すべてが見えたから もう他に見たいものなどないの ~ビョーク『ダンサー・イン・ザ・ダーク』&『レオン』

目次 🏃

映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』について

メジャーな映画館では公開されなかった、ビョーク主演の映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。

カンヌ映画祭でパルムドール賞を受賞したものの、あまりにリアルな描写から、賛否両論に分かれ、日本でも一般に支持されることはありませんでした。

しかし、盲目の主人公セルマを、魂が乗り移るような迫力と天才的な音楽センスで演じたビョークは一躍有名になり、日本でもこの作品を機に多くのファンを獲得しました。

ラース・フォン・トリアー監督の「ビョークはセルマであり、セルマはビョークだった」という彼女がこの作品の全てを物語っています。

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説明

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の物語

貧しいチェコ移民のシングル・マザー、セルマは、遺伝的な障害から視力が低下し、全盲になるのも時間の問題です。

そして、この病気は息子にも遺伝することから、セルマは心優しい同僚のクヴァルダの助けを借りながら、必死でプレス工場で働き、治療費を蓄えていました。

しかし、妻の浪費に悩む隣人のビルに、その貯金を奪われ、セルマは彼の家に取り返しに出掛けます。

そこでもみ合いになった末、セルマは彼を撃ち殺し、極刑が言い渡されます。

クヴァルダの弁護も空しく、セルマは絞首刑に処され、最後の歌を歌いながら、天に召されます。

*

この映画の特徴は、こうした悲しい現実と対比するように、セルマの夢の中のミュージカルが華やかに展開する点です。

たとえば、工場のプレス機の音が、いつしかダンスのステップに聞こえたり。

刑場に向かう足音が、美しい詩歌になったり。

現実の描写から、夢の中のミュージカルへ。

ごく自然に移り変わる演出は、まさに監督の力量によるものです。

そしてまた、これを『夢』と感じさせないビョークの歌唱力も素晴らしく、「映画は苦手だけど、音楽は好き」という人が多いのも頷ける話です。

I've Seen It All(すべてが見えたから、もう他に見たいものなどないの)

こちらは、セルマを慕う男性が、全盲という悲しい運命に対して、さばさばしている彼女に対し、「この世界に、まだまだ見たいものがあるはずだ」と問いかけると、「I've seen it all (すべてが見えたから、もう他に見たいものなどないの)」と歌で答える場面です。

"I've Seen It All"

I've seen it all, I have seen the trees,
I've seen the willow leaves dancing in the breeze
I've seen a man killed by his best friend,
And lives that were over before they were spent.
I've seen what I was - I know what I'll be
I've seen it all - there is no more to see!

You haven't seen elephants, kings or Peru!
I'm happy to say I had better to do
What about China? Have you seen the Great Wall?
All walls are great, if the roof doesn't fall!

And the man you will marry?
The home you will share?
To be honest, I really don't care...

You've never been to Niagara Falls?
I have seen water, its water, that's all...
The Eiffel Tower, the Empire State?
My pulse was as high on my very first date!
Your grandson's hand as he plays with your hair?
To be honest, I really don't care...

I've seen it all, I've seen the dark
I've seen the brightness in one little spark.
I've seen what I chose and I've seen what I need,
And that is enough, to want more would be greed.
I've seen what I was and I know what I'll be
I've seen it all - there is no more to see!

You've seen it all and all you have seen
You can always review on your own little screen
The light and the dark, the big and the small
Just keep in mind - you need no more at all
You've seen what you were and know what you'll be
You've seen it all - there is no more to see!

セルマ:
私はもう 見たいものは全て見たのよ
木々も見たし
そよ風と戯れる柳の葉も見たわ
人生の途中で、親友に殺された男も見たし、
私は自分が何者だか分かったし
どんな人間になっていくかも分かっている
すべてが見えたから、もう他に見たいものなどないの

男性:
だけどゾウや、ペルーの王様は見てないだろう?
ねえ、言わせておくれ、
中国はどう? 万里の長城は見た?
どんな壁もすごいよ、それが崩れ落ちなければ

どんな男と結婚するか知りたくないかい?
そして彼とどんな家に住むのかを

セルマ:
そんなことは気にならないわ、本当よ

男性:
ナイアガラの滝は見たことがないだろう?

セルマ:
ええ、それも見たわ、ただの水よ

男性:
じゃあ、エッフェル塔は? エンパイア・ステイトビルは?

セルマ:
初めてのデートの鼓動ぐらいに高かったわ

男性:
君の髪に指をからませて遊ぶ孫の顔を見たくない?

セルマ:
もうそんなことは気にならないの、本当に

私はすべて見たの、暗闇も
そこに輝く小さな閃光も
私は、私が見たいものを見て、必要とするものを見たの
それだけで十分なのよ
それ以上欲しがるのは欲張りだわ
自分が何者かもわかったし、
これからどんな人間になっていくかも分かってる
すべてが見えたから、もう他に見たいものなどないの

男性:
君は全てを見たんだね
そして君が見たもの全てを
君の小さなスクリーンに映し出しているんだね
光と闇 大きなものと小さなもの
心の中に刻みこんで
君にはもう何も必要ないんだね

君は自分が何者かわかったし
これからどんな人間になっていくかも分かってる
すべてが見えたから、もう他に見たいものなどないんだね……

107 Steps (処刑台への歩み)

こちらは、独房から刑場へと向かうシーン。
恐怖で歩けなくなるセルマと、彼女を励ます看守。
いつしかセルマの頭の中で、ステップを刻む美しいミュージカルが始まります。
哀しくも、夢の広がるような、素晴らしい旋律です。

物語は、リアルな絞首刑の場面で幕を閉じます。
ビョークの絶叫があまりにリアルすぎて耳を塞ぎたくなる人もあるかもしれません。
私もいろんな「お涙頂戴」の映画を観てきましたが、映画館で嗚咽を漏らしそうになったのは、この作品が最初で最後です。

New World (セルマの昇天)

こちらはラストシーンから続くエンドクレジットで流れる曲です。
まるで天使のように天国へと舞い上がっていくセルマの姿が目に浮かぶようで、実に感動的。
サウンドトラックである「セルマソングス」の中で、私が一番好きな曲です。
これ、自分の葬式の時にかけてもらってもいいかな……と思うぐらい。
歌詞も素晴らしいです。

"New World"

Train-whistles, a sweet clementine
Blueberries, dancers in line
Cobwebs, a bakery sign

Ooooh - a sweet clementine
Ooooh - dancers in line
Ooooh ...

If living is seeing
I'm holding my breath
In wonder - I wonder
What happens next?
A new world, a new day to see

I'm softly walking on air
Halfway to heaven from here
Sunlight unfolds in my hair

Ooooh - I'm walking on air
Ooooh - to heaven from here
Ooooh ...

If living is seeing
I'm holding my breath
In wonder - I wonder
What happens next?
A new world, a new day to see

汽車の汽笛 甘いクレメンタイン(みかん)
ブルーベリーに ラインダンスの踊り子たち
クモの巣と パン屋の看板と

ああ、甘いクレメンタイン
ラインダンスの踊り子たち

生きる限り 見つめるわ
息をのんで

ああ、この次は何が始まるの?

新しい世界と新しい日々が
目の前に広がるのね

私はやわらかに空気の中を歩くの
ここからが天国への入り口なのね
私の髪から日の光が放たれるわ。。。

【映画評】 作り手がテーマを回収しない、異色作

今、パンフレットや映画誌が手元にないので、うろ覚えになりますが・・

セルマ役を探していたラース・フォン・トリアー監督が、ビョークに白羽の矢を立てたのは、ビョークが歌い踊るミュージックビデオがきっかけだそうです。
それまで、構想はあったけれど、具体的にセルマのイメージが掴めず、たまたま流れてきたビョークのミュージックビデオを観た時に、「これだ」と閃き、出演交渉に行った……というようなエピソードが語れていた記憶があります。

具体的に脚本が進んだのも、セルマ役がビョークに決まってからで、いわば、ビョークの為に作られた、ビョークを見せる映画、という感じです。

大ヒット後、第二作、第三作を希望する声もあったようですが、ビョークは「映画の出演はこれが最初で最後」と言い切り、これ以降は、映画やドラマには一切出演していません。

これもパンフレットにあった話ですが、撮影の途中で、ビョークと監督が脚本をめぐって大げんかすることもあったそうです。

ビョークが「こんなの、セルマじゃない。セルマは絶対にこんな考え方はしない」みたいに、怒って、撮影現場を飛び出したこともあったそう。

それくらい役になりきっていたわけですね。

実際、ビョークの演技は素晴らしいし、ビョークなしに、これほどのミュージカル作品には仕上がらなかったと思います。

それだけに、脚本がいまいちスッキリせず、救いも悦びもない展開に、うんざりした観客も多かったのではないでしょうか。

私が鑑賞した時も、涙半分、ぽかーん半分で、ロビーの雰囲気も異様でしたよ。

それぐらい、大勢があのエンディングにショックを受けたという事です。

それでも、当時、映画・音楽愛好家の間では大変な話題でしたから、私もいろんな映画評を目にしましたけども、当を得たレビューを書いている人はほとんどなく、それゆえに、私の記憶にも、ほとんど残ってないという感じです。

私も含めて、この作品に、的確なレビューを書ける人など、少数派でしょう。

あえて言うなら、感覚系作品とでもいうのですか。

ただ、事実を淡々と見せて、気持ちの処理は観客に丸投げする。

そういう類いの作品だと思います。

「どうにでも好きに解釈してくれ、だが、現実はこうだからな」という、監督の開き直りの中に、ビョークの素晴らしい演技があって、ビョーク自身も、「この映画は、こんな風に見て欲しい」という期待はしてない、という感じ。

それって、ある意味、ズルイと思うのですが、『作り手がテーマを回収しない作品』も、あってもいいと思います。

その違和感を差し引いても、ビョークの演技は一見の価値がありますから。

間違っても、何度も、何度も、繰り返し観たくなる種類の作品ではないですが、一度は見ておいて損のない映画だと思います。

『セルマソング』 ライナーノーツより

ここ数年、たしかに彼女はつかまりにくかった。アルバム『ホモジェニック』をリリースして以降、取材のオファーは数知れず、ようやくつかまえてみると、そこはスコットランドの山奥で、彼女とつながっている電話は衛星を介した携帯であって、そこで彼女は「いま長編のスコアを書いているの」とか言うのである。

漏れ伝わってくる情報もほとんど途絶え、一次は隠遁してしまったかといぶかしんだビョークの動向。

一度こうと決めたらてこでも動かない、そして興味のあることなら寝食も世間の状況もすっかり忘れてそのことに没頭してしまう性向を知るだけに、なんの前触れもなく自身だけのクリエイティブに棲むことになっても、不思議ではないと思っていた。

ところが、ようやく分かった。 ≪中略≫

デンマーク出身の監督ラース・フォン・トリアーによる映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。

カトリーヌ・ドヌーブ、デヴィッド・モース、ペーター・ストーメアらが共演したこの映画……というか、はたしてこれは映画といっていいのだろうか。

というのも、これは問題と演技というものによって支えられたいわゆる映画ではたぶん、ない。

むしろ、感情というものを極限まで追い込んださきでどのような至福をひとは奏でることが出来るのか、そういう人体実験のごときものだけが筋としてあり、そしてそこでは演技というものは有り得るはずもなく、ただありのままに襲いかかった状況のすべてを抱え込んだ叫び声だけが発せられるからだ。

そして、たぶん、ラース・フォン・トリアーという、これまでも人間の感情の最果てを描いてきたこの希代の監督が野望したのは、この世でもっともイノセントで、だからこそ混じるもののなき感情に前生命を賭けることのできる唯一の歌い手、ビョークという存在を発見したその瞬間に、このミュージカルというか魂の歌の記録の実験に踏み出したのだろう。

主人公セルマが故あって人を殺さざるをえない状況に陥った。そのシーンを撮る前に、ラースはセルマ役であるビョークにこう言ったそうである。

「こいつはとても悪いやつなんだ。いま君がここで彼を殺さなきゃとんでもないことになる」。

そして殺人が終わったあとで、ラースは彼女にこう囁きかけたのだ。

「君はなんてことをしでかしたんだ。いま君が殺したのは君の1番の友人だったんだぞ!」

ビョークを少しでも知る者であるなら、こんな言葉が彼女にどれほどの揺さぶりをかけるものか、わかるだろう。

そして、そのあとで、彼女がどんな歌を歌ってしまうのかも。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とは、そんなおそろしい映画として企図され、そしてそれはビョークという奇跡的な存在によって壮大かつ苛烈な実験記録として成立してしまった映画なのである。

しかしながらすべてが肯定されてしまっているかのようなこのスコアを書いたのはビョーク自身。アルバム中唯一のインストゥルメンタルながら、まさに「ダーク」である空間に音楽だけが許されている=ダンスしているという、映画自体のテーマそのものを暗示する秀逸な暗喩としても機能している。

ライナーノーツ cut / rokin'on 宮嵜広司

映画『レオン』とビョークの挿入歌

ビョークの映画音楽といえば、リュック・ベンソン監督の『レオン』の挿入歌、「少年ヴィーナス(邦題)」こと、『Venus as a Boy』が非常に有名です。

安ホテルに逃れたレオンとマチルダが、新しい共同生活を始める場面のBGMとしてかかっています。
(4分ぐらいから)

ベンソン監督は、ビョークのこの曲を初めて聴いた時から、「いつか映画に使いたい」と思い続けていたそうです。

オリジナルの歌詞とフィーリング訳はこちら。
映画のイメージと異なり、けっこうセクシィな内容です。

his wicked sense of humour
suggests exciting sex
his fingers focus on her
touches, he's venus as a boy

he believes in beauty
he's venus as a boy

he's exploring
the taste of her
arousal
so accurate
he sets off
the beauty in het
he's venus as a boy

he believes in beauty
he's venus as a boy

彼のお茶目なユーモア・センスが 
イカしたセックスをしようと言ってるわ
彼の指先が 彼女の肌の感触に集中している
彼は少年のようなヴィーナスなの

彼は「美」というものを信じている
彼は少年のようなヴィーナスなの

彼は 彼女が悦びに目覚める様を 
探って楽しんでいるわ
ええ確かに 彼女は感じてる
彼は興奮して 解き放つ

彼は少年のようなヴィーナスなの

彼は「美」というものを信じている
彼は少年のようなヴィーナスなの

イメージとしては、

「好奇心旺盛な彼と、彼によって悦びを知る彼女との、ロマンティックでスリリングなセックスの情景」

という感じでしょうか。

それが少女マチルダと殺し屋レオンの同棲の始まりに流れるのですから、ベッソン監督は、二人が常識や立場を超えた恋人同志であることを表現したかったのかもしれません。

エンディングで使われたスティングの歌曲『シェイプ・オブ・マイ・ハート』に関連する記事はこちらです。

スティングの大人のラブソング 『It's probably me』&『Shape of my heart』

DVD・CD・Spotifyの紹介

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のサウンドトラック盤――と銘打たなかったところにビョークの並々ならぬ思い入れを感じます。
上記で紹介した3曲はもちろん、プレス工場で踊られる労働者たちのダンスや、裁判所を舞台にしたミュージカルなど、どれも珠玉の出来映え。
「映画は見てないけど、このCDは買った」という人も多いはず。
これ1枚でビョークの実力とカリスマ性が感じられる、完璧なアルバムです。
amazonにアップされている秀逸なレビューを追加。

セルマソングス
セルマソングス-ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク(紙ジャケット仕様)
ビョークのアルバムを紙ジャケット&SHM-CDでリリース。 2000年カンヌ映画祭パルム・ドール/最優秀主演女優賞受賞/ビョーク自らが主演した映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のサントラ。レディオヘッドのトム・ヨークや、カトリーヌ・ドヌーブとのデュエットほか、流麗なストリングスが美しい。

ラース=フォン=トリアーは稀有な種類の映画監督です。
映画以外に自分の伝えたいものをよりダイレクトに表現する方法があるとわかれば、すぐにでも映画を捨てて新しい世界で苦悩することを選ぶ人です。
わかりにくいかもしれませんが、映画に命懸けな人だということです。
そんな人がミュージカルを撮ろうとし、ビョークに音楽の提供だけを依頼しました。

ビョークも歌手として独自のポリシーを貫く人です。
感情移入しているうちに“セルマ”になってしまったことは容易に想像がつきます。
映画は2つのエゴが対立する結果になりました。

つまり、監督と女優の双方が作品に対しての独自のアプローチで完成を目指したわけです。普通、どちらかがコントロールする側になるんでしょうけれど、ミ!ュージカルという形式が奇跡を生んだのでしょう。
素晴らしい映画となっています。

筋や演出には評価もいろいろあるでしょうけれど、音楽が持つ強さをこれほど表現した映画は少ないです。たぶんこれ以上はドキュメンタリーという分野でしかありえないと思います。

長くなりましたけれど、サントラとしては最高の一品です。アイヴ・シーン・イット・オールを聞くたびに、震えます。映画のエッセンスが半分以上入っていると思います。

「Venus as a Boy」は、『Debut』という初期のアルバムに収録されているのですが、ファン投票により、最近のベスト盤にも再録されています。
聞き慣れないうちは違和感を感じるかもしれませんが、魅力が分かれば取り憑かれること必至。
個性と哲学を感じさせる、筋金入りのアーティストです。

Debut ~ビョーク (amazonストア)

【映画コラム】 美輪明宏とダンサー・イン・ザ・ダーク

私は美輪明宏さんが好きで、よく舞台やトークライブに出掛けるのだけど、一番意外なのが、会場に若い女の子の姿が非常に多いという事だ。美輪明宏の公演なら、四十代から六十代ぐらいの中高年女性が主流と思っていたのだが、会場はいつも若い女の子の熱気でムンムン。SMAPのコンサート会場にも似た雰囲気だ。プレゼントの花束や手紙を抱えた人も多い。

美輪明宏といえば、歌も演技も素晴らしいが、何といっても味があるのがトークだ。人生の酸いも甘いも噛み分けて、宇宙の深奥まで覗き見たような、そんな濃厚な話をたくさん聞かせて下さる。もちろん真面目一辺倒ではなく、時にジョークあり、毒舌ありで、会場には笑いが絶えることがない。その様を見ていて、つくづく思う。「若い子達も、こういうものを求めているんだなあ」って。

美輪明宏さんの言葉には、他の人からは到底感じられない味があり、真実があり、ドラマがある。そして、人は、道を正し、高い次元に導いてくれる何かをいつの時代も求めているのだ。たとえ表面は無関心を装い、突っ張っていても。

美輪さんの言葉に耳を傾ける若い女の子達の姿を見ていると、「この子達も不安なんだなあ、迷っているんだなあ」と、つくづく思わずにいない。人はいつだって本物に吸い寄せられる。彼女らだって教えて欲しいのだ。何が正しくて、何に価値があるかを。

音楽も映画も文学も「儲かればいい」という商業主義がばかりが先行し、私の目から見れば、本当に価値あるもの、次代に受け継がれるべきもの、大切にしなければならないものが、非常にないがしろにされているような気がするのだが、人はまだまだ“本物”を求めている。表面では流行ものを追い掛けていても、心の奥底では、魂を揺さぶるような価値あるものや美しいものを欲しがっているという事を実感する。

だけど提供する側は、余り分かってないような……。先日、新聞の映画コラムを見ていて、びっくりした。今、着実に観客を集めている、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だが、配給会社は、「こんな作品はどうせ当たらない。ロードショー向きではない」と見切っていたそうだ。

視力を失いつつある女性の悲劇的な結末を描いた『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、好き派嫌い派が両極端に分かれそうな個性的な作品だが、久しぶりに腰が抜けるほど感動した私としては、「こんなもの当たらない」と見切っていた配給会社の感性をちょっと疑ってしまう。というより、「観客を舐めるな」という気持ちだ。

もし、大衆が、大掛かりなアクションや過激なSEXシーンなど、派手な演出ばかりを追い求めていると思い込んでいるとしたら、それはとんでもない読み違いと思う。大衆はそこまで浅はかではないし、いつもいつも実のないショーに拍手するほど盲目でもない。どこの評論家が勿体付けて採点しようと、本当に価値あるものが何か分かっているし、本物を求める気持ちも少しも薄れていない。むしろ提供する側こそ、商業主義にかぶれて、人間の自然な希求や高次な感情に対する認識が鈍磨しているのではないかという気さえする。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は配給側の読みを大きく裏切って、確実に観客を動員し、主演ビョークの歌うサントラ盤も好調な売れ行きを示している。派手な仕掛けも濡れ場もない、ただ人間のあふれるがままの感情をビョークという素晴らしい歌い手に託して描いたこの個性的な作品が、多くの観客の支持を集めている事実を思うと、『本物志向』は今後も根強く生き続け、本物の作り手を底辺から支えてくれるような気がする。

ところで──先の美輪さんのトークライブだが、質疑応答のコーナーがあり、勇気を出して手を挙げたら、目に留まって、美輪さんとお話することができた。私が質問したのは、「どうしたら、迷いなく、自分のスタイルを貫けるか」ということ。それに対し、「自分は自分で信じるもの。強くなりたいという気持ちがあれば、誰だって強くなれる」というようなお答えが返ってきた。その後、握手して、お手紙を渡した。大きくて、温かい手だった。

興味のある方は、一度、舞台をご覧になって下さい。「王子」こと及川光博サマと共演の『毛皮のマリー』も良いけれど、来年公演予定の『黒蜥蜴(江戸川乱歩 作)』は超必見ですヨ。

初稿 2007年6月21日

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この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO Author

作家・文芸愛好家。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚の小説を手がけています。東欧在住。作品が名刺代わり。Amazon著者ページ https://amzn.to/3VmKhhR

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