司– category –
寺山修司の詩・戯曲・コラムからお気に入りの作品や引用を紹介。『詩を作るより、田を作れ』という名言に集約される文人スピリットに即した文芸コラムです。
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寺山修司の戯曲『邪宗門』 あらすじと名句 ~人生以上でも、人生以下でもない人形使いの人生
海外でも高評価を得た戯曲『邪宗門』のあらすじと名句を紹介。呪詛的な内容ながら、自我、人生、母子関係といった根源的なテーマを問いかける野心作。『糸を切るより操ってみろ / 自己批判しすぎて鬼になる / 捨てられてくれ、おっ母さん!』 -
母の呪いと子の彷徨を描く 寺山修司の戯曲『身毒丸』
幼い頃に母を亡くした少年しんとくは生みの母を恋しがっていたが、父親はそんな息子を不憫に思い、見世物小屋で蛇娘の母親を買ってくる。しかし、しんとくは継母に懐かず、継母も息子を呪い、地獄のような光景が繰り広げられる。作り物の家族と歪な母子関係を描いた寺山修司の戯曲を解説。母の本性をえぐるような台詞が印象的な傑作。「母に疎まれ、虚しい土人形 / まま母の呪いと子の悲劇 / 母とは菩薩でもあり、鬼でもある」等。 -
支配する母親と囚われる息子の歪な愛憎を描く 戯曲『毛皮のマリー』
男娼マリーは美少年・欣也を部屋に閉じ込めて育てていたが、ある日、美少女が現れ、外の世界に誘う。寺山修司と母・はつの親子関係を彷彿とする戯曲の名台詞と舞台劇の見どころを紹介。 支配する母親と囚われる息子の歪な愛憎をテーマにしたコラムを掲載しています。 -
おまえの時代など永遠に来やしない 寺山修司の小説『ああ、荒野』より
「おまえの時代」など待っていても、永遠に来ないのだから、いつ来るか分からない栄光の時を、月を見上げるように待ち続けるより、今を精一杯生きよう、の喩え。 -
孤独とは慣れるのではなく、利用するもの 寺山修司の小説『ああ、荒野』より
孤独な老人の話を誰が積極的に聞きたいと思うだろう? 一人の時間と空間を大切にして、自分の内なる世界を楽しもう。寺山修司の小説『あゝ、荒野』の名言をモチーフにした心のコラム。 -
人は「時を見る」ことなどできない ~認識の仕方は人それぞれ 『仮面画報』より
人は「時を見る」ことなどできない。見ることができるのは、「時計」なのである。人は「それ」をどのように認識するのだろう? 事象は事象であって、それ自体は何の意味もなさない。 -
なみだは にんげんのつくることのできる 一番 小さな海です ~寺山修司の海の詩
海への思いを美しい言葉で綴る初期の作品集。時に過激な言葉で若者を煽動する寺山修司の優しい感性が感じられる珠玉の少女詩集から、お気に入りの海の詩を紹介しています。 -
戦争とは国家によって正当化される殺人 『死者の書』より
「いま、殺人が容認されているのは、国家という単位だけなんです。国家は死刑という名の虐殺もできるし、戦争という名の大量殺人もできる。国の中で殺すのはいけないけど、国の外へ行って殺すと英雄になれる、という倫理です」 -
寺山修司 宝石の詩 ~婚約の思い出『ガーネット』 淋しいという字『ダイヤモンド』
婚約の思い出を固めて石にした『ガーネット』、人に淋しさを思い起こさせる『ダイヤモンド』 -
寺山修司はなぜ女にモテるのか
寺山修司の魅力を女性の立場から分析する文芸コラム。誰にも答えられない人生の悩みに答えてくれる唯一の詩人にして家出人の味方。寺山修司の強さと優しさについて解説。 -
ふしあわせという名の猫がいる 【寺山修司の詩】
ふしあわせという名の猫がいる。いつもわたしにぴったりよりそっている。でもその猫は気まぐれなので突然 どこかに行ったりします。ふらりと帰って来た時にはしあわせ という名の大きな魚を口にくわえていたりします -
懐かしのわが家(寺山修司の遺稿)
ぼくは不完全な死体として生まれ 何十年かかって 完全な死体となるのである そのときが来たら ぼくは思いあたるだろう 青森市浦町字橋本の小さな陽あたりのいい家の庭で 外に向かって育ちすぎた桜の木が 内部から成長をはじめるときが来たことを