映画『アメリカン・スナイパー』は何のために死んだのか

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エンディングに込められたクリント・イーストウッドの思い

2021年8月31日をもって、米軍がアフガニスタンより完全撤収し、約20年に及ぶ戦争に終止符が打たれた。

事実上、米軍の敗北といわれ、NewsWeekの『アフガニスタン撤退は、バイデンの「英断」だった』とうい記事によると、「ろくな計画もない「テロとの戦い」の20年間で、世界全体で80万1000人が命を落とし(このうち33万5000人が民間人)、3800万人の難民が生まれ、アメリカは6兆4000億ドル以上の資金と人命を浪費した。」と。

タリバンの圧政や新たなテロを恐れ、カブール空港に殺到する人々や、彼らを狙った自爆テロの様子が連日報道される中、ベトナム戦争の『サイゴン陥落』に喩える声も多かったが、私が一番に想起したのは、クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』のエンディングだ。

2014年にアカデミー作品・音響編集賞をはじめ、国内外で高評価を得た本作は、実在の米軍スナイパー、クリス・カイルの壮絶な戦場体験とPTSD(心的外傷)、悲劇的な死を描いた迫真の戦争ドラマだが、本作の舞台はイラク戦争であり、アフガニスタンとは異なる。

それでも米軍の若い兵士が異国で戦い、多大な犠牲を払うシチュエーションは同様だ。

作品の解釈は二つに分かれ、「米軍のプロパガンダ」と揶揄する声もあれば、「戦争の生々しい現実を伝える現代の反戦映画」と肯定的に捉える人もあり、概ね、メッセージは正しく受け止められた印象がある。

Wikipediaによれば、「イーストウッド監督本人は、「『アメリカン・スナイパー』は職業軍人や、海軍の将校、何らかの事情で戦地に赴いた人々を描いている。戦場では様々なことが起こるという見方以外に、政治的な価値観は反映されていない。」とコメントしている」とのことだが、それでも監督の心が何所に在るかといえば、上記のエンディングを見れば一目瞭然だろう。

一見、クリス・カイルの功績を称え、愛国心を高揚する内容に見えるが、「これは米国の葬送行進曲だな、と私は受け取った。

美しき皮肉とでも言おうか。

映像的には称揚だが、全編を通してみれば、そこには痛烈な批判が込められているように見えてならない。

何故なら、画面に繰り返し現れる米国旗が何とも虚しく映るからだ。

沿道に詰めかけ、米国旗を振る人々も同様だ。

深い哀悼を感じさせる一方で、無邪気にプロパガンダを信じ、大国の思惑に振り回されるだけの大衆でしかないことを思い知らされる。

では、一人一人に何が出来るかと問われたら、せいぜいニュース記事を追いかけ、TVの前で「けしからん」と腹を立てるぐらい。

立派なことを唱えても、前線の兵士の身代わりになるわけではない。

イーストウッド監督は、「政治的な価値観は反映されてない」と言うが、若者を戦場へと駆り立てる国家、またそれを安易に英雄視する社会全体のムードに厳しい目を向けており、それをさりげなく塗り込めたのが、あのエンディングではなかろうか。

8月になってから、連日報道されるアフガン情勢を見ながら、いつもこの映像を思い出す。

イーストウッドの描いた「米国の葬送行進曲」(少なくとも私はそう思う)は、形を変えて、具現化したようだ。

ちなみに、私の印象に残っているのが、敵軍で大活躍するTOYOTAの車。

非常に性能がいいため、武装勢力にも愛用されているそうだが、武装地域への輸出・販売を禁じても、闇で取引されるのは止めようがないようだ。

テロリストが利用するTOYOTAの車

【映画コラム】 アメリカン・スナイパーは何のために死んだのか

恐らく、「この20年間は何だったのか」というのは、直接、軍に関係なくても、多くの人が感じていると思う。

多大な投資と若い兵士の犠牲の末、見違えるような近代国家に発展した、とかいうならともかく、結局、20年前に逆戻り、そればかりか、人の心に深い禍根を残し、新たな脅威となりつつある。

事象だけみれば、まさに壮大な無駄遣い、犬死に、余計なお世話……等々。

アメリカン・スナイパーも例外ではない。

クリス・カイルも、ハリウッド映画のネタになる為に戦地に赴いたわけじゃなし、命を懸け代償が国家の敗北では洒落にもならないだろう。

一方で、彼の活躍に命を救われた人がいたとしても――。

戦争にしても、国際政治にしても、「弱い者いじめは止めましょう」みたいな学級会の理屈で解決できないことはよく分かっている。

だとしても、この無力感や虚無感をどう埋めればいいのか。

今、多くの人が、名状しがたい気持ちでTV画面を眺めているのではないだろうか。

そして、それこそが、テロの最大の効果とすれば、我々はTVの前でため息をついているだけで、既に暴力に屈しているのかもしれない。

が、希望もまったく無いわけではなく、人の心に蒔かれた種もある。

とあるネットの書き込みで、これほどの戦禍においても、この20年間、とりわけ女性に施された教育は、地下で脈々で受け継がれ、いつか花開く日も来るだろう、という意見も見かけた。

国外脱出組をはじめ、この20年の間、教育やITを通して、考えを変えた人も多いだろう。

それはもしかしたら大地に蒔かれた種子より、もっと深く、人の心に根付くかもしれない。

また遠い国にいる者も、この惨状と結果を知って、改めて国や社会の在り方について、考えを巡らした人も少なくないはずだ。

今は個々の意見に何の影響力もなくても、いざという時、『YES』か『NO』かの意思表示をすることは可能だ。

それがマスになれば、さしもの権力家も態度を改めるかもしれない。

一人の生き様、一本の映画が、世界を動かすとは、そういうことだ。

圧倒的な暴力に勝てる人間はないが、暴力に打ち勝つのもまた人間である。

この20年間、多大な投資と犠牲を通して、様々な形で蒔かれた種が、いつか大きな実を結ぶことを祈りたい。

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