新約聖書のおすすめ
一口に新約聖書といっても、口語訳、文語訳、福音書のみ、信徒の手紙を含む、等々、膨大な種類があります。
一番いいのは、大型書店に行って、片っ端から内容に目を通し、文章や構成、書籍から受ける印象など、自分が気に入ったものを購入することです。
書評などを見て、「これがおすすめ」という本を購入しても、自分にとって読みにくければ、まったく頭に入ってきませんので。最悪、疲れる。
特に初心者は、文章との相性が一番大事なので、とりあえず、学術的価値とか、世間の評価などは横に置いて、楽に読めるものを購入しましょう。
ある程度、内容を把握して、読み比べる余裕ができたら、改めて、書評などに目を通し、真価について考えるとよろしいかと思います。
一番大事なのは、イエス・キリストが何を伝えたかったかを理解すること。
そして、なぜ世界中に広まったのか、教えの心髄について思いを馳せることです。
おすすめ キリスト教の本(新約聖書)
新約聖書 共同訳全注 (講談社学術文庫)
私が一番最初に購入した聖書です。
上述の通り、何の予備知識ももたずに大型書店に出掛けて、片っ端から内容に目を通し、一番読みやすいものを購入しました。
現在は廃刊になっていますが、個人的には非常によい買い物であったと自負しています。
共同訳は平易ながら格調高い文章で、エッセーのようにすらすら読むことができます。その他の訳が歴史書のような作りであるのに対して、こちらは文学調ですね。
『信徒向けの聖書』というよりは、聖書というタイトルの読み物という感じです。
構成も、『マタイオスによる福音』『ルカスによる福音』『マルコスによる福音』『ヨハンネスによる福音』にプラスして、『信徒の宣教(ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙、など)、『ヨハンネスへの黙示』、その他、地図、年表、人物など、関連資料も網羅されています。
ほとんど全ての漢字に”よみがな”が付いており、幅広い年齢層を対象にした良書です。
「聖書=宗教」というイメージが強い人も、歴史的文学の一つとして親しめると思います。
16世紀の宗教改革以来、カトリックとプロテスタントとに分裂していたキリスト教界は、現在、協調と一致の方向に向かっている。本書は、このような時代の流れの中で、両派が協力して翻訳した本邦初の『新約聖書』。
両派で思い思いに使ってきた言葉を共通化し、内容に沿って小見出しをつけたほか、歴史的・宗教的事項に注を付してあるので、新約の世界とその時代がありありと甦ってくるこれからの時代の万人向け聖書の決定版である。
【amazon レビューより】
原典のギリシャ語発音表記を地名・人名に採用したこの聖書の効果は、「使徒の宣教」から特に現れる。
これを読むとき、まさにイメージとしてギリシャ・ローマ世界がパウロスとともに展開していく。
例えば「イタリーのロームで聖フランシスが」などと言うと、イタリア世界に膜が張ったように感じないだろうか。
これは言葉にこだわって本質を見ていない発言とも言えるだろうが、「共同訳」は、あったほうがよい聖書翻訳のかたちであるに違いない。
教会で使うのに不便であるとしても、是非ハードカバーでも復刻して欲しい一冊である。
内容はほぼ同じです。(微妙なところで、講談社学術文庫の方がクラシックな印象です。非常に小さな違いですが、文体にこだわる方は講談社がおすすめかと)
聖書 新共同訳 新約聖書 Kindle版
聖書は何を語っているか (講談社現代新書)
既に絶版となっていますが、東京純心女子短期大学教授で、シェイクスピアやイギリス文化を専門とした著書で知られるピーター・ミルフォード氏による解説本です。
聖書の解説本も数多く存在し、初心者にはどれを手に取ればいいのか分からないと思いますが、上述の通り、まずは文章で選びましょう。どれほど評価の高い、正統派の解説本でも、「堅苦しい」「難解」といった印象が先に立てば、読むのも疲れてしまいます。
かといって、あまりに軽い内容では、イエスの教えに説得力もなくなりますね。
新約聖書も、抽象的な喩え話が多いので、まったく素養のない人が手に取れば、何のことか意味が分からないと思います。「放蕩息子のたとえ」とか「ラザロの復活」とか。その際、基礎的な解説本が一つあると、読むのが楽になります。
本書は、現代日本(といっても1980年代ですが)の人の生き方や社会の在り方を引き合いに出しながら、キリスト教の要点を解説しています。
どちらかといえば、文化評論的な内容なので、宗教色の強いものはちょっと……という方にも読みやすいのではないでしょうか。
既に廃刊になって久しいですが、マーケットプレイスで安価で出回っているようなので、興味のある方はぜひ。
第1章 最初の言葉
第2章 山の上の教え
第3章 たとえ話
第4章 真の命への道
第5章 エルサレムでの教え
誰もが聖書を読むために
「聖書」を手にとってみたものの、抽象的な話が多く、結局、意味が分からぬまま、途中で投げ出してしまう人も多いのではないでしょうか。
この本は、そうした人に聖書の読み方を伝授します。
なるほど、「エデンのりんご」にはそういう意味があったのか、と納得すること請け合い。
レビューにもあるように「聖書の一つの読み方」として参考になさるといいです。
この著者さま、ずっと以前には聖書関連のメルマガも発行しておられたのね。
「まぐまぐ」から出ていたのでビックリしました。
オーソドックスな聖書の読み方とはどういうものか。
なぜ、神が「光よ。あれ」というと、光が出現するか。
バイブルでいう「神(GOD)」とはなにか。
エデンの「楽園」の様子と神の理想の「楽園」とは。
バイブルの基調をなす発想とは何か。
唐突な記述や奇跡の数々を読みこなす認識パターンはあるのか。
難解な聖書の冒頭部分に直に接し、18の基本原則から聖書を読み解く
【amazon レビューより】
西欧人の思想に、いかに聖書が入り込んでいるかを説明した本。
特に、アメリカを意識して書かれています。
西欧人の行動様式を聖書をもとに解明しようとする試みは独創的であり、好感が持てます。
また、ある程度、整合の取れた説明も出来ているので、それなりに読み応えがあります。
日本人が理解しにくいアメリカ人の思想をも簡単に説明した文には感銘すら受けます。
ただ、難を言いますと、聖書を基本としているのでアメリカとヨーロッパを一くくりにしているのですが、イラク戦争に対する各国の反応を考え合わせると、プロテスタントという同じ土壌でも異なった対応が取られており、この理論に完全に納得してしまうのも危険かと思う所です。
一つの見方を提供してくれていると理解した方が良いかもしれません。
キリスト教の本 (上) (New sight mook―Books esoterica)
本屋によっては、精神世界系のコーナーにあるので手を伸ばしにくいかもしれないが、写真やイラストも多数掲載されており、キリスト教を教養として身に付けたい方におすすめ。
信仰ではなく、歴史・文化の一つとしてキリスト教を紹介しており、内容も学術的です。
昨今の「図解でわかるシリーズ」とは一線を画しています。
知的雑学の読み物としてもおすすめ。
下巻はこちらです。 https://amzn.to/2P9UkWI
【amazon レビューより】
ナザレトのイエースースの生涯と原始キリスト教時代の歴史、そしてローマ帝国による迫害と国教化、異端論争など、おもに古代キリスト教史を若い世代の人々向けに平易に書き記した入門書です。
トリーノの聖骸布やウェロニカの聖布、ロンギーノスの聖槍、ヘレナが「発見した」という聖十字架、そして聖杯伝説、等々の聖遺物のトピックが載っているので、なかなか面白く読むことが出来ますよ。
また、奇跡物語の解釈や死海文書の提示するイエースース像など結構きちんとした記述が書かれて居て興味深い本でもあります。
ただしかし、外典や教父文書の解説が手短か過ぎて物足りないような気がしたことは否めませんが...。
上巻のカラーページ。ナザレ、ベツレヘム、ヨルダン川とヨハネの洗礼、誘惑の山、ゲッセマネの園、悲しみの道、などなど、かの名所がカラー写真で紹介。
上巻の目次
上巻のコンテンツ。
下巻のカラーページ。バチカンと教会にまつわるカラーページ。
下巻の目次。
下巻のコンテンツ
旧約聖書のおすすめ
旧約聖書 創世記 (岩波文庫)
「最初に光ありき」で始まる創世記は圧巻。
一口に聖書といっても、出エジプト記や預言書など、実に膨大な書物の集まりなのだが、創世記はちょっとスペクタクルな要素があって、物語として読んでも十分面白い。個人的には岩波文庫の訳が好き。
天地創造、楽園の追放、カインとアベル、ノアの方舟、ソドムとゴモラ、など。罪を犯して神から追放を受けた人類とその人類に対する神の救いが聖書全体をつらぬく問題であるとすれば、旧約巻頭のこの書こそ、その問題への出発点である。
天地の創造、人類のはじまり、楽園追放、ノアの洪水、その子孫の増加、そしてイスラエル民族の祖先たちの罪と罰の記録。
次々に壮大な神と人類の物語が展開されてゆく。
【amazon レビューより】
天地創造、エデンの園からの追放、ノアの洪水、ソドムの滅亡など、誰もが一度は耳にしたことのあるような物語はこの旧約聖書開巻第一の書「創世記」に全ておさめられている。
民族の分布や、系図などいったい何なんだと思うような箇所もあるし、旧約聖書といえばキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖典であるが、とりあえずどの宗教を信じているかなど関係なく、勿論無心論者の人も一度は目を通してみるとなかなか面白い発見などもあり有意義だと思う。
旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)
映画『エクソダス 神と王(リドリー・スコット監督 / クリスチャン・ベイル主演)』や『十戒(チャールトン・ヘストン主演)』で、モーセが海を割る場面を見て、出エジプトの歴史に興味をもった人も少なくないのでは。
本当に紅海が割れたかどうかは分かりませんが、数ある聖書のエピソードの中でも、最もドラマティックなパート。
「モーセと十戒」を理解する上でも、外せない一冊です。
映画のノベライズみたいに読んでみてはいかがでしょうか。
決定版 図説 旧約・新約聖書 この一冊で聖書がまるごとわかる
旧約聖書の世界観をフルカラーのビジュアルで解説。
旧約聖書は似たような名前の登場人物がぞろぞろ出てくるので、ビジュアル付きの方が分かりやすい。
amazonの商品ページで中身検索ができるので、興味のある方はどうぞ。
絵画で学ぶ ~聖書の世界
マリアのウィンク ― 聖書の名シーン集
西洋絵画も合わせて学びたいなら、こちらの本がおすすめ。
名画の細部にわたって、聖書や絵画的意味について分かりやすく解説しています。
一見、マンガ本みたいですが、美術や文化の専門知識が随所に散りばめられ、非常に充実しています。
西洋絵画の主題物語〈1〉 聖書編
聖書に登場する主要なエピソードを時系列に並べ、西洋絵画を添えて紹介するもの。
解説はコンパクトながら、学術的な要素がしっかり入っています。
オールカラーで、有名な絵画は大半収録されています。
入門編としても、中上級者の確認資料としても、おすすめです。
キリスト教の本を選ぶコツ ~初心者向け
キリスト教関連の本は、市場にたくさん出回っていますが、初心者はどのような本を選べばいいのでしょうか。
一番大事なのは、初心者こそ、専門家の書いた入門書を手に取るべき、ということです。
まんがで分かるシリーズや、ゆるふわ系エッセーも悪くはないですが、初心者向けに分かりやすく編集されたものは、イエス・キリストのストーリーだけ追って、肝心要の「原罪」や、モーセと神の契約、ユダヤの位置づけなど、すっ飛ばしていることが多いからです。
歴史的にも、突然、イエス・キリストが現れて、キリスト教が始まったわけではなく、それ以前に、アダムとイブの楽園追放があり、アブラハムの子孫があり、長い長い道のりの果てに、イエスが神の子として生を受けたわけですから、そこだけ切り取っても、本当の意味で、イエスの教えの新しさや影響力を感じ取ることはできないからです。
かといって、創世記からじっくり目を通すのも初心者には大変ですし、旧約聖書もいろんな人物が入り乱れて、よほど好きな人でもない限り、読破するのは不可能でしょう。
だからこそ、この長大な流れを理解して、教義のみならず、歴史、文化、言語など、専門的に研究している方のレクチャーが不可欠なのです。
また、「何のためにキリスト教を勉強したいのか」という動機も大きいです。
美術に興味があって、名画に関する教養を深めたいのか。
あるいは、世界情勢を紐解く上で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などが生まれた背景を詳しく知りたいのか。
目的によって、読むべき本も大きく違ってくるからです。
手当たり次第にチャレンジするよりも、自分の興味ある分野に添って選ぶのも一つの方法です。
美術なら美術。
歴史なら歴史にフォーカスして、雑学的なところからアプローチするのも、良いかもしれません。
また、自分に合わない文体の本を、背伸びして選んでも長続きしませんし、他人の評価は所詮、他人の感想です。
店頭で、いろいろ見比べて、「これ」と直感したものを選ぶ方が読了しやすいです。
多くの人は、信者になるのが目的ではなく、西洋絵画や古典文学(ドストエフスキーなど)に関する理解を深めるために、キリスト教を勉強されると思います。
だとしたら、名言の解釈だけでは、到底、理解は及びません。
文化習慣、儀式、人生観に至るまで、キリスト教文化圏の根幹を知るためにも、最初は、学術的に優れた方の解説書を手に取ることをおすすめします。
以下、『二人の「綾子」――入門書・解説書はなぜわからないか』 (「誰もが聖書を読むために」(鹿嶋 春平太))より。
「二人の綾子」とは、キリスト教徒でもある作家の三浦綾子氏と曾野綾子氏のことです。
聖書というのが、膨大な体系を持っている書物であることは間違いないようです。そして、例えば、全体が、象の身体であるように考えますと、どの著者もその象の全体像を見せてくれていない。だから読者は、ちょうど盲目の人が象を部分的に撫でて、そして、象はこんなものだろうというふうに、想像するのと同じようなことをさせられていたように思います。
<中略>
もちろん、筆者たち自身は、各々全体像を掴んでいるだろうと私は信じています。が、少なくとも書く段においては、全体像を示そうとしていない。にもかかわらず、その自分の撫でた部分を「部分です」と言わないで、「聖書です」と言っているのが日本の聖書入門書の実情であるように思われます。ですから、読者は読んでもわからない。部分的なところでわかったような気持ちにさせられるのですが、結局は振り出しに戻るというわけです。
ものごとは部分的にしかわからないと、ある部分の解説が、全体の中の他の部分と、どういうような関連を持っているかという位置づけが全くできなくなります。だから、全体像を示してくれない解説書は、我々にとっては聖書のある部分、ある聖句をとって、そして、それに対する個々人の随想を述べているだけに過ぎない本ということに結果的にはなるわけです。
ある言葉や、事件をすくいあげて、それに関する物語を編み出すということになれば、これは作家が一番得意とするところです。作家は、職業柄、面白く、興味深く、聖書に関するドラマを創作してゆくことができます。聖書の入門書の中でも、日本では作家のものがとりわけよく売れるということになっているようですが、日本のキリスト教文学の隆盛の一因には、解説書の類いが聖書の全体像を定時していないことが底流としてあるように思えてなりません。
「誰もが聖書を読むために」 鹿嶋 春平太
初稿:2008年11月23日