今時のキャシャーン & ウルトラマン ~リクツ探しに明け暮れるヒーロー

この記事について
2006年、レンタルDVDで紀里谷和明氏の実写版『キャシャーン』を観た時の感想です。ぱぱっとメモしたので、文章にまとまりはないですが、何かの参考に。

先日、家人は「日本映画だよ」と最新版の「キャシャーン(2004年 実写版)」のDVDをレンタルしてきました。

観たのはいいけど、アタマがおかしくなりそうでした・・^_^;

今の若い子たち、こんな作品を観て、よく気持ち悪くならないなーと。

映像云々ではなく、そこにある思想がね。

一見、高尚だけど、中身はすっからかん。

自分一人の世界に生きているという感じ。

だから、この作品も、リクツばっかり。

主人公のキャシャーンも、身体を張って行動することはない。

「僕はどうして生まれ変わったのか」

「何のために戦うのか」

「善とは何か、悪とは何か」

そんな事ばっかり、人に聞いて回ってる。

自分が100%、納得いくリクツが無ければ、行動できないらしい。

そんなリクツ、この世にあるわけないじゃないの、って。

*

作品中、次のような言葉が、何回出てきたと思います?

「僕が存在する意味」「生きている意味」「誰のため」「何のため」

「どうして人は傷つけ合うの」「何が正しくて、何が悪いのか」

リクツが全てなのね。

生きるにも意味、戦うにも意味、愛するにも意味、憎しむにも意味。

『意味』と言えば聞こえがいいけど、価値判断の基準は自分だけ。

つまり、自分にとって意味が無いことは、やらない。

そう言ってるのと、同じ事。

そんな自分に100%ジャストフィットした世界なんか、あるわけないのに。

*

この作品の最後のオチはこう。

人は存在するだけで、誰かを傷つけている。だけど、人は認め合い、許し合って、共存の道を探さなければならない

そうは仰るけども、少なくとも、うちの息子は私たち夫婦を傷つけるために存在しているとは思いません。

人間の存在意義が「傷」によって左右されるとも思いません。

何なのでしょうね、

二言目には、「傷ついた」の「傷つけられたの」って。

そんなに自分の心が大事なのでしょうか。

この作品も、愛とか、共存とか、立派なことを説いてるけども、根っこにあるのは「自分がどう感じるか=自分が痛いか、痛くないか」であって、結局、自分中心なんですね。

なぜって、「傷つく、傷つかない」は個人の受け取り方の問題であって、それが全ての基準ではないからです。

相手に傷つけるつもりはなくても、本人が「傷ついた」と思えば、相手は自動的に悪者になります。

こうした考え方こそ、苦しみの元凶ではないでしょうか。

*

とにかく、リクツ、リクツ、リクツ、リクツ。

リクツがなければ、動かないし、納得しない。

まず「これが正しい」という前提があって、それから動き出す。

生きていく上での、無理や無駄をあえて呑もうという覚悟はない。

だから、いつまでたっても行動に移せないし、「自分に合うか、合わないか」「痛いか、痛くないか」という、自分の価値判断でしか物事を評価できないのではないか。

*

しかし、こうした思想はもう何年も前から子供向け番組の中に織り込まれているんだね。

知人の家に遊びに行った時、

「子供達がウルトラマン・ショーのビデオを見たがっているから、一緒に付き合ってくれない?」

と頼まれて、一緒に観たのはいいけど、やっぱり途中で気持ち悪くなって、途中で観るのを止めてしまった。

なんでって、あのウルトラマンがよ、

「どうして僕たちは戦わなければならないのか。地球の人々にとって、僕たちの存在にはどういう意味があるのか。戦いは空しいだけではないのか」

と子供達の前で戦いもせずに悶々としているんだもの。

そして、ウルトラマンの中にも、「戦い肯定派」と「否定派」がいて、ウルトラマン同士で、主義主張をめぐって、戦い始めるんだよ。

おいおい、「お前とは価値観が合わない」って、武力行使に走る方が、よっぽど問題なんじゃないの、って。

*

こんな番組を、幼稚園や小学校低学年ぐらいの子供が、親に連れられて、ポカーンと見てるんだからね。

思春期になったら、何を言い出すか、今から想像がつくじゃない。

で、その事を知人に話したら、

「そりゃ、ガンダム見て育ったオタク世代が、今の子供向け番組を製作してるんだもの。そういう内容になるよ。

今時ね、勧善懲悪ものなんて、流行らないの。

『自分は何のために存在しているのか』『何のために生きるのか』って。

そういうのを表に出すのが、カッコイイと思われてるんだよ」

ガンダムが悪いとは言わない。

でも、第一世代のガンダムで、主人公のアムロが「戦うのはイヤだ、何のために戦うんだ」とコクピットで悶々としているのを見て育った世代が、こういうウルトラマンを作るのかと妙に納得がいった。

当時は、それが新しいヒーロー像として共感を呼んだけど、今となっては、実戦は後回し、リクツ探しに明け暮れる、若い子達の祖先になってしまったような気がしてならない。

*

つくづく思うのは、今の子供達って、よっぽど、「無条件に人に受け入れられ、愛されている」という実感が無いのだな、ということ。

親からも、世間からも。

愛の体験があれば、「何のために存在するか」なんて問い掛けはないから。

愛されて育った子供の心には、「親って、うるさいからイヤだなあ」という思いはあっても、「何のために存在するのか」なんて疑いはない。

ありのままの自分を受け止めてもらっている実感があるから。

ディズニー映画の主人公が、自分の容姿や能力にコンプレックスを持っても、「何のために僕は存在するのですか?」なんて問いかけはしないのと同じ。

肯定的な世界観の上に悩みがあるのと、根本から否定、あるいは無視されて育った子供の悩みは大きく違うのだ。

キャシャーンやウルトラマンが自分の存在意義について悩み、疑い、アタマを抱えて立ち止まる時、子供たちもまた立ち止まる。

リクツ探しに明け暮れるヒーローを見ながら育つ子供たちに、本当に輝かしい未来はあるのだろうか。

初稿: 2006年2月12日(日)

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