ブラックジャックの診療報酬 ~患者さま時代の医療

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ブラックジャックの診療報酬

手塚治虫氏の医療マンガ『ブラックジャック』は、無免許の天才外科医でありながら、患者に法外な診療報酬を要求する。

常識で考えれば、「人の弱みにつけこんで、なんたる外道!」と思うが、ブラックジャックはあえてダーティーな要求を突きつけることで、患者にこう問いかけているのだ。

君は全力をかけて自分の病気を治す覚悟があるか?

ある者は、一生かけてもお支払いします! と答え、ある者は、背を向けて去って行く。

平凡な市民にとって、ブラックジャックが要求する数千万円の診療報酬は、一生かかっても稼げない大金だが、それで本当に病気が完治するなら、どんなことをしても払おうとするし、手術を受けたからには治そうとする。

ブラックジャックは、その気根を問うているのだ。

ブラックジャックの診療報酬に読者が納得するのは、金持ちにも、貧乏人にも、同じように問いかけるからだ。

「金持ちには多額の診療報酬を要求し、貧乏任からは金を取らない」というなら、単なる下町の赤髭先生であり、作品自体も、安っぽい人情ドラマに成り下がる。

しかし、ブラックジャックは、平凡なサラリーマンにも「1000万、払えますか」と問いかける。

どんな患者も「1000万……そんな大金、持ってません……僕に一体どうしろと……」と青ざめ、肩を落とすが、自分自身のため、愛する家族のため、心の底から生きたいと願い、一生かけて支払うことを誓い、手術台に上がる。

そして、必死でリハビリし、元の健康な身体を取り戻す。

その頃には物事も好転し、診療報酬もチャラになる、というのが大方の筋書きだ。(全編を読む限り、ブラックジャックはあくどい政治家や金持ちから、たっぷりふんだくっているようである)

今は「国民健康保険」が充実しており、薬価や物品代が値上がりしても、タダ同然で高度な医療サービスを受けることができる。

ところが、人間とはおかしなもので、欲しいもの=治療が安く手に入ると、努力することも止めてしまう。

具合が悪くなったら、また病院に行けばいい。

医者や看護師が何とかしてくれる。

仕出し弁当ほどの代金を払えば、薬でも、検査でも、何でも手に入るのだから、無理に禁煙したり、酒を控える必要もない、と。

もし、外国の医療機関みたいに、一回の診療代が数千円から数万円、超音波や内視鏡といった検査が数万円~数十万円もかかるなら、多くの人は節制し、食養生や健康増進に励むだろう。具合が悪くなったら、また病院に行けばいいなどと、安直な気持ちでおられないはずだ。

ブラックジャックが法外な診療報酬を通して患者に求めるのは、治療に対する真摯な気持ちである。

生きたい、治したい、いや、絶対に治してみせる。

この気概なくして、病気は克服できない。

「具合が悪くなったら、また病院に行けばいい」といった安直な気持ちで手術を受けても、また適当に飲み食いし、自分で自分の健康を蔑ろにするだろう。

医者や看護師は、治そうとする人を支える存在であり、患者の不平不満に神のように付き合う何でも屋ではない。

病院に行けば健康もタダで手に入ると勘違いし、生きる気力もなければ、感謝の気持ちもない人に、どうして全力を尽くすことができるだろうか。

最高の手術を施したところで、患者にその気がなければ、傷はいつまでも癒えないし、手足も固まったままである。

術後の痛みに七転八倒しても、自分の足で立ち、トイレまで歩行し、いつかは家に帰って、元通りの生活をするという、強い意思と覚悟がなければ、1粒1万円の錠剤も、一本10万円の点滴も、何の意味も無いだろう。

子供の頃、初めてブラックジャックを読んだ時、「私の手術を受けたければ、1000万円、用意するんですな」と平然と言ってのける場面に驚いたものだが、今ならその問いの意味が分かる。

ブラックジャックの手術で本当に病気が治るなら、一生かかっても払うだろう。

健康にはそれだけの価値があり、その価値は心底から生きたいと願う者にしか分からない。

払うか、払わないか。

それは人生に対する愛情と尊厳の現れではないだろうか。

初稿:1999年1月27日

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