もし、僕が突然死んだら、この曲のように僕を思い出して
YouTubeのコメント欄に書き込まれた言葉。
海の向こうでも、人が感じることは同じなのだな、と強く印象に残った。
確かに、わあわあ嘆き悲しまれるより、折に触れ、しみじみ思い返してもらう方がいい。
どこかであつらえたような弔辞より、その方がよほど魂の慰めになる。
そして、できるなら、こういう美しい曲のように思い出になるよう、生きられたらいいのだけども。
If i suddenly die, remember me as this music.
このコメント書いた人と一緒にお茶でも飲みたいものダ。
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コメントが残されていたのは、ジャズピアノの詩人、ビル・エヴァンスの奏でる『Love Theme From Spartacus(スパルタカス 愛のテーマ)』。
この曲については、壊れそうに美しい『Love Theme from Spartacus(スパルタカス 愛のテーマ)』 でも取り上げています。
※ 残念ながら、該当の動画は削除されたので、こちらの演奏をどうぞ。
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私が儚いものに憧れるのは、それとはまるで無縁の生き方をしているからだ。
「死ぬ、死ぬ」と言いながら、絶対に死ぬことがない。
心を切り裂くような悲しみより、生への執着の方がはるかに強い。 (格好よく言わせてもらえば、パッション)
できれば、恋の溜め息に埋もれて息絶えたかったけど、失恋ぐらいで人間は死ななかった。
腹が減ったと起き出しては、コンビニの100円おにぎりなど頬張っている。
この食欲がある限り、この世のどんな苦難も、私を完全に打ちのめすことはできない。
ある意味、死ぬほど嘆くのも勇気が要るのだ。
多くの人は、”それでも” 生きようとするから。
心が折れた時でさえ、1億円は魅力的だ。
「スターにしてやる」と言われたら、この世に何の未練もないはずの人でも一念発起するだろう。
その点、死に急ぐ人は、もはやこの世にも、自分自身にさえも、何の価値も見出すことはない。
本当に、影か何かのように、あっさり死んでしまうことが出来る。
それもまた一種の勇気かもしれない。
欲もエゴも離れて、自分の感情に純粋になれる、という点で。
*
もし、僕が突然死んだら、この曲のように僕を思い出して。
この世に記憶する人が在る限り、その願いは叶うだろう。
でも、いつかは、その人達も亡くなる。
僕を偲ぶ人は、この世から完全に消えて無くなってしまう。
だとしても、今、ここに生きていることが無意味だとは思わない。
僕は、まさに、この世のすべて──
痛みも、悲しみも、
この世の全てを味わうために生まれてきたのだから。
命あるうちに、たくさんの美しいものと出会いたい。
そして、もし僕が突然死んだら、
不器用だったけど、魂の世界では幸せだった僕のことを、この曲のように思い出して欲しい。
CDとSpotifyの紹介

ビル・エヴァンスのイイトコどりのオムニバス盤。
Spartacus: Love Themeが収録されてます。
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