君も囚われのプレイヤー 押井守の映画『アヴァロン』

君も囚われのプレイヤー 押井守の映画『アヴァロン』
記事について

凄腕のゲームプレイヤー・アッシュはオンライン戦闘ゲーム『アヴァロン』の深部に入り込み、驚愕の事実を知る。仮想現実を舞台にした作品の魅力を『意識』と『認識』の両面から解説。ポーランド語の主題歌『ログオフ』の日本語訳や作中に登場する小物について画像付きで紹介しています。

目次 🏃

映画『アヴァロン』 あらすじと見どころ

アヴァロン(2001年) - Avaron

監督 : 押井守
吹替え : 財前直見(アッシュ)、日下武史(ゲームマスター)、木下浩之(マーフィー)、大塚明夫(ビショップ)、山寺宏一(スタン名)

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あらすじ

オンラインゲーム『アヴァロン』では、プレイヤーが仮想現実空間に入り込み、単独、もしくはパーティを組んで、戦闘を繰り広げていた。勝者には報酬が与えられ、凄腕プレイヤーのアッシュもその一人だったが、ある時、ビショップと名乗る謎の男が現れ、彼女を挑発する。
アッシュは、かつて最強といわれたパーティー『ウィザード』の元メンバー、スタンナと再会し、かつてのリーダー、マーフィーがクラスAのステージに現れる隠れキャラクター『ゴースト』を追って、ゲームから抜け出せなくなり、『未帰還者』となったこと。現実社会においては、廃人となり、病院で寝たきりになっていることを聞かされる。

アッシュは、スタンナ、ビショップと組んで、クラスAをクリアし、『ゴースト』に遭遇するが、その次に現れたのは、「Welcome to Class Real」の文字と、リアルな現代の世界だった。
一体、アヴァロンとは、何なのか。
アッシュは、現実世界に帰還することができるのか……。

見どころ

ポーランドを舞台に、ポーランド人の役者を使い、ポーランド語で展開する異色のアニメ・ドラマ。
映画『マトリックス』もそうだが、ゲームの世界はセピア色、現実社会はリアルなヴィヴィッドカラーと、色で世界観を表しているのが印象的。
『攻殻機動隊』で、人間とは記憶の集積であると説いた押井氏が、本作では、「現実とは何か」を説いかけており、近未来のメタバースへの警告と考えれば興味深い。
メタバースがいっそう普及すれば、いずれ本作も見直されるかもしれないので、興味のある方はぜひ。
本作は、吹替え版で見た方が分かりやすいと思う。声の演技も素晴らしいです。

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アヴァロンと現実社会とメタバース

ポーランド語の歌詞から読み解くアヴァロンの世界観

押井氏の作品は全て見たわけではないが、今のところ、ぶっちぎりで『アヴァロン』が好きです。

主演のマウゴジャータ・フォレムニャックのクールな顔立ちもいいけど、日本語吹替えを担当している財前直見さんの乾いた喋りがBGMとしても非常に心地よい。
Wikiのお写真を拝見すると、「アッシュ」のイメージとまったく異なり、よくこんな、はんなりした、優しい感じの女優さんが、あんなサイバーパンクな役柄を演じられたものだと、つくづく感心する)。

押井氏のコアなファンに言わせたら、「パトレーバーの方が上」「うる星やつらのビューティフルドリーマーが最高傑作」等々、いろんな意見があると思うが、私にとっては、『アヴァロン』がベスト。

amazonレビューで何人かが書いておられるが、「押井守の最高傑作」「アヴァロン>>攻殻」というのも解るような気がします。

加えて、川井憲次のサントラが素晴らしい。

特にテーマ曲『Log in / Log off』は白眉のもの。

しかし、大編成の合唱に加えて、録音ではエコーがかかっている為、本場ポーランド人でも歌詞が聞き取りにくい。

実際、なんと歌っているのか、僭越ながら、ここに紹介します。

アヴァロンの日本語訳およびポーランド語歌詞のリンク元。(川井憲次氏のオフィシャルサイト)

日本語訳 http://www.kenjikawai.com/avalon.html

ポーランド語歌詞 こちらのページにリンクがあります。

Log off http://www.kenjikawai.com/logoff.pdf
Voyage to アヴァロン http://www.kenjikawai.com/voyagetoavalon.pdf
Voyage to アヴァロン (Orchestra ver.) http://www.kenjikawai.com/voyageorche.pdf
Log in http://www.kenjikawai.com/login.pdf

Log off / Log in の日本語読み

ポーランド語の日本語表記は専門家でも意見が分かれるところです。
日本語では置き換えられない発音もたくさんある。子音だけの「シ」とか。

あくまで参考としてご覧下さい。

小文字はストレートに翻訳した場合です。
私も専門じゃないので、おかしい部分はあるかもしれませんが。

ちなみに Życie=Life 、 jest=is の意味です。

Life is wonderful adventure, Life is wandering in storm ・・のようにイメージすれば分かりやすいかと。

Życie jest wspaniałą przygodą
じっちぇ ぃえすと ふすぱにゃょん ぷしごどん 
人生は素晴らしい冒険

życie jest wędrówką wśród burzy
じっちぇ ぃえすと う゛ぇんどるふこん ふしると ぶじ
人生は嵐の中の放浪

życie jest Niezwykłą podróżą
じっちぇ ぃえすと にえずうぃくうぉん ぽどるじょん
人生は非日常的な旅

życie jest wędrówką wśród wielu burz
じっちぇ ぃえすと ふしると う゛ぃえる ぶじ
人生は大きな嵐の中の放浪

アヴァロン Spełnione marzenie
あう゛ぁろん すぺうにょね まじぇにぇ
アヴァロン 願いを叶える

ujrzysz ląd zasnuty mgłą ranną
うぃじしゅ うぉんと ざすぬてぃ むぐうぉん らんにょん
朝霧の中に眠る大陸が現れる

アヴァロン kraina tajemnic
あう゛ぁろん kらいな たいぇむにつ 
アヴァロン 秘密の国

Poznaj swój prawdziwy アヴァロン
ぽずない すふい ぷらうじう゛ぃ あう゛ぁろん
真実のアヴァロンを知る

公式サイトを見ても分かるように、押井氏は下記のように謳っておられる。
でも、これをそっくりポーランド語に置き換えるのは難の業。
「輪廻」なんて概念からして無いし、ポーランドはカトリック教国なので。

 輪廻
   定めし魂は
   輪廻
   天から降り
   輪廻
   神のみが知る
   輪廻
   誕生を祝う

A’ 輪廻(アヴァロン)
   汝の魂は
   輪廻
   再び天へ
   輪廻(アヴァロン)
   神のみが知る
   輪廻
   誕生を待つ

メタバースは逃避の空間なのか?

ポーランド語の翻訳担当も、相当に苦労されたと思います。

日本人同士でも、この世界観を分かち合うのは難しい。

たとえば、ラスト、アッシュとマーフィーの対決の場面で、作品の核となる台詞が登場します。

アッシュ
「そしてあなたは決めた ウィザードの敗北を
仲間を捨ててまで あなたが成し遂げたかったことは
病院のベッドで未帰還者として植物人間になることだったの」

マーフィー
「オレのどこが廃人だ 
クラス・リアルで分かったはずだ
世界とは自分の思い込みに過ぎない、ちがうか
ここが現実で、どんな不都合がある?」

アッシュ
「自分にそう言い聞かせてるんだとしたら、それが逃避じゃないの」

「世界とは何か」という問いかけに対し、ポーランド語では

świat jest taki,
シュフャト イェスト タキ

jaki nam się wydaje, że jest !
ヤキ ナム シェン ヴィダイェ、ジェ イェスト !

直訳すれば、「世界とはかくの如し、君が見たまま(感じたまま)、そのものだ」。

World is as you feel, you see, you think ...

みたいなニュアンスです。

たとえば、皆さんがメタバースで遊んで、メタバースの方が、現実世界より心地いいと感じるなら、いずれ、メタバースの方が「自分の現実」と認識するようになるでしょう。

実社会では、冴えないアルバイトの下働き。

でも、メタバースでは、ファッションに詳しい、お洒落なコンシェルジュとして活躍しているなら、自分にとっての現実はメタバースの方です。

実社会では、容姿や肩書き、生まれ育ちの格差から、せいぜいアルバイト止まりでも、メタバースのように、制約のない、フラットな世界では、実力が正当に評価されるなら、皆、そちらを選びますよね。

そういう人に対して、「いや、それは本当の現実じゃない。君は仮想空間で遊んでいるだけだ」と言い聞かせても、何の説得力もないでしょう。

凄腕ゲーマーのアッシュやマーフィーも同じ。

実社会では、しょぼいオッサン、オバハンかもしれない。

でも、『アヴァロン』(ゲームの世界)では一流だし、報酬も得てる。

となれば、彼らにとって現実とは『アヴァロン』であり、自分たちが「世界」と認識するものが、現実なのです。

しかしながら、ゲームの世界は、所詮、人の手によって作られた仮想社会でしかない。

その根っこは、ゲーム会社にあり、現実社会にあります。

ゲーム会社が倒産すれば、ゲームの世界も消えてなくなるし、プログラマーが仕様を変えれば、ルールも変わります。

アッシュやマーフィーがどれほど凄腕のプレイヤーであろうと、彼らを実質支配しているのはゲーム会社であり、現実社会においては、何の意味もないわけですね(アッシュもマーフィーも単なる課金プレイヤー)

しかし、マーフィーはそのカラクリに気づかず、ゲームの隠しアイテムである『ゴースト』を追いかけて、とうとう、現実社会では廃人になってしまいました。

それでもなお、ゲームの中で意識は生き続け、「ここがオレの現実だ」と言い張っています。

そこでアッシュの台詞、「自分にそう言い聞かせてるんだとしたら、それが逃避じゃないの」が効いてくる訳ですね。

仮想現実と現実社会の廃人

締め切り大堤防(アフシュライトダイク)とコルネリス・レリーの偉業 ~世界は意思の表象にも書いているように、世界とは、自分の意思の表れであって、世界そのものに実体はありません。

こうした考えは、仏教の『色即是空・空即是色』に似ています。

色とは、これすなわち空であり、空とは色である。

元々、空であるものに色を付け、「世界はこうだ」と解釈しているのは、私たち自身です。

マーフィーが『アヴァロンこそ、我が現実』と思えば、そこが彼にとっての世界になってしまうように。

しかしながら、この考えの微妙なところは、「認識」と「思い込み」は、似て非なるもの、という点です。

認識とは、「桜が咲いた。もう春だ」「世の中辛いことばかり。でもいい出会いもある」みたいな解釈です。

物事が変われば、認識も変わるし、認識そのものに、“これ“といった形はありません。

その点、思い込みは、本人にとって絶対です。

「あいつは悪い奴だ。絶対に許さない」「世界はクソだ。滅びた方がいい」と何でも決めつけ、そこから動こうとしないので、どんどん悪い方に傾いていきます。

マーフィーの場合、認識というより、「思い込み」ですね。

アッシュが、アヴァロンに囚われた自分自身を疑い始めているのに対し、マーフィーはこれが現実と決めつけ、テコでも動こうとしない。

アッシュはいつかアヴァロンの罠から抜け出すかもしれないが、マーフィーは一生廃人のまま、自分が何所で、何をしているのかも分からぬまま、肉体の死と共に、ゲームの中からも失われていく。

そう考えると、『ゴースト』という隠れアイテムは、ゲーマーをより長く、より深く、ゲーム世界に繋ぎ止めるための詐欺的トラップで、そこにゲーム会社の良心などありません。

にもかかわらず、ゲーム会社の作り出したアヴァロンこそ現実、と思い込んでいるとすれば、それこそ不幸でしょう。

押井氏がどこまで計算して、映画の企画を立てたかは分かりませんが、来るべきメタバースの時代を見越して、この脚本を書いたとするなら、大したものだと思います。

そして、いずれ、マーフィーみたいな、「現実社会では廃人」みたいな人が増えてくるのかもしれません。

それは、もしかしたら、従来のゲーム依存やスマホ依存より、もっと恐ろしいかもしれない。

もはや仮想現実なしに、自分の人格を保持することさえ難しいのですから。

同じように、仮想現実を描いた作品に、スティーブン・スピルバーグの『レディプレイヤー』がありますが、あちらが現実社会の仲間との関わりを通して、大企業の思惑に打ち克つのに対し、『アヴァロン』はとことんダークで、救いようのない世界です。

現実と、メタバースと、上手くバランスを取れるほど、人間は強くないし、結局は、セルフコントロールできる優れた人間だけが双方で生き残る、いっそうの弱肉強食になるかもしれません。

ゲーム会社の方が、凄腕プレイヤーより、はるかに利口です。

さて、あなたはアッシュ派でしょうか? それともマーフィー派?

【画像で紹介】 アヴァロンの美術とポーランドの町並み

アヴァロンに登場する小物は実際にポーランドで使われている

私が映画『アヴァロン』を知ったのは、ポーランドに移住して間もない頃、オタクの知人から、「押井さんの新作、ポーランドで撮影されたんよ。撮影現場にファンが殺到して、凄かったらしいで」と聞かされたのがきっかけです。

知人の話によると、押井氏が『ポーランド』を選んだのは、世界中の何百という言語を聞き比べ、アヴァロンの世界観にもっともマッチしたのがポーランド語だったから……だそうです。

ちなみに、制作当時のポーランドはEU加盟前で、地方では青年海外協力隊も活動していました。日本では『経済後進国』に分類されていたからです。

しかし、EU加盟後は著しい経済成長を遂げ、大都市も見違えるように発展しました。

平均給与も、以前は月収3万みたいな貧困国でしたが、今では都市部のサラリーマンなら10万円を越えるようになり、ミリオネアも爆誕しています。

一方、地方は、まだまだ遅れていて、低所得層も多いです。

共産主義時代の建物がそのまま残っており、道路も公共施設もガタガタ、さながら現代の『中つ国(ミドルアース)』みたいです。

それゆえ、2001年、世界に誇る日本のアニメーター、押井守監督が新作の舞台にポーランドを選び、ポーランド語のアニメを作ってくれたことは、貧困に喘ぐポーランドの若者――とりわけ、ITによって、母国を興隆したい情報工学系の学生にとって、大いに励みになりました。

押井氏がポーランドの『ポーランド日本情報工科大学(ワルシャワ)』に公演に訪れた際には、多くの若者が熱狂して迎えたと言われています。

私もポーランドに移住した頃、IT会社の若い人に、「アヴァロン、アヴァロン」と毎日のように聞かされて、「そんなに凄い映画なの?」「そうだ、全編、ポーランド語なんだ、あの押井守がポーランドで映画を作ってくれた」みたいなノリで、いかに当時のIT系の若者に希望を与えたか、お分かり頂けるのではないかと思います。

その甲斐あって、2022年現在のポーランドは、欧米諸国に勝るとも劣らないIT国ですし、金融、教育、医療、行政など、IT系のインフラも日本よりはるかに充実しています。むしろ日本の方が遅れてるくらい。恥ずかしいですね。押井守の国なのに(^_^;

ちなみに、当時のIT系若者が湧いたのは、ビル・ゲイツの視察も大きいです。ポーランドから米国に働きに来る若者があまりに優秀なので、一体どんな教育をしているのかと、あのビル・ゲイツがわざわざ視察に来たのだから、そりゃもう、教育者も学生も鼻高々です。まさにIT大国への道は1日で成らずです。

さて。

アヴァロンにおいて、ポーランドはどのように描かれているでしょうか。

アッシュが調理する米は、ポーランドの有名なメーカー、SONKOのRyż(米)です。私も時々買っています。

映画 アヴァロン ポーランドの手料理を作るアッシュ

キャベツは Kapusta włoska(カプスタ ヴウォスカ) 。日本のキャベツと違い、シワシワのパサパサ。日本人にはあまり美味しくないです。

映画 アヴァロン Kapusta-włoska カプスタ・ヴオスカ

この肉はUdziec wołowy(ウジェツ ボウォヴィ)ですね。いい牛肉を使ってます。

映画 アヴァロン ウジェツ・ボウォヴィ ポーランドの牛肉

Piastはスポンサーかしら。それとも押井監督のお気に入り?

映画 アヴァロン 映画アヴァロンに登場するビール Piast

共産主義時代に建てられた古いアパートのキッチン、本当にこういう雰囲気です。
階段や通路も映画のまんまです。
今はみなIKEAでお洒落な家具を買い揃えて、北欧風や南仏風にリフォームしてますけど。

映画 アヴァロン 現実に忠実なポーランドの調理場

こういう食堂も、共産主義時代の公共施設に行くと、たくさん残っています。
日本に居る時に見ていたら、「へー、異次元っぽい演出だなー」と思ったかもしれませんが、現実もそのまんま。
「演出ちゃうねん、日常やねん」
我が町の市役所や病院の内部の写真をセピア加工したら、アヴァロンの世界になります。

映画 アヴァロン 現実のポーランドにそっくりな調理場

これを見て、「演出」と思わないで下さい。地方では、まだまだ多くの病院がこんな感じです。
私も陣痛中、廊下で寝ていました。

映画 アヴァロン 現実そのままのポーランドの病院

【コラム】 君も囚われのプレイヤー

他のファンも書いておられるように、押井作品の魅力は『どんな風にでも解釈できる』という点です。

だから、アンチが見ても、信者が見ても、何時間でも熱く語り合うことができる。

「この解釈は有りえん」「いや、そういう見方がおかしいんだ」

百人が見たら、百通りの解釈があり、誰もが一言、言わずにおられなくなります。

それがマニア受けする一方、「くどい」「難解」「自己満足」と批判の対象となり、宮崎アニメのように、誰もが親しみを感じる作品とは異なる点ですね。

*

アヴァロンの場合、オンラインで繰り広げられる『戦闘ゲーム』が舞台になっています。

これも、いろんな状況に置き換える事ができます。

当たり前のように通勤している会社。

当たり前のように所属しているコミュニティ。

当たり前のように暮らしている地方の町。

そこには”常識”とされるルールがあり、独特の価値観がある。

多くの人は、その場に馴染んで、疑うことも、立ち止まることもありません。

映画『マトリックス』のように、たとえそれが仮想現実だとしても、信じたくない人の方が大半でしょう。

何故なら、今、自分が所属する世界――正しいと信じる価値観を疑うことは、自分自身を否定することでもあるからです。

また、そこでは、日々、生存競争が繰り広げられ、勝者となるには、お金、能力、資格、学歴、容姿など、様々なアイテムが必要です。

経験値を上げ、ポイントを稼ぎ、次々にステージをクリアして、ゲーム仲間を出し抜くことが求められます。

そうして、最強の勝者になれば、自尊心は満たされるかもしれませんが、果たして、自分が正しいと信じているルールや価値観は、本当に『正しい』のでしょうか。

そもそも、あなたが認識する「自分」とは、本当の自分でしょうか。

もしかしたら、ゲームに煽られ、自分というものを見失っているのではないでしょうか。

*

この現実を「ゲーム」、君自身を「プレイヤー」に喩えるなら、君はポイントを稼いでゲームを攻略し、さらなる上位ステージを目指して、躍起になってるプレイヤーです。

君はゲームの世界にすっかり馴染んで、何の疑いもなく戦い、長時間を消費するけれど、ゲームマスター(ゲーム会社)から見れば、単なるコンシューマー(消費者)に過ぎません。

自分たちが提供するゲームに金と時間を惜しみなく注ぎ込む、「いいお客さん」です。

ゲームマスターは言う。

クリアできそうに見えてクリアできないゲームと、一見クリア不可能と思えるが、その実、可能なゲームと、どちらがよいゲームか言うまでもない。その間の微妙な均衡の点を探し出し、プレイヤーの動機を維持する。それが私たちの仕事だ』(ビショップの台詞)

ゲーマーに対する思いやりも社会的責任もありません。

もっとのめり込め。人生を費やせ。

何もかも忘れて、ゲームに全てを注ぎ込むのだ。

そして、得するのは誰か。

ゲームマスター、ただ一人です。

*

アッシュも、マーフィーも、優れたゲーマーであり、自分自身で全てコントロールしているつもりでも、その実、ゲームマスターの手の中で、人生を無駄に消費するコンシューマーの一人に過ぎません。

最上位のAレベルをクリアしたアッシュに待ち受けていたのは、どれが現実で、どこまでがゲームかも分からない、衝撃的な結末でした。

同じように、君が信じるルールも、価値観も、ゲームマスターに都合よく書き換えられた筋書きかもしれません。

自分は優れたつもりでも、ゲームの中では、ゲームマスターに踊らされる、ゲーマーの一人です。

同じ価値観のゲーマーに囲まれて、ちやほやされていれば、ゲームマスターの策略に気づくこともありません。

競い、稼ぎ、勝っては、また競い、ついにはゲームの奥深くに入り込んで、ネトゲ廃人になる『未帰還者』はあなたです。

はたと気付けば抜け殻みたいになっているマーフィーの姿は、決してデフォルメではありません。

映画 アヴァロン ゲームの世界に入り込み廃人となったマーフィー

映画 アヴァロン 廃人となったゲーマーが植物状態で横たわる

世界とは何か。

それは『認識』の集大成です。

世界の中に自分が居るのではなく、自分が「こう思う」という解釈の中で、人は生きています。

ポストが赤だと思えば、それは赤色だし、電柱は曲がっていると思えば、全ての電柱が間違いに見えます。

そこに『実体』はなく、あなたが「こうだ」と認識しているものが、あなたにとっての『世界』です。

でも、時々は、そこから離れて、常識とされるものを疑ってみて下さい。

ゲームからログオフした時、自分が囚われのプレイヤーであることに気づくと思います。

映画『マトリックス』でも、『Unplug(アンプラグ)』という言葉で、自分が認識する世界から離脱することの重要性を示唆していました。

あなたがのめり込むゲームも、時々はログオフし、その世界観を疑ってみる必要があります。

疑うことを知らなければ、一生、囚われのプレイヤーです。

ゲームマスターにそそのかされ、ゲーム世界の強者を目指したところで、行き着く先は自分を見失った「未帰還者」です。

Welcome to アヴァロン の先にあるものは、自我の喪失かもしれません。

*

というような、左巻きの喩えも可能なのが、映画『アヴァロン』の魅力でしょう。

果たして、実体の「アッシュ」は何所に居るのか。

これもいろんな解釈があると思います。

とうにリアルのアッシュは失われて、意識だけがゲームの中を行ったり来たりしている、とか。(マーフィーと同じように、病院のベッドで廃人になっている)

あるいは、いくつものアカウントを使い分け、複数自我の世界を生きている、とか。

いずれにせよ、これからますますITの世界は面白くなるし、人間の意識も大きな変貌を遂げるでしょう。

いずれ生体からデバイスへ「意識(記憶)のコピー」が可能になり、「永遠の命」の時代が来ると私は予想しています。

初稿 2015年10月1日

誰かにこっそり教えたい 👂

Notes of Life

自己肯定感を高めたければ、誰かの役に立つのが一番の近道です。 いきなり人の中に入るのが怖ければ、小さな鉢植えでいいので、大事に育ててみましょう。 自分みたいな人間でも必要とされていることが分かれば自尊心も高まり、自信に繋がります。

この記事を書いた人

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚のSF小説を手がけています。看護師として医療機関に勤務後、東欧在住。石田朋子。amazonの著者ページ https://amzn.to/3btlNeX

Notes of Life

最初から日の当たる場所で歩き始める人はいない。 皆に理解されながら物事を始める人も。 始める時は、いつも一人。 考えるのも、一人。 行うのも、一人。 だからこそ達成の悦びもひとしおなのです。
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