子育てを通して、親も『二度目の子供時代』を生き直す ~親子のロールプレイが心を癒やす時

育児に関する言葉で、私の好きなものは二つあります。

一つは、漫画家の田島みるくさんの「子供は誰に説明されなくても、自分を産んだのが母親だと知っている。『わたし、お父さんから産まれてきたの』という子は無い」。(爆笑マンガ&エッセイ 「出産」ってやつは―あたしたちは聖母だ! (PHP文庫))

もう一つは、ピクサー映画『ファインディング・ニモ』のメイキングで、ジョン・ラセターだったか、アンドリュー・スタントンだったか、どちらの言葉か忘れましたが、「親になるということは、親の気持ちと、子供の気持ちと、両方分かること。子育ては、子供時代をもう一度、生き直すこと」。

育児の場面で、より強く問われるのは後者の方ですね。

私も何度も経験がありまけど、子供、とりわけ幼子と接していると、必ずといっていいほど、自分の子供時代が『フラッシュバック』します。

自分が子供時代に体験した、あの場面、あの感情、あたかも自分の親が自分の中に乗り移ったような、異常な心理状態を体験するのです。

どんな親も、子供のやること、なすことに、始終イライラしているわけではないと思います。子供をガミガミ叱りつけている自分自身に嫌気が差しているのではないでしょうか。

朝から晩まで、子供のやることに目を光らせ(安全の観点から)、横断歩道の手前で掴まえ、テーブルから引き摺り下ろし、コンロの前で何度も何度も言い聞かせ、菓子屋の前で泣く子を抱きかかえて退散――みたいなことを日常的にやっていれば、「そんな自分が好き」とは到底思えないでしょう。

また、ガミガミ叱っている自分に我が親を重ね見て、心理的な圧力がかかるから、子育てがいっそう辛くなるだけで、心底から自分の我が子が憎くて怒っている人は皆無だと思うんですね。

いわば、子育てというのは、親となった自分自身を通して子供時代をやり直すロール・プレイングです。その過程で、子供時代の嫌な記憶は掘り起こされるし、自分の中に、自分が嫌いな親の姿を重ね見て、愕然とすることもあります。それが「子供時代を二度経験する」という意味です。

人によっては「回想」で済むこともあれば、子供時代のトラウマを二度経験して、心理的に追い詰められることもある。子供に対して過剰に怒りをぶつけるとしたら、それは我が子に対して怒っているのではなく、自分を苦しめた親に対して怒っているのではないでしょうか。

心理療法でも似たようなロール・プレイングが存在しますが、ずっと意識の奥に閉じ込めていたネガティブな感情を、もう一度、自分の中に呼び覚まし、あれと同じ場面を体験するのは大変なストレスです。心理療法なら、専門家が横について、患者さんに負荷がかかるようなロール・プレイはさせませんが、子育ては一対一の初体験ですし、専門家が横について、細かに指導してくれるわけでもありません。人によっては危機的な心理状態に追い込まれ、我が子に手を出してしまう危険性もあります。

ある意味、育児ストレスは心理劇のストレスでもあるんですね。

そんな時、親はどうやって心理的葛藤を乗り越えればいいのでしょう。

私は無理に解消しようとするより、いっそ同化した方が楽ではないかと思います。

いわば、目の前の子供は、あなたの代わりに泣いているようなもの。

あの時、あなたが親に向かって言えなかったこと、ぶつけることができなかった怒りや不満を、あなたの代わりに全力で再現しています。

子供の泣き声を聞くとイライラするのは、自分の中の子供が泣いているからです。

だからこそ、目の前の子供を抱きしめることで、自分自身も癒やされていくのです。

子育てを通して、自分の子供時代をもう一度、体験することで、あなたも次第に、あの日の親の苛立ちや複雑な思いを理解するようになるし、上手く抜ければ、許せるようにもなります。

それが子育ての真の意義ではないでしょうか。

子育ては子供時代のトラウマを浄化し、記憶の中の親と和解するチャンスです。

我が子と一緒に、もう一度、子供時代を体験することによって、心の傷を癒やし、我が子が心の底から「ママ、大好き」と思える経験になれば、その子育ては大成功と言えるのではないでしょうか。

嫌いな親の一面を、自分自身がロール・プレイングするのは、大変な心理的ストレスですが、「親の気持ち」と「子供の気持ち」の両方を体験することは、視野を広げ、人間としての深みをいっそう増すものです。

こうした気付きや体験は、子育てのみならず、仕事や対人関係など、あらゆる場面で役に立つのではないでしょうか。

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