思うように生きられなくても ~自分に与えられた環境を精一杯に生きる

思うように生きられなくても ~自分に与えられた環境を精一杯に生きる

某奥様系サイトを読んでいたら、次のような記述を見つけた。

ある新聞の調査によると、専業主婦をしたい人が兼業を余儀なくされ、外に働きに出たい人が専業を余儀なくされている」とのこと。

私も元記事を読んだわけではないので、実際はどうなのか分からないが、もしそれが本当だとしたら、世の中、上手く出来ているものだと思う。

何でも自分の思う通りになったら、この世に生きている意味など無いからだ。

家事と育児に専念したい人が、経済的理由、あるいは社会的責任から、外で働くことを余儀なくされ、外に働きに出たくてうずうずしている人が、就職先がない、子供の預け先がない、といった理由から、家に居ることを余儀なくされる。

自分の生きたい場所で、生きたいように生きられないとしたら、これほどストレスに感じることはないだろう。

「何のために生きているのか」「誰のための人生なのか」と、自分の生き方に懐疑的になるのも無理はない。

人にはそれぞれ目的があって、生きやすい場所がある。

そこから逸れることは、自分の人生にブレーキをかけられるのも同じ事だからだ。

だが、自分の生きたいように生きさえすれば、人は幸せになれるのだろうか

本当に、生きたい人生だけが全てだろうか

今は、「自分の生き甲斐」「自分の仕事」「自分の楽しみ」「自分の世界」……と、自分、自分が大流行で、自分の生きたいように生きられないことが、さも人生最大の不幸であるかのような言い方をする人もあるけれど、私は、思いがけない生き方にもそれなりの意味があると思う。

意味のないことなど、最初から与えられない。

もし無意味に感じるとしたら、それは自分が分かっていないだけではないか。

自分の思う通りにならないというだけで、「無意味」「無価値」と結論を下してしまうのは早すぎる。

「自分にはもっとふさわしい職場があるに違いない」と無目的に転職を繰り返したところで、何一つモノにならないだろう。

やむにやまれぬ事情から、自分の望まぬ生き方を余儀なくされたとしても、意味に気付けば、自分の望む生き方が全てではないことが分かってくる。

その意味に気付いて、自分に与えられた境遇を精一杯生きたなら、いつかは道も開かれるのではないだろうか。

Notes of Life

『汝自身を知れ』 ウサギがライオンに憧れて、ライオンの真似をしても、決して上手くいきません。 ウサギはウサギの群れと仲良くするから、友だちもできるし、身の丈にあった暮らしを楽しむことができます。 自分がウサギかライオンか、どちらかを知ることは、幸福の基本です。

この記事を書いた人

MOKOのアバター MOKO 著者

作家・文芸愛好家。80年代サブカルチャーの大ファン。アニメから古典文学まで幅広く親しむ雑色系。科学と文芸が融合した新感覚のSF小説を手がけています。看護師として医療機関に勤務後、東欧に移住。石田朋子。
amazon著者ページ https://amzn.to/3btlNeX

Kindleストア

ジャンルはSFですが古典的なスタイルの長編小説です。海外翻訳文学が好きな方に向いています。
サイトで気軽に試し読みできます。

📔 無料で読めるPDFサンプルはこちら

TOP
目次 🏃
閉じる